第2話:京都の隅っこの話―シミ―
「ようこそーいらっしゃいませぇ」
ご機嫌に出迎えてくれたのは少し化粧の濃い日本人のお姉さんと、やたらイケメンのカジュアルな格好をした北欧系の青年だった。
案内表示や渡された冊子は多言語に対応していた。おそらくはお姉さんが日本人ないしアジア人担当、イケメンが欧米人担当というような役割分担だろうか。今日は我々しか客がいないということもあり二人でお出迎えしてくれたようだ。
「宿泊代は事前にいただいているのですが、京都には宿泊税というものがございまして」と丁寧にお姉さんが説明してくれる。一人頭200円。
さらに駐車場代に1500円を取られ、三枚のコインを渡される。これをパーキングの精算機に入れるとそれで支払いが済むそうだ。新鮮なシステムである。京都ではどこもこんなものなのだろうか。何もわからない。
暗証番号で出入りする部屋の鍵だけがやたらとしっかりしていて、近未来的なハイテクさすら感じた。他はまあ、昭和大正といった風情の建物である。
お姉さんに「もみじ」の部屋に案内される。部屋は畳敷きに背の低いテーブルの一般的な座敷だった。つつましやかな大きさのテレビと、これだけは金のかかっていそうな上物のエアコンが備え付けてある。
「Wi-Fiのパスワードこちらですー」と冊子をめくってくれるお姉さん。あとで知ることだがこのWi-Fiは非常に強く、電子書籍の漫画をすらすらと読むことができた。
しかし猫ちゃまの目線はすでに上を向いていた。
「ごゆっくり」「ごゆっくりィ」
お姉さんとイケメンが引っ込み、「しゅおん」と音を立てて扉のロックがかかったとたん、
「シミ、シミがあるんだけど!」
と猫ちゃまは天井を指さした。
「あっちにもあるめう! こっちも!」
なにせ猫ちゃまは猫だから目線が高いところを向かう。
たしかに指さすところには黒くくすんだシミが散見された。まるでカブトムシやオオムラサキが群がる雑木の幹のようだった。樹液がじわりとしみだしてきそうな見た目をしている。
「怖いんだけど」
「だいじょぶだよ気のせいだよ。もっと他のものに目を向けような」と適当に慰める。
目についたのはエアコンの近くの壁に設置された一枚の絵だった。純和風の古民家の中で唯一モダンというか、現代的ですらある赤くぼやけた抽象画だった。モザイク風に分厚く、立体感もある。いい絵なのかは分からなかったが意匠は理解できた。
「ほらごらんこれがもみじだよ」
「何が? なんか血まみれみたいで怖いんだけど」と猫ちゃまは言う。
「そうなん? でもほら、自慢のお庭があるから。ふすま開けてごらん」と促す。
ふすまはきれいで新しさを感じたが、開けた縁側には年季を感じた。庭は石庭風の凝った作りで形の良い松などもあり、そして墓地とは反対側だった。色味は寂しかったが、それは冬に「もみじ」に泊まったこちらの責任だろう。
「寒いめう! ってか立て付け悪いんだけど!」
縁側はガラス戸で仕切られていて、そちらの戸を指さして猫ちゃまは言う。
「見てごらん冷蔵庫があるよ」
縁側の左端には古風な冷蔵庫があり、その上に部屋着や歯ブラシなどの一式が置いてあった。
寒い縁側に置くものだからすっかり冷えていたが、ちゃまの突っ込みどころはそこではなかった。
「懐中電灯があるんだけど、これなんに使うの!」
たしかに冷蔵庫の上には大きくて赤い懐中電灯も存在した。
「そりゃ停電したときに使うんだろ」
「停電するの! 墓地なのに!」
「まあ十年に一度くらいは――」
などと言ううちに猫ちゃまは懐中電灯を手に取り、ナイフを持つように首元に逆手に押し当ててホラー映画ごっこを始めた。
「ここはどこ……?」とわざとらしく周囲を眺めまわす猫ちゃま。
「お庭だよちゃま」
「この小さな障子はなんなの!」
と懐中電灯で指した先には、壁に半分程度の不自然に小さな障子窓があった。いや、窓ではない。はめごろしのようになっている。
「昔の茶室とかはそんなふうにちっさな入り口から入ったらしいから。その名残ちゃう?」と適当なことを言うと、
「裏に回ってみるお!」と猫ちゃまは懐中電灯を装備したまま部屋の中に戻った。
障子窓の裏はただの押し入れになっていて、まるまるとしたふとんが何枚も入っていた。
「入口なんかじゃないんだけど」
「改築したんやろ」
たぶんもしこの部屋で密室殺人とか起こったらそこが出入りできる隠し扉になっているんだろう、というようなことを言おうと思ったが、
「密室殺人が起こるめう! 殺されるめう! ……じゃあ殺されるより先におっちゃん殺しとくね」となるのは目に見えていたから黙っていた。
「二階があるわね……。行ってみましょう」と猫ちゃまはホラー映画の主人公気分で階段に足をかけたが、
「なんかおかしいんだけどなんでこんなに壁に穴が空いてるの!」と、シリアスな気分はすぐに霧散して、新たな突っ込みが入った。
言われてみると階段途中の柱という柱に穴ぼこが空いていた。
「昔はこの辺りが屋根やったんやろなぁ。二階を増築したんだよ」
「それにしたって多すぎるめう! 何回立て直してんの?」と猫ちゃまが言うように、それぞれの柱に最低三つ木材の穴があるというのはたしかに奇妙な感じはした。たぶんこれも密室殺人の伏線になっていて、障子窓の他にもまだ二つ隠し通路や凶器を隠せるような隙間を準備できる伏線になっているのだろうと思った。
――おかしいことはまだある。猫ちゃまは懐中電灯を持ち歩いているが一度も明かりをつけようとしない。
――まさかあれが懐中電灯ではなく中に「ナニかベツのモノ」が入っているということをあらかじめ知っているのでは?
――知らないふりをして懐中電灯を持ち歩き、二階に誘導して殺そうとしているのではないだろうか。
おそろしいことが始まりそうな予感がする。ここからは猫ちゃまの言動も先読みして死亡フラグを躱していかなければならないようだ。
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