第3話:京都の隅っこの話―鐘―


 二階に上がるとツインの大きなベッドにふかふかのふとんが敷かれていた。寝心地が良さそうでこれには猫ちゃまもご満悦だろうと思ったら

「天井にシミがあるんだけど!」と、やはり猫ちゃまの視線は上を向いていた。

「一階よりシミてるんだけど、ねーぇ!」

 そりゃあ上から雨が降るんだから一階よりはシミるだろう、一般的にと言おうとしたら、

「畳もなんか歪んでるし」と、今度はせわしなく下を向いている。

「見てここの床ぎしぎしするんだけど。ぎしぎしするんだけど!」とはちきれそうな笑顔でベッドの手前の床をふみふみする猫ちゃま。

「ぎしぎしするねぇ」

「絶対おかしいめう! 絶対なんか出るよ怖いんだけど」

「そうやな。……なんか出るかもなぁ」

 たぶん重いものを落としたかしただけなのだろうと思ったが、

 怖い怖い言いつつけっこう楽しんでいるようなので、調子を合わせていくことにした。

「こっちは何が入ってるの?」と押し入れを開ける。中には予備のふとんがある。

「こっちは?」と隣の押し入れをあける。そこにも予備のふとんがあった。

「おかしいって。押し入れが三つあってなんで全部ふとんが入ってるの! ベッド二つだけなのに、誰のためのふとんなんだお!」と猫ちゃまは深読みをしている。


 たしかに密室殺人的に考えるなら、この大量のふとんの不自然さはトリックの伏線だろう。中に犯人ないしは死体が入りそうなスペースではある。

「しかも見てこれ髪の毛が……」

 猫ちゃまは一番奥の押し入れのふとんの手前を懐中電灯で指しながら言った。

「長い女の髪の毛があるんだけど……」


「髪の毛な……」

 長い髪の毛。

 果たして案内してくれたお姉さんのものなのだろうか。それとも――。

 そろそろ猫ちゃまの外見描写をしておこう。

 髪は黒くて長く、夜中の猫のような目つきをしている。顔つきも猫に似て少し平たい。服は「かわいい服で行きたい!」と言い張り、真冬なのにも関わらずけっこう寒そうなひらひらスカートを着ている。グレーのニットは腕がバルーンになっているそうだ。意味はよく分からないが。――実際けっこうロリっぽくてかわいいので、絶対寒いだろうなと思ったが何も言わずに「いいんじゃない」と言っておいた。

 そう、猫ちゃまの髪も黒くて長いのである。

 やはり先にここに下見に来たことがあるのかもしれない。そして懐中電灯の中に凶器を仕込んで悪いことをしようとしているのだ。


「どうしたん、怒ってんの?」と探りを入れてみると、

「おっちゃんが悪い!」と猫ちゃまはやはり怒っている。

「いくら安いからってこんな怖い宿に連れてきて……。墓地なんだけど! 寺じゃないめう!」

「それはまあごめんな。まさか清水寺の近くにこんなガチな墓地があるとは思わんかったんや」

 実際通りを一本奥に流れただけだというのに。京都は恐ろしいところだ。

「二択しくってるよね。祇園だったらこんなことなかったのに!」

「だってこっちは駐車場付いてたし……」

「がっつり別料金取られてるよ! しかも墓参り用の駐車場だし! 寺の中だし!」

「そんなん考慮しとらんよ……」

 と言い争いをしているうちに、17時を回った。

 とたんに、カーン、カーンと響きの良い鐘の音が宿の壁も窓も貫通して我々の耳に襲い掛かってきた。

「え、なに、なに!」と猫ちゃまが掴みかかってくる。

 鐘はどんどん勢いを増し、カーン、カーン、カーン、カン、カン、カン、カン、カカカカカカカカカンカンカンと中国映画の冒頭か何かのようにえらい勢いで響いてくる。

「なにこれなにこれ!」と猫ちゃまはパニックになって抱きついてくる。

「寺の時報……?」にしては凄まじい。

「こわいこわい……」とすがる猫ちゃまの手からそっと懐中電灯を受け取り、ふとん

の中に隠す。これで処される危険はだいぶ薄まった。

 それにしてもこの凄まじい鐘はなんなのだろう。鳴らすにしてももっと風情というものがあるだろうに。京都の住人はこんな響きに毎日耐えているのだろうか。


 鐘の余韻が空気の中に溶けるまで、たっぷり五分くらいはかかっただろうか。


「やん、やん」と猫ちゃまはぶつぶつ言いながら耳を抑えている。

「大丈夫やってもう怖いの終わったから。なんも出てこんよ」

「なんなのあの鐘。おかしいって……。どんな寺なの」

「うーん、たぶん浄土真宗系だろうけど。とりあえずこんな鐘が鳴るんやったら幽霊いても退散するやろ」

「そうなの?」

「そうそう。なむあみだんぶ、なむあみだんぶと――」

「やめて!」

 と猫ちゃまが叫んだが、少し遅かった。

 ふざけた念仏を唱えた瞬間に、部屋の空気圧がむわっと強くなるのを感じた。


 ――ちょっとこれは、まずい。

 鞭のような鋭い悪寒が背筋を刹那さわって、離れた。離れたがまだ、圧が減らない。


「やめとこ」

「もーほんとやめてよ!」と猫ちゃまは取り乱し、両耳を手でふさぐ。


 私はさほど霊感が強い方ではないし、それは猫ちゃまだって同じだろう(本人に聞けば霊感が強いめう!と言い張るのだろうが)。

 しかしこの世に共感覚というものは確かにある。「念仏こわい」という猫ちゃまの動物的な本能と、それに引っ張られた「あ、念仏はまずかった」という後悔が、古びたシミだらけの宿屋というシチュエーションに見事にはまった。

 それは「念仏を唱えてはいけない。さもなくば――」という祟りとして機能し始めていた。

 鐘が鳴り終わってしばらく経つと猫ちゃまも少し落ち着き、Wifiが強いことに気が付いた我々は今がチャンスとスマホに入れたあらゆるゲームアプリをログインしたり更新したりしていたのだが、

 そんなことをしている間も、背中をやんわりと押してくるような真綿っぽい圧が消えることはなかった。

 猫ちゃまはともかく私はどうやら、「何かいる」という感覚に取りつかれてしまったようだった。それを幽霊と呼ぶかはともかくとして。

 


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