第三十二話 巫女の想いに応える仕事(後編)
先手必勝。
セルヴス・マガーニャはそう思ったのだが、攻撃魔法を放とうとしたところで、一瞬、躊躇してしまう。
もしも本当にモナクス・サントスと手を切るのであれば構わないが、そうではなく、まだ彼に雇われ続けるつもりならば……。
この庭の大木は、二本ともモナクスのお気に入りだったはず。ゲルエイごと魔法で消滅させてしまったら、後で何を言われることか。
「ええい、面倒な! それならそれで……!」
木にはダメージを与えないように、魔法の風で、周りの人間だけ吹き飛ばしてやる!
わずかな逡巡のせいで、魔法使いとして一歩、遅れることになったセルヴス。
だから彼が超風魔法ヴェントガを唱える前に、ゲルエイ・ドゥが呪文を詠唱し始めていた。
「ソムヌス……」
しかし、その詠唱語句を耳にした瞬間。
セルヴスの口から飛び出すのは、予定していた超風魔法ヴェントガとは違う呪文。早口による呪文詠唱であり、まるで条件反射のような勢いだった。
「ルチェット・ムルマ!」
「……ヌビブス!」
結果として、セルヴスの詠唱の方が、相手が唱え終わるよりも早かったらしい。
先に魔法が発動して、彼を守る光の壁が出現したのだから。
そもそも、魔法使いと魔法使いが戦う場合。
例えば、相手から魔法の炎球を投げつけられたのに対して、こちらも魔法の炎球を叩きつけて、消滅させる。魔法の氷塊をぶつけられたの対して、同じく魔法の氷塊で消滅させる。魔法の大岩に対して、同じく魔法の大岩で消滅させる。魔法の風を、同じく魔法の風で……。
このように、攻撃魔法を叩きつけられた場合、同じ攻撃魔法で対処できることも多かった。特にセルヴスは、あらゆる系統の攻撃魔法を扱えるという自負があるため、なおさら何でも相殺できると思っていた。だから、相手が呪文の詠唱文句を口にし始めた時点で、そちらに神経を集中する習慣があったのだが……。
そうやって瞬時に理解した、ゲルエイの魔法。今回彼女が唱えようとしていたのは、睡眠魔法ソムヌムだった。
これは攻撃魔法ではなく、セルヴスが用いる魔法のレパートリーにも入っていない。だが仮に使えたとしても、睡眠魔法を睡眠魔法で打ち消し合うことは不可能。相手の精神を対象とする魔法なので、もしも敵味方で互いに発動させたら、二人とも眠りこけるだけだろう。
しかし魔法である以上、対抗手段が全くないわけでもなかった。
今セルヴスが発動させた、防御魔法デフェンシオンだ。
かつて勇者の一人が得意としたという、伝説の魔法の一つ。発動した『輝く壁』は絶対の防御力を誇り、すべての魔法の前に立ちはだかると言われていた。
「どうだ、驚いたか? こんな伝説級の魔術、なかなか見られるもんじゃねえだろ?」
余裕の発言を口にするセルヴスだが、その額には、汗が浮かんでいた。
彼は現在、両手を前に突き出して、独特のポーズを取っている。魔法の壁は、彼の二つの手のひらで形成される平面に沿った形で、顕現しているからだ。
防御魔法デフェンシオンは、発動した瞬間のみならず、少しの時間は持続するという優れものだが、その効果が続くのは、術者が頑張り続ける限り。つまり、この格好をキープしなければならないし、魔力を流し続けなければならない。
だから、これを使っている間は、他の魔法を唱えることも、腕を下すことも出来ないのだった。
敵が魔法を使うのを諦めてくれたら、防御魔法デフェンシオンを解除して、逆に攻撃に転じることも可能なのだが……。
セルヴスが見る限り、まだゲルエイには、その様子はない。彼に隙が出来たら再び睡眠魔法ソムヌムを叩き込む、という雰囲気が漂っていた。
今のままでは、彼女の方も打つ手がないはずだが、飄々とした態度を示している。
「おや、これは厄介だね。さて、どうしたものか……」
――――――――――――
二人の魔法使いが対峙していた頃……。
右の大木へと駆け寄ったモナクスが目にしたのは、近くの茂みからガバッと現れた人影だった。
「ついに姿を見せおったな! 賊め!」
モナクスの前に立つのは、彼の寺院に忍び込んできた『悪者』のはず。だが、相手は騎士鎧を着込んでいた。
「ほう、都市警備騎士なのか? しかし……」
モナクスの顔に、不敵な笑みが浮かぶ。『都市警備騎士団』という大仰な名前であっても、しょせんは街を見回る警吏の集団に過ぎないのだ。大した実戦経験があるとも思えなかった。
「現代のぬるま湯に浸りきった、名ばかりの騎士! そんなものは、この私の敵ではない!」
勇者様に憧れて、独学ではあるものの、剣術にも磨きをかけてきた、という自負がある。『名ばかりの騎士』に負ける気はせず、むしろ、勇者伝説の時代の『本物の剣士』を再現してやろう、という気概まで持っていた。
だから……。
「うおおおおっ!」
愛用の剣を上段に構えて、モナクスは、気合の叫びと共に、立ち向かっていく。
そして。
「馬鹿め! 遅いわ!」
敵が騎士剣を引き抜く仕草を見せる前に、その肩から腰へと、斜めに斬り下ろした!
