第1区 2日目ー6 『蛸・2』
『夜』は不気味だ。『虎』もこの時間には寝ており、この時間は一切目を覚まさない。
夜なら『虎』は動くのだが、『蛸』の出る時間は『虎』は微動だにせずに眠りにつく。かなり不気味だ。まるで『虎』の寝ている間を『蛸』が代替わりしているようにさえ思える。だとすればずっと代わって欲しい位だ。『蛸』に直接的な戦闘力は無いし、『蛸』で死んだという事例も聞かない。『虎』の代役が『蛸』だとすれば、滑稽極まりない。
『虎』の就寝時間は自分たちの活動時間でもある。だからこそ『夜』は幸福の時間だと考える連中もいるが、私はそう考えない。
七日に一日だけ訪れる『夜』。168時間のうちのわずか数時間にしか幸福を見いだせないのならば、その人物のなんと悲しい事か。いや、ある意味幸福なのかもしれない。そんなにも直ぐに幸福を見つけ、満たすことが出来るのだから。
「なぁ~?これでいいのかよ?」
そんな風に思いをはせながら準備をしていると、少年が不思議気な顔をしてこちらに話しかけてくる。私は頷く。
「にしたってなんで鏡なんか部屋に配置すんだよ?それも一枚じゃなくて小っちゃいのを何枚もよ?」
それは『蛸』の出現を抑える為だ。死角を減らせばその分死角から発生する『蛸』の出現場所も減る。原理は至って簡単。だからこそ効果絶大。意識していなくとも網膜に写りこんでいれば問題ないのだ。それで発生を減らせれば狩りはだいぶ楽になる。私は簡潔に少年に伝え終わると鏡の配置に取り掛かる。
今日は少し多めに『蛸』を仕入れなくてはいけないのだから。
「ま、まだ現れねぇのかよ?その『蛸』って奴……」
『夜』。もうすぐその時間になろうとしている日が沈む前の段階で、丁度支度が終わる。少年は私が差し出したナイフを持ってキョロキョロと辺りを見渡していた。初めての外での『夜』。更に言えば見たことのない化け物がこれから自分の見えない場所からほぼ無限に湧き出ると言われれば怖気づくのも無理はない。私は無理をしないように少年に言う。
「な、なめんなよ!おれだって出来るんだ!役に立つって証明してやる!」
役に立つ。この言葉に私は妙な突っかかりを憶えた。特殊な言葉でも専門用語でもないに関わらず、何故か少年が発するこの言葉には何か別の意味が含まれている気がしてならなかった。
『夜』が来た。『虎』は寝静まり、日中とは違った静けさ、緊張が私の周りを満たす。ねっとりとした、泥のような重い空気が漂う。少年も喉に泥が詰まったかのように息苦しい表情で先ほどから何度もつばを飲み込んでいる。やがて、時は来た。
ぬ る り
耳にへばりつき不快感を覚えるその音の方に私は真っ先に顔を向ける。そして見えた『蛸』に向かって眉間にナイフを突き刺す。『蛸』は何度か痙攣をおこす。すぐさま私は振り返って、先程出来た死角に向かう。そこには案の定『蛸』がいた。私は先ほどと同様にナイフを突く。その手慣れた動作に少年は呆気にとられている様だった。私はどうしてそこに突っ立ったままなのだ?と聞く。
「な、なめんなよ!今のは初めてでちょっと動揺しただけだ!!これからお前以上に『蛸』を捕ってやるからな!」
そう言って少年は躍起になって『蛸』を捕え始めた。『蛸』はそこまで脅威度は高くない為大丈夫だろうと私は気にする事無く再び死角に現れた『蛸』を狩る。
朝である。不眠不休のこの一日は何度訪れてもやはり生きる実感が湧く。この時間は自分が今日も生き残ることが出来た証のように思えて他ならない。私の部屋には大量の『蛸』の死骸が積み上げられていた。生臭い。
「うう……く、ふはぁ……っぐ!!ね、寝てぇ…………!寝てねぇぞ…………」
少年は徹夜に成れていないのか、随分と眠たげだ。初めてにしては中々に優秀な人材だ。最初の内を生き残る事さえできれば、直ぐにこの世界に順応出来るかもしれない。私の場合、中々に馴染むのに時間が掛かった覚えがある。まあ、舗装された道の上を歩いているような感覚なのだし、速い事は当然かもしれない。私は舟を漕ぎ始めている少年を横目で眺めながら『蛸』を一箇所に集める。臭い。
「……で、どうやって食べんだこれ?まさか生じゃねぇよな?」
その質問に私は首を横に振る。生では『蛸』の中に寄生虫や細菌が潜んでおり、食べれば腹を下して日々を過ごすどころではなくなってくる。医療機関が崩壊した今ではそれは文字通り致命的だ。その為『蛸』などの生の食材は基本的に下処理が重要であり、その出来で食材にするか否かが決まってくる。そしてこの『蛸』の調理方法は二段階であり、その方法は…………
「なんだよ、塩持ってんじゃん?」
少年は後ろから意外そうな声を上げる。それを無視して私は手袋をして蛸の洗浄にかかる。
まずは揉み洗いである。『蛸』には当然吸盤が存在する。そこに付着した汚れやぬめりを取るためにこうして洗い流すのだが、どうやら彼は勘違いをしている様である。これは塩ではない。
「すんすん……くっさ!何だこれ!?」
彼はようやく違和感に気付いたようだ。これは塩ではなく消化剤である。弱性で本来はもっと強烈なのだが、『蛸』のぬめりを洗い流すくらいならこれでちょうどいい。
「な、何だこれ?何の成分なんだよこれ?」
さぁ、と私は首を傾げた。彼の質問に私は答えることが出来ない。なんせこれの主成分は開発者曰く、『鮫』の消化液から作ったという話だからだ。
「さ、『鮫』の消化液って……!」
私の返答に彼も驚きを隠せない様子だ。勿論最初の頃は私も半信半疑だったが、使ってみるとこれが非常に使いやすい。弱性ならこのように『蛸』の表面上のぬめりやゴミを溶かすだけに終わり、『蛸』の身を傷つけない。こうも都合がいいと少し疑り深くなるが、この区の分解者である『鮫』の性質を考えると、この有能性も納得がいく。そう話に区切りをつけて、私は何杯か『蛸』を少年に渡して『鮫』の消化剤を渡す。少年はただ黙って恐る恐るといった具合で手袋をして『蛸』を洗い始める。後は保存食用に燻すなり漬けるなりして、近々食べる様に切り分けておくだけだ。作業が終わるころには空が目を覚まし始め、少年は目を閉じて死ぬように寝ていた。
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