第二十二話 知ってしまった巫女(前編)
その夜。
自分一人しかいない部屋で、いつもと同じくらいの時間に、アデリナ・オレイクはベッドへ入った。
「今日は凄い一日だったわ……」
と、総括するように口にしてから、目を閉じる。
改めて思い返してみても、本当に『凄い一日』だったのだ。
初心に戻る意味で始めた庭掃除。ところが占い屋がやって来て、もう『初心』なんて吹き飛んでしまった。なんと占い屋は、アデリナが夢の中で――勇者様の世界で――出会った少年を、生きた人間として、目の前に連れて来てくれたのだから!
あまりにも興奮したアデリナは、夕食の席でも喋りまくっていたのだが、
「しかも、その少年は、私にプレゼントをくださったのです。彼の生まれ故郷に伝わる、大切な……」
「ほう、それは良かったですね」
と、僧官長モナクス・サントスが、途中で遮ってしまう。
そのプレゼントは勇者様の世界のお守りを模したものらしい、という点こそが話の肝だったのに、そこまで言わせてもらえなかった。
だがアデリナは、モナクスが少し呆れたような目をしていることに気づいたため、そこで黙るしかなかった。食事中の歓談にしては、自分は一方的すぎたのだろう、と反省しながら。
僧官長とは対照的に、巫女長のカルロータ・コロストラは、アデリナと一緒になって喜んでくれたようだった。
彼女はアデリナに、温かく笑いかける。
「フフフ……。アデリナったら、まるで恋する乙女みたいですわ」
「恋する乙女……?」
一瞬、カルロータの言っている意味がわからなくて、キョトンとした顔で聞き返してしまうアデリナ。
だが、すぐに理解して。
「嫌ですわ、お姉様。私は勇者様にお仕えする、一人の巫女です。恋人なんて作る気はございません」
バタバタと手を振って、大げさに否定するのだが……。
「あら、あなたも知っているでしょう? 巫女は恋愛禁止というわけではないのですよ。勇者様に仕える清らかな乙女ですから、必要なのは純潔です。プラトニックな交際を続けるのでしたら、特に問題はなく……。ほら、見てごらんなさい」
カルロータは、アデリナの視線を誘導するように首を動かしながら、ぐるりと大広間を見渡した。
「この場に今、どれくらいの恋人カップルが存在するのかしら?」
その声は、長テーブルで食事する若い巫女や僧官たちにまで、しっかりと届いていたらしい。
カルロータの言葉にクスクス笑いを見せる者だけでなく、恐れ入ったように縮こまる者もいたのだが……。後者は必ずと言っていいほど、一人ではなく、隣同士で座る男女二人組。これでは、若い恋人たちが炙り出されたようなものだった。
夜のベッドの中で目を閉じたまま、夕食の席での出来事を思い出すアデリナ。
カルロータには『恋する乙女』と言われたものの、アデリナ自身は、自分の気持ちを恋愛感情とは考えていなかった。
あの少年は、いわば同志。彼に対する気持ちは、強い仲間意識だったはず。
占い屋は「似たような夢を見た者が他にもいるかもしれない」と言っていたが、少なくとも今のところは、アデリナと彼の二人しか見つかっていないのだから。
そう、四つの大陸が存在する広い世界で、たったの二人だけなのだ。しかも、同じような年頃の男女が二人……。
アデリナ自身も気づかぬまま、少し頬が赤くなる。
もともと寺院にいる男たちは少数であり、その僧官たちとも、特別に親しいわけではなかった。だから寺院の中で男性と話をする機会は少なく、アデリナには、恋とか愛とか難しいことはわからない。そんなアデリナでも、あの少年が自分を好いていることくらい、きちんと感じ取っていた。それこそ、大切な『お守り』をプレゼントしてくれたほどなのだから。
勇者様の世界のお守りを模したもの……。ならば、枕元の神棚に供えよう。最初アデリナは、そう考えていたのだが。
ふと気が変わって。
