第二十三話 知ってしまった巫女(中編)
「セルヴス!」
自分の叫び声と共に目が覚めて。
アデリナ・オレイクは、弾かれたように、ガバッと上半身を起こしていた。
「まさか……。そんな……」
夢の中と全く同じセリフを口にしてから、驚きで大きく見開いた目を、上下左右に動かす。
もはや、夜の草原ではなかった。いや、窓から月明かりが差し込むだけの薄暗い夜であることに変わりはないが、それでも、ここは慣れ親しんだ自分の部屋だった。
「つまり、あれは夢……」
背中はグッショリと濡れているけれど、ただの寝汗とは思えなかった。それほど酷く寝汗をかくようなタイプではないので、これは冷や汗に違いない。
悪夢を見て、深夜に目覚めてしまった……。
そう考えることも出来るのだが。
「いいえ、違うわ。この感覚は……」
妙に印象に残り、起きた時点で内容を鮮明に覚えていて。
夢特有の、荒唐無稽で矛盾した描写がなくて。
しかも、そこに明らかなメッセージが感じられる……。
「……新しい神託だわ。勇者様が伝えてくださったのは、将来セルヴスが殺し屋として騎士様たちに害をなす、ということ。だから止めなければならない、というメッセージなのね」
アデリナは、そう結論づけるのだった。
実際のところ。
今回の夢も、天井裏に隠れているセルヴス・マガーニャが探査魔法プロベーを詠唱した結果であり、そこまでは従来の『神託』と同じだったのだが……。
そもそも今日のアデリナは、ゲルエイ・ドゥや
だがセルヴスの頑張りも、そこまでだった。狙っていた大商人の屋敷へ飛ばすことには、失敗してしまった。激しく念じていたセルヴスの強い意思が、おかしな形で反映されてしまったらしく、アデリナの魂は、セルヴス自身に引っ張られてしまった。その結果、過去のセルヴスのところへ行き、当時の彼の所業を覗く形になったのだった。
そう、未来ではなく過去だった。彼の過去を知らないアデリナは、あれを『将来』だと思ってしまったが、ただ単に、殺し屋時代のセルヴスの日常を垣間見たに過ぎなかったのだ。
「ヴェントス・イクト・フォルティシマム……。ラクタ・ラピス・フォルティテル……。フルグル・フェリット・フォルティテル……。イアチェラン・グラーチェス・フォルティテル……。アルデント・イーニェ・フォルティシマム……」
暗い部屋の中で、ブツブツと呟くアデリナ。
魔法なんて詳しくないはずなのに、夢に出てきた呪文を、一字一句間違えずに言えるほど、完全に覚えていた。もしもアデリナに魔法使いの素養があったならば、ここで魔法が発動して、大変な事態に陥っていたかもしれない。それくらい完璧な呪文詠唱だった。
そして。
知らないはずの言葉が明確な形で出てきて、しかも目覚めた後でも覚えている。まるで知識が増えたように。
改めてアデリナは、今の悪夢が単なる夢ではなく、神託だったのだと確信してしまう。
「これが本当に呪文の詠唱文句なのかどうか。それは朝になってから調べるとして……」
とりあえず、こんな夜中に資料を漁ることは不可能だし、魔法に詳しそうな人に尋ねるのも無理。だが、今すぐにでも出来ることがある、とアデリナは思った。
「私の従者が道を誤って、あんなことをしでかす前に……。まずは、信頼できる人に相談するべきでしょうね」
正式な管轄としては、セルヴスの面倒を見るのは、僧官長であるモナクス・サントスだ。しかしアデリナは巫女であり、今の時間に、僧官たちの眠る西棟――男性用の寄宿舎――へ立ち入るわけにはいかなかった。いくら真面目な用件であっても、誰かに目撃されたら、夜這いか何かだと誤解されてしまう。
だから、今できるのは、個人的な相談だけ。その相談相手として思い浮かぶのは、たった一人。最も信頼できる巫女、つまり巫女長のカルロータ・コロストラだった。
寝間着の上から、薄手のナイトガウン一枚を羽織った格好で。
「こんな夜中にお姉様の眠りを妨げるなんて、失礼でもあり、ご迷惑でしょうけど……。でも緊急事態よね、これは」
そう自分に言い聞かせながら、巫女の寄宿舎の廊下を進むアデリナ。他の巫女たちを起こさないために、なるべく足音を立てないよう注意しながら、しずしずと歩いていく。
巫女長の部屋は、この東棟の一番奥。自室で夜遅くまで仕事や調べ物をしても大丈夫なように、他の巫女たちの部屋からは、かなり離れた場所に設置されていた。
「部屋に帰ってまで仕事……。今まで不思議だったけど、こういうケースを想定していたのかしら」
巫女を束ねる立場にある巫女長だ。カルロータのところに、巫女が色々と相談に訪れる場合もあるのだろう。もしも話が長引いて夜遅くなっても、しかも話し声が少しくらい大きくなっても、他の部屋には迷惑がかからないように、という配慮なのかもしれない。
これまで想像したこともない、巫女長の立場に思いを馳せながら。
アデリナが、もはや左右に部屋も並んでいない廊下を歩き続けると……。
「あら……?」
ようやく見えてきた、カルロータの個室。真っ暗な廊下のはずなのに、そこだけは少し明るい気がする。扉の隙間から、室内の魔法灯の光が漏れているのだった。
「凄いわ、お姉様。こんな時間まで、起きて働いていらっしゃる……」
カルロータに対する尊敬の念を強めながら、扉の前まで進んだ時。
それが、アデリナの耳に入ってきた。
「ああぁっ!」
室内からの大声に、ビクッとするアデリナ。
ドアをノックしようとしていたのに、思わず硬直してしまい、その手が止まるほどだった。