……いや、斬り下ろしたつもりだった。
しかし。
夜の庭に響いたのは、キンッという音のみ。
バッサリと敵を斬った手応えはなく、それどころか、握っていたはずの剣が、いつのまにか消えていた。
「一体どうして……?」
相手は一瞬で抜いた剣を斬り上げて、モナクスが振り下ろす勢いを逆に利用するかのように、その剣を跳ね飛ばしたのだった。
だが実戦経験のないモナクスには、何が起こったのか、すぐには理解できなかった。
だから消えた剣の行方を探して、キョロキョロと視線を動かす。
「あっ!」
彼の目がようやく、宙を舞う己の剣を視界に捉えた頃には……。
グサリと。
モナクス自身の腹に、敵の騎士剣が突き刺さっていた。
「……え?」
痛みに反応して、視線を落とすモナクス。
刺されてしまったことも、そこからジワーッと血も滲んでいることも、信じられない光景だった。
ただ唖然とするしかないモナクスの耳に、相手の声が入ってくる。
「今さら遅いが、一つアドバイスだ。斬り合いの最中は、よそ見なんてするもんじゃないぞ」
同時に。
腹に剣を押し込まれ、捻るように臓物を抉られて。
絶命したモナクスは、愛着のあった庭に、力なく崩れ落ちるのだった。
もはやピクリとも動かないモナクスに対して。
それを屠ったばかりのピペタ・ピペトが、面白くなさそうに吐き捨てる。
「大言壮語を口にしていたが……。完全な素人剣術、いや、それ以下だったな」
――――――――――――
セルヴスは考えていた。
このまま防御魔法デフェンシオンを張ったまま、ジリジリと後退。物陰に隠れたところで瞬時に解除して、その位置から相手に攻撃魔法を叩き込んでやる!
それで彼の勝ちとなるはずだった。
しかし。
「くっ!」
右腕に痛みを感じて、そちらにチラリと目をやると。
肘の少し上辺りに、黒いナイフが一本、突き刺さっていた。
「チッ、あの
セルヴスの頭に浮かんだのは、昨夜の一戦。
姿は見えないが、敵の仲間内に、同じ手口の者が何人もいるとは思えなかった。ならば、これも『黒い炎の鉤爪使い』ことモノク・ローの仕業に違いない。
その異名からして、カルロータ・コロストラの喉を掻き切ったのは、モノクの鉤爪なのだろう。そうセルヴスが思い返しているのは、半分は、腕の痛みを紛らわすためだった。
ズキズキとした鈍い痛みに意識を引きずられて、もしも腕がダラリと垂れてしまえば、防御魔法デフェンシオンは崩れてしまう。敵対するゲルエイが、まだ魔法を放つ気配を見せている以上、それだけは避けねばならない事態だった。このまま、両腕を突き出すポーズを保つ必要があった。
だからセルヴスは、苦痛に耐えていたのだが……。
ヒュッと何かが飛来する音と共に、今度は同じ右腕に、糸状のものが巻き付く感触。
「……何だ?」
刃物で刺されたのと違って痛くはないが、むしろ得体が知れない分、ナイフよりも気味が悪い。
だがセルヴスには、困惑の暇すら与えられなかった。
続いて、斜め上へと腕が引っ張られたのだ!
「これか!」
思わず叫ぶセルヴス。
先ほどカルロータが見えない何かに掴まれて引きずられたように見えたのも、こうして紐に引っ張られていたのだ。
その点は理解できたが、そこまでだった。それが
理屈はともかくとして。
これで右の手のひらは、前ではなく上を向いてしまう。つまり、防御魔法デフェンシオンが作り出す『輝く壁』は、大きく向きを変えることになった。
もはや正面からは無防備であり……。
ちょうど一歩、歩み寄ってきたゲルエイは、月明かりに照らされて、ニヤリと笑ったように見えた。
「ならば……!」
もはや無意味な防御魔法だ。
慌てて魔法を解いて、セルヴスは攻撃に転じる。
「フルグル……」
雷魔法を唱えようとしたのだが、間に合わなかった。
十分に準備していたゲルエイ。彼女の方が一瞬早く、睡眠魔法ソムヌムを発動させる。
「ソムヌス・ヌビブス!」
さすがのセルヴスも、今度はまともに食らってしまい、眠りに落ちるのだった。
――――――――――――
土の地面に倒れ込み、意識を失っているセルヴス。彼のもとへ、ゲルエイは無造作に歩み寄った。
「あんたの運勢、占ってやろうか?」
軽口を叩くゲルエイが掲げているのは、
「……いや、占うまでもないね。あんたを待っているのは『死』だ」
眠り込んでいるセルヴスには聞こえないのを承知の上で、いつもの決め台詞を口にしながら……。
ゲルエイは、重い凶器と化した水晶玉を勢いよく振り下ろし、セルヴスの頭をグシャリと叩き割るのだった。
そして。
近くの物陰に隠れて、一部始終を見届けていたモノクが、小声で宣言する。
「依頼は実行された。これで完全に……」
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