第4話:京都の隅っこの話―霊―


 とにもかくにもせっかく京都に来たのだから出歩かなければ始まらない。

 清水寺はすぐそこだ。せっかくなのでメインの五条坂ではなく、宿からもっとも近い茶わん坂を上って行ってみることにした。

 しかしこの茶わん坂は、どちらかというとホテルなど宿泊施設が目立つ通りだった。焼き物や着物の店もあったが第一優先ではない。我々の目的は清水寺に行くことだが、同じくらいに空腹を満たしたくもあった。長々と高速を運転してきた猫ちゃまは大量のカロリーを消費し、足取りもふらふらとおぼつかないくらいである。早急に何か食べなくてはならない。


 結局茶わん坂には大した飯屋はなく(喫茶店はスルーしてしまった)、清水寺にたどり着いた。

 晴れた青空、道行くピンクや花柄の着物を着た女性たち。ご立派な仁王門を背景に階段に陣取り、猫ちゃまの写真を何枚か撮る(ボッキンガッツポーズ)。

 コロナで減っているのではあろうが、そこかしこから中国語が聞こえてくる。親子連れが楽しんでいるようなそうでもないような顔をマスク越しに浮かべながら何やら文句を言っている。前々から予定していた旅行なのだろうが、コロナで味噌が付いてしまったのだろう。かわいそうなことだと思えどお互いにあまり近づくことはない。


 仁王門をくぐってしばらく歩くと、清水寺は大規模な改修工事を行っているようだった。太い丸太であちこちの柱が補強されている。舞台の上からの眺めも風情満点というわけにはいかなかったが、晴れている分遠くまで見えて悪くはなかった。来る途中の高速で雪まで降ったのを考えれば上出来だろう。

「こないだ岐阜に行ったときも岐阜城工事してたじゃん」

「我々には計画性が足りないな」

「我々というかおっちゃんだからね」

 たしかに、事前に清水寺が改修工事中という情報を仕入れていれば祇園の宿を選べていたのかもしれない。しかし祇園に行ったところで彼女連れで舞妓はん遊びをするわけにもいくまい。――ということはそもそも京都を選んだのが失敗だったのだろうか? 冬の嵐山も寒いだけだしなぁ。

 などとつらつら考えるうちに音羽の滝に辿り着いた。猫ちゃまはにわかにご機嫌になっておもしろいポーズ(ボッキンガッツ→フルスイング→両手ボッキンガッツ)を次々繰り出してから滝の真下で手を洗い、そして普通にお参りをした。その一部始終を動画に収めた。猫ちゃまはカメラの前だと恥を忘れる傾向にある。


「おなか空いたねぇ」

「ほんにねぇ」

 清水寺を出て、素直に五条坂の通りを戻って飯屋を探せばいいものを、ついつい二年坂の古風な街並みを歩きたくなってそちらに猫ちゃまを連れて行ってしまった。それはもう大層古風で土産物屋なども充実しており、猫ちゃまは猫(リアル)ばかりの焼き物屋さんを見つけて大はしゃぎしていた。そして分かりきっていたことではあるが、二年坂にはカジュアルな飯屋がなかった。

「あそこもあそこも一見さんお断りめう……」

「そんな雰囲気だねぇ」

 そうこうしているうちに日もいよいよ暮れてきて、寒さも一層厳しくなってきた。高台院の方まではとてもたどり着けそうにない。とぼとぼと市中の方へと引き返す道すがら、また背中にやんわりとした圧を感じた。――まだ、付いてきているようだ。宿という場所ではなく、人に付いてきてしまったらしい。

 ま、気にしたら負けだ。猫ちゃまにこの上「霊が付いてきている」などと言おうものなら発狂して何処かの寺の境内に閉じこもってしまうかもしれない。


「あ、ここのお店おいしそう」と歩きながらグルメサイトをいじっていた猫ちゃまが言う。

「そっちは……祇園の方だねぇ」と突っ込みを入れると、だから二択しくってんじゃねぇよとばかりに猫ちゃまがにらみつけてきた。

「ほら、あっちにハンバーガー屋さんがあるよ。おいしそうだねぇ」

「京都まで来てハンバーガー食べるの?」

 たしかに馬鹿らしい感じではあったが、寄り道している間に飯屋という飯屋が閉店時間を迎えつつある。京都の夜はあまりにも早い。

 消去法でそのままハンバーガー屋に突撃したが、しかしこれがなかなか、肉の詰まったハンバーグを出す美味しい店だった。値段は観光客向け相応だったが、モスバーガーよりも大振りで美味しい。ハンバーグが大好きな猫ちゃまは食べるに連れて少しずつご機嫌を取り戻していった。