結局、肌身離さず持っておくことにした。
だから今、こうして眠る時も、少年からのプレゼントは、寝間着の懐の中に入れてあるのだった。
そうすると、勇者様の存在だけでなく、プレゼントしてくれた少年のことまで、とても身近に感じられるのだ……。
――――――――――――
「ここは……?」
ふと気づけば、アデリナは、夜の草原を見下ろしていた。空に浮かんで、上から俯瞰的に眺めていた。
雲間から覗く月明かりだけが光源となる、暗い闇の中。一帯に生える緑の草が風にそよいでいる様が、かろうじて見えていた。
サウザの街には、このような場所はなかったはず。また、これまでアデリナが暮らしてきた土地でも、見覚えのない景色だった。
ああ、夢を見ているのだ、とアデリナは自覚できた。
その夢の中で、アデリナの視界に入るのは、一面の緑だけではなかった。
数人の男たちが、何やら争っていたのだ。
一人は黒装束に身を包み、顔にも墨を塗っている。夜の闇に紛れようという強い意思が感じられて、いかにも悪人に思えた。
それを取り囲む男たちは、立派な騎士鎧を着込んでいる。どこぞの都市警備騎士団なのか王都守護騎士団なのか、そこまでアデリナには判別つかない。だが少なくとも、黒装束とは対照的に、見るからに正義の騎士団だった。
実際、騎士たちは、それらしき言葉を発している。
「ついに追い詰めたぞ、殺し屋!」
「これが貴様の最後だ、いや最期だ!」
「大悪党め! もう逃げられんと思え!」
「観念しろ、『七色の魔術小僧』!」
ここに至るまでの間に、かなりの苦労があったに違いない。騎士たちは、ゼイゼイと激しく肩で息をしている。それでも皆、しっかりと剣を構えて、キッと標的を睨みつけていた。
彼らの発言を信じる限り、中央の黒装束は、『七色の魔術小僧』と呼ばれる暗殺者。名前からすると魔法使いのようだが、体術にも長けているらしく……。
「行くぞっ!」
気合いの叫びと共に、一人の騎士が斬り込んでいった時。
黒装束は、その剣をひらりとかわしてしまう。続いて、呪文らしき言葉を口にした。
「ヴェントス・イクト・フォルティシマム!」
すると黒装束を中心に、嵐のような強風が吹き荒れて、周りの騎士たちは全員、吹き飛ばされてしまった。
「くっ……!」
彼らとて、屈強な騎士団。すぐに立ち上がって、戦闘態勢を取り戻そうとしたのだが。
それよりも早く、魔法の追撃を受けてしまう。
「ラクタ・ラピス・フォルティテル!」
ある者は、巨大な投石に押し潰されて……。
「フルグル・フェリット・フォルティテル!」
ある者は、強烈な雷を浴びて黒焦げとなって……。
「イアチェラン・グラーチェス・フォルティテル!」
ある者は、氷塊に閉じ込められると同時に粉々に砕けて……。
騎士たちが各個撃破されていくのに、さほど時間はかからなかった。
そして、最後に残った一人も、
「アルデント・イーニェ・フォルティシマム!」
何者をも燃やし尽くすような炎に包まれて、悲鳴を上げる暇もなく、火達磨となるのだった。
「ふん、あっけない連中だ。勇ましいのは、口だけじゃねえか」
余裕の言葉を吐き捨てながら、黒装束は、燃え盛る死体に歩み寄る。
それはキャンプファイヤーのように周囲を赤々と照らしており、その一帯だけは、夜の闇も存在していなかった。
だから。
黒く塗られていたとはいえ、男の顔も、ハッキリと見えたのだった。
「まさか……。そんな……」
明かされたのは、アデリナの想像も及ばない真実。
いくら墨でカバーされていても、見間違えるはずがなかった。毎日、飽きるほど目にしてきた顔なのだから。
黒装束の殺し屋、その正体は……。
アデリナの――神託の巫女の――従者であるはずの男、セルヴス・マガーニャだったのだ。
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