第5話 ワターシとクロエ
隣家のクロエの友人、バロンくんが遊びに来て二日後の朝。
「おはようございますクロエ」
二人で同じベッドで寝ていたにも関わらず、僕が体を起こすとそこには丸くうずくまった毛糸玉がひとつ。
「そうでしょうねぇ。あの分量からしてそろそろ時間切れですね」
久しぶり……実際はたった一週間ぶりだが、僕には長い長い時間に思えた。
「クロエ。早く起きないとワターシの熱い抱擁があなたを襲いますよ?」
わりと本気で飛びかかる仕草をするが、クロエに起きる気配がない。
「クロエ?」
一つの憶測が脳裏をよぎる。そんなことはない。あって欲しくないと考えながらおそるおそるクロエに触れる。
「………ニャァ」
むにゃむにゃと寝言を言うクロエ。その体温は暖かかった。
「もう、ビックリさせないでくださいよ」
最初に出会った頃よりツヤが無くなった毛を撫でる。
ピンと立派に生えていたヒゲも何本か白くなっていた。
あれから時が経ち、僕は立派な大人へ。クロエはオバァちゃんになった。
人間と猫。寿命が違うのなんてわかりきっていた。それなのに僕は、彼女ならいつまで側に居てくれると思い込んでいた。こんな僕を受け入れてくれた彼女ならきっと特別な猫なんだろうと。
「流石に夢を見過ぎでしたね」
クロエはちょっと物好きなただの猫だった。夢はいつか覚めるもの。
今年に入ってから彼女の元気が無くなっていて、焦った。流石の天っ才的な僕の頭脳でも生き物の寿命を大幅に伸ばすことなんて出来ない。それは神の領域。禁忌に触れる行為だ。
せめてもと、クロエには色々な薬を与えた。食事も獣医や研究所の部下に相談しながら与えた。
その成果もあってか、平均的な寿命という点は大きく越えることになった。
それだけで満足しなくちゃならない。
「……ニャ? ニャーニャー」
微睡みから目覚めたのか、クロエは枕元の鏡に写った自分を確認する。
そして、毛づくろいを始めた。
「元の姿に戻ったというのに、驚かないんですね?」
僕は驚いた。そして残念に思えた。
「ニャー」
別に? 元々私は猫ですから。今を何さら……。
そう言ったような気がした。
「それもそうですね。では、朝食にしましょうか。幸いにも昨日クロエが作ってくれたシチューの残りがありますのでワターシはそれを食べます。クロエは今までの猫用のでいいですね?」
「ニャー」
彼女をベッドから抱え上げ、キッチンへ向かう。
昨日まではそこに鼻歌交じりで朝食を用意してくれたメイドがいたが、今日は誰もいない。
「ニャー」
キッチンに着くやいなや、クロエが腕から飛び降りて所定の位置に座る。
そこは猫の姿でも人間の姿でも変わることのなかった僕の向かい側のイスだった。
「はいはい。すぐに用意しますね」
一週間休んでいた分、頑張らなきゃですね。
◇◇◇
クロエに見送られて僕は屋敷を出た。
豊穣祭も終わり、研究所も慌ただしくなり始める。トップが一週間も休暇していたわけだし。仕事がいくつか溜まっている頃合いだろう。
「まぁ、ワターシにかかればこれくらいすぐに終わりますけどね」
案の定、研究所に辿り着くと山のような書類が届いていた。どれもこれも所長である僕がサインしないといけないものばかりだ。
「ついでにこれもお願いしますねロイド所長」
「おやおや、今日から謹慎明けのガシュウくんじゃありませんか? 火事を起こしてましたけが、お身体の具合は大丈夫ですか?」
「お陰さまで体調はバッチリですよ! 精神的には傷つきますけどねコンチクショー」
はて、ガシュウくんがやさぐれ始めました。何かまずい事でも言いましたかね僕。
「そう気にしないでください。魔法の発展のために事故は付きものですよ。ワターシだって何度研究所を閉鎖寸前まで追いやったか」
「ロイド所長の場合は気にしてください! そんでもってもっと慎重に実験してくださいよ!」
今度は叱られましたね。はて、最近の若者は情緒不安定ですね。
「前回も不老不死だの長寿の薬だので大騒ぎになったのに」
そういえばありましたねそんなの。クロエの寿命を伸ばす薬の開発を研究所の予算で絞り出そうとした件。賢者の石の製作に失敗して研究所一帯が吹き飛ぶかもしれなかったですね。まぁ、僕がその場にいたので精々薄毛の研究員の頭皮が僧侶になっただけで済みましたけど。
「結局はダメでしたけどね」
「所長の論文、いい線いってたはずなんですけどね。何がいけなかったのか」
「不老不死は人の永遠の研究テーマですからね。ワターシにだって不可能はあるんですよ」
ただ、その副産物であの新薬が完成するきっかけになったんですがね。失敗は成功の母と誰か言ってましたね。
手元の書類を処理していくと、豊穣祭で使用された魔法道具の修理要請が出てきた。
「豊穣祭関係のもありますね。俺は謹慎中で参加できなかったんですけど、ロイド所長は美少女猫耳メイドと行ったらしいですね。親父から聞きましたよ」
そうか。確か射的屋の息子でしたね彼。
「珍しいですよね。研究と猫一筋の所長がデートなんて。親父曰く新婚の夫婦みたいだったって言ってましたよ?」
「ははは。そう言われると照れますね」
「いいなぁ。所長、今度もし良かったらその子紹介してくださいよ。所長のお眼鏡にかかった子とか気になって仕方ないんですけど」
「紹介というか彼女の可愛さを自慢したいのは山々なんですが、豊穣祭の終わりとともに故郷に帰っちゃったんですよね」
「メイド見習いがどうとかって話ですよね。あぁ、ひと目会いたかったな」
危ない危ない。クロエが人間の姿になったのは秘密でしたね。
あの薬の効果が世間に知られれば大問題ですからね。一部の人たちが騒ぎ出すでしょうし。
「俺も彼女作りたいなぁ」
「ワターシが
「そこは人間の女の子を紹介してください!!」
他愛も無い談笑を挟みながら僕は溜まっていた仕事を片付けた。
そして夜に家に帰ると、クロエ姿は跡形もなく消え去っていてあの猫のぬいぐるみに一枚の手紙が持たされていた。
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