いや、もしも悲鳴ならば、それこそ「何事ですか?」とか「大丈夫ですか?」とか叫びながら、扉を蹴破ってでも突入するべき場面だろう。
だが、敢えてアデリナがそうしなかったのは、どうも『悲鳴』とは違う
扉の前で、アデリナが立ちすくむ間に。
「大声は控えろ、カルロータ」
続いて部屋の中から聞こえてきたのは、明らかに男の声だった。
なぜ、と頭の中がパニックになるアデリナ。
同時に、無意識のうちに冷静な部分もあったらしく、アデリナは耳を扉に押し当てて、室内の物音を拾おうとする。
その結果。
アデリナの耳に入ってきた会話は……。
「あら、いいじゃないの。もう小娘たちは眠ってる時間よ。いくら騒いだって、聞こえやしないわ」
「大声で飛び起きるかもしれない、とは思わないのか?」
「心配性ねえ、あなたは……。あたしの部屋なのよ、ここは」
いったい誰が喋っているのだ、と思うくらいに口調は違うのだが……。
それは間違いなく、ずっとアデリナが尊敬と親愛の念を向けてきた『お姉様』、つまりカルロータの声だった。
「僧官長の権限で、ここに巫女長の部屋を用意してくれたのは、他でもない、あなたじゃないの。小娘たちの部屋から遠く離れたこの場所なら、どんなにあたしが喘ぎ声を上げても大丈夫、ってことで」
クスクスと笑う声が続いたが、それもアデリナの知る上品な笑い方とは全く違っていて、酷く低俗に聞こえてしまう。
「……あなたとあたしが、肉欲に溺れるための部屋なのよ、ここは」
ここまで聞けば、若いアデリナにも、色々と理解できてしまう。
まず最初に聞こえた大きな声は、恐ろしさや苦しみからの叫びではなく、快楽に打ち震えて漏れた淫声だった、ということ。
ちょうど今日の夕食の場でも、「巫女は勇者様に仕える清らかな乙女だから、純潔を保ったままのプラトニックな交際のみが許される」と言っていたカルロータなのに……。
巫女たちの模範として規則を守るべき巫女長が、それを破って、寝室に男を引っ張り込んでいたとは!
しかも、その相手は、僧官長のモナクス。いつも柔和な笑みを浮かべて人々を導いてきた彼が、夜は肉欲の
これだけでもアデリナには、十分に大きなショックだった。しかし、まだまだ序の口。ドア越しに聞こえる衝撃的な会話は、さらに続くのだった。
「いや、気を緩めてはならんぞ。離れているとはいえ、完全に孤立した部屋ではないのだ。いつ巫女どもが近づいてくるとも限らん」
「あらあら。あなたってば、ずいぶんと慎重ねえ」
「カルロータ、忘れたわけではあるまい。お前の迂闊な言動から秘密が漏れてしまい、やむなく始末することになった娘たち……」
「ああ、今までの『神託の巫女』たちのこと? 愚かな小娘たちよねえ」
ここでカルロータは、カラカラと声を上げて笑う。
ひとしきり笑った後の言葉にも、まだ嘲笑しているような響きが残っていた。
「あいつらみんな、しょせんセルヴスの魔法で操られていただけなのにね。それを勇者が見せた『神託』だなんて思い込んで……」
「そう彼女たちを馬鹿にするものではない。そのように思い込ませたのは、他ならぬ私たちではないか。それに、彼女たちのおかげで入信者も増えたのだぞ」
「信者ねえ。それよりも……。たんまりと稼がせてもらったことに、感謝したいくらいだわ」
ここで少しだけ、カルロータの口調が変わる。愚かな娘たちの思い出話から、少し真面目な話に頭を切り替えたらしい。
「アデリナも、そんな娘たちの一人。ちょうど今ごろ、魔法で魂だけを飛ばされて、大商人の屋敷を探らされてる、って寸法ね」
「うむ、そうだろうな。アデリナ本人は、勇者様からの神託だと思っているのだ。幸せな夢の中ということで、良いではないか」
「大丈夫かしら。最近のセルヴスったら、狙いを外してばかりだけど……。今度こそ上手くいくといいわね。そろそろまた、金持ちのところに押し入って、大金をせしめたいものだわ」
「すっかり悪党の口ぶりになったな、カルロータ。ただの娼婦だったお前が、今では、まるで立派な強盗ではないか……」
アデリナは、それほど賢い娘ではなく、頭の回転が速いわけでもない。
しかし、モナクスとカルロータの会話の意味が理解できないほど、愚かでも馬鹿でもなかった。
この寺院における、神託の巫女の正体。
先代までの神託の巫女の、早逝の真相。
偽りの神託の巫女が、用意された意味。
魔法を利用して作り出された偽物であるならば、『神託の巫女』が、この寺院だけに次々と出現したのも当然だろう。
また「人の身で神託を授かることは過度の負担になり得るので、寿命が短くなるのも仕方がない」という説明を、アデリナは素直に受け入れてきたのに、本当はカルロータたちに殺されていたなんて……。
それに『神託』が押し込み強盗に利用されていたというのも、大きなショックだ。確かに、『神託』で大金の所在を見た後に「あんな場所に隠すべきではない、と勇者様が教えてくださいました」と伝えに行くと、ギリギリで手遅れとなる場合が多かった。それがカルロータたちの犯行だったとは……!
今夜、この場所で。
わずかな時間に、アデリナは、何度も驚愕することになった。
最初の驚きは、体の動きを止めてしまうほどだったが、最後のこれは、逆の効果をもたらすものとなった。
思わず、ガバッと扉から跳び
同時に。
自分でも意識することなく。
彼女の口からは、魂の叫びが漏れ出るのだった。
「酷い