「明日は博物館に行こうな。あの宿を選んだのは博物館に近いからという理由もあるんだよ」と明日の展望を語ると、

「ふーん。行こね」と聞き流すくらいの余裕は戻ってきた。


 宿に戻るとなんのかんのでエアコンは快適だしWifiも強い。ちょうど月曜日だったので月曜から夜更かしを見たり、電子書籍でメイドインアビスを読んだりしていた。ほんとは猫ちゃまに「阿吽」のような京都っぽい漫画を読ませたくてアプリをダウンロードさせたのだが、猫ちゃまは「かわいそかわいい」話を求めてメイドインアビスに目を付けた。

「たぶん猫ちゃまが思ってるのより三倍はかわいそうだよ」と余計な前振りをしていたが、最新刊まで読み終えた頃には「おやおやおやおやぷるしゅかぷるしゅか」とボンドルド卿のように愛に満ちた呟きを歪んだ口元から発していた。


 まあ考えてみれば現代の京都で彷徨う霊などボンドルド卿と比べたら大して邪悪でもないのだろうし、そんなに気にすることもないのかもしれない。寝物語にぺちゃくちゃとメイドインアビスの感想を話しているうちに、すやすやと二人とも眠ってしまった。


 と、私は思っていたのだが、実は猫ちゃまはさっぱり眠れなかったようで。

 あとで聞くと眠っている私の肩に一対の大きな目玉が張り付いていたらしい。人間の目か動物の目か、どのくらいの大きさなのかなど気になったのだが、いまだにはっきりと答えてはくれない。

 その目玉ともろに目が合ってしまった猫ちゃまは、布団にもぐってガタガタと震えることしかできず、ろくに眠れないまま朝を迎えたようだった。


 そして午前六時。

 カーン、ットーン、ットーンという爆音が部屋の中に響き渡った。

 びっくりして飛び起きた私に、猫ちゃまが目を閉じたまますがりついてきた。

「怖いこわいこわい……」

「大丈夫やって時報やろ」と言ううちに鐘は6回、7回と数を増していく。

「時報じゃないのか……」

 ではなんのために朝の六時からこれほどの鐘を鳴らすのだろう。

 鐘の勢いは凄まじさを極めていく。カカカカカカカンカンカンとお前は消防車かと言いたくなるようなペースで叩かれている。ある意味すごい技量なのかもしれないが、不信心者としては迷惑だ。除夜の鐘にうるさいと文句を言ってしまう近隣住民の気持ちを初めて理解してしまった。

「え、これ毎朝やってんのかな」

「こわいこわいこわい」と猫ちゃまの脳みそはサーキットブレイクしている。

「よしよし大丈夫やから。な?」

 

 毎朝だとしたら気狂い沙汰だ。まあ墓場の傍には大して誰も住んでいないのだろうが……。それにしたって、清水近辺の通りには間違いなく響き渡っているはずである。そりゃあ、朝の六時に起きざるを得ないとなれば、夜を待たずに店が閉まってしまうのも無理のないことなのだろう。

「ぜったいおかしい、こわいよこわいよ……」と猫ちゃまはひざ元でうずくまっている。

「そやね」

 京都の経験値が低すぎて、これが正常なのか異常なのか判断できない。ひょっとしたらこれは霊障なのかもしれない。「なむあみだんぶ」で寄ってくる霊なのだから、騒霊ポルターガイスト現象だって寺の何かしらに擬態している可能性はある。


 ごちゃごちゃ怯えている間に鐘の音は余韻を残して遠ざかっていった。

 猫ちゃまは「怖いめ怖いめ」と羊のようにめーめー怯えている。――とそのときは思っていたのだが、後から考えると「目怖い目怖い目」だったのかもしれない。

 三時間くらい寝なおしてチェックアウトぎりぎりで宿を出る頃には普通に腕を組んでくれたので、その頃には肩の目玉も消えていたのだろう。


「ありがとござましたー」と見送ってくれたのはイケメンの青年の方だけだった。お姉さんは忙しいのだろうか。

 宿の規模からしても他にスタッフがいるような感じでもないし。二人きりで切り盛りしているのだろう。そう考えると応援したくなってきた。ちょっと立地が怖いだけで悪い宿というわけではないのだ。wifiも強いしね。

 そんなわけで笑顔を交わして「サヨナラサヨナラ」と爽やかに去っていくことにした。

「あの鐘、ちゃんとあなたにも聞こえていました?」と確認したい気はしたが、「ナンデスカネ?」と聞き返されても怖いしね。


 一度車に荷物を置きに戻ったら、ドアを開け閉めする瞬間、またふわりと、風圧に混ざって嫌な圧が鼻先をかすめた。

 やはり何かが付いてきている。


「夕方まで駐車場は閉まらないだろうし、なんか食べたら博物館行こうか」

「うん!」と猫ちゃまは元気よく、機嫌も直っている。

 空は快晴だし、風もそれほど強くない。この時間ならなんでも旨いものが食えるだろう。楽しい旅行になるように、こっから巻き直していけばいいのだ。


 ――少し背中はぴりつくが。

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