第6話 クロエの手紙


やぁ、ご主人。


この手紙をご主人が読んでいるということは、既に私は元の猫に戻っているでしょう。それもご主人の前から姿を消して。

何も言えずに出て行ってごめんなさい。


この一週間は私の今までの人生の中で一番幸せな時間でした。

薄々気づいていたとは思いますが、私に残された時間はそう長くはありません。最期の時をご主人と共に過ごしたいという思いもありました。


でも、それではきっとご主人は私のことを一生引き摺るでしょう。なので、体がまだ動く間にあなたの前から去ります。決して探さないでください。


これからは新しい人間の家族を見つけて、毎日笑顔で、ご主人らしく生きてください。あんまり早くこちら側へ来てはいけませんよ?

いままでありがとう。


あなたのクロエより。





◇◇◇





「ロイド所長、これはどこへ?」

「所長はやめてくださいよガシュウ新所長さん」


僕の荷造りを手伝ってくれている元部下に苦笑いする。


「まだ慣れないですよその呼び方。ロイド所……ロイドさん。本当に引退するんですか?

「えぇ。これからはワターシのような年寄りじゃなく、下の若い世代の番ですから」

「歴代の所長は死ぬまで現役だったから、ロイドさんも例外じゃないと思ってたのに」

「研究は生涯続けるつもりですけど、趣味の範囲にしておきますよ」


長いこと住んでいた王都の屋敷を片づけるのは至難でした。

初老を迎えた男だけでは無理だったので研究所の部下や近所の人にも手伝ってもらった。よくわからない成分の薬品が発見されたり、ガラクタだと思って買った道具に歴史的な価値があるものが混じっていて騒ぎになったり。

なんとか期日には間に合いそうでよかった。


「あのロイドさんが……時間って人を変えるんですね」

「どういうことです?」

「いや、歩く災厄魔法使いだの頭のイカれた悪魔の学者だの言われてたロイドさんがこんな風になるなんて……と思いまして」

「その二つ名は初めて聞きましたね。日頃から君がワターシのことをどう思っていたかがよーく分かります」


まだまだ現役の魔法の腕を披露しようとすると、ガシュウくんは昔と変わらない機敏な動きで頭を地面に擦り付けるDOGEZAをした。


「さーせんでした!」

「こらこら、仮にも研究所の所長ともあろう者がそんなに頭を下げてどうするんですか。そんなんだから育毛剤が必要になる頭部に」

「謝りますからその話はやめてください! ロイドさんには感謝してますから。このカツラの件」


元はクロエの頭の十円ハゲを治すために開発した伸びるカツラも今では世間の男性に大ヒットの商品になった。

他にも食材を冷たいまま保存する氷魔法の箱や、誰でも使えるボタン一つで火がつく魔道具など、今では生活必需品とまで呼ばれる商品を開発した。

近々、歴史の教科書に僕の名前が乗るという話もある。


「それにしても、何も王都まで離れることはないと思うんですよ。屋敷だって売りに出さなくても」

「いいんです。これからは第二の人生を歩むわけですし、背負っていたものや持っているものを減らさないと新しいものや新しい思い出を持てないでしょ?」


ここにはかつての家族との思い出が多過ぎる。何かを忘れるように研究に没頭し続けたが、それももう終わりだ。ここを去る時が来たのだ。


「実は今度住む所は家から海が見える町でしてね。海産物が美味しいらしいのでガシュウくんも是非遊びに来てください」

「はい。嫁と息子も連れて来ますよ。うちの息子、ロイドさんのこと気に入ってるみたいですし」

「えぇ、とっても楽しみに待っていますよ。それでは」


最後の荷物を積み込み、馬車が出発する。





◇◇◇






都を離れ、山を越え、川を越える。

年寄りには堪える道のりだった。


野宿の際にはボロボロになったぬいぐるみを丁寧に枕元に置く。最初の頃のようは心地よい肌触りもなく、ツギハギだらけになってしまっている。

年季も入って潰れてきたこの子ともそろそろサヨナラしなくてはなりませんね。


何度目かの夜が明けると、そこにはこじんまりとした町に出た。

磯の香りがする漁業が盛んな町。海鳥が空を飛び回り、色んな毛色の猫たちが日影でくつろいでいる。


「話で聞いていた通り、のどかな町ですね」


退屈なこの町の生活に飽き、煌びやかで賑やかな都会に憧れていたと彼女は言っていたが、この歳になるとこういう静かな場所の方が好ましく感じる。


「さて、新居は……あちらですかね」


町の外れ。ぽつんと一軒だけ家がある。

僕が買い取るまでは錆びれた廃墟だった場所だ。かつては猫好きの老夫婦が住んでいたらしい。黒い猫を多く飼っていたという話を聞いて、ここがきっと彼女の前の家だったのではないかと思い、移住を決意した。ここからまた新しい人生を始めようと。


「結局僕は君のことを忘れられなかったみたいですね」


扉を開き、新居の中に入る。

最低限の家財道具はあるが、私用の荷物はまだ届いていない。荷解きは苦労しそうだ。

この辺りの勝手もわからないし、誰かに手伝ってもらおう。


「メイドでも雇ってみますかねぇ」


そうだそうしよう。

自由に過ごすつもりの余生だ。

自分の趣味に走ってもいいだろう。

もうあの頃には戻れなくてもあの頃と同じ気分を味わいたい。


きっと彼女だって許してくれるはずだ。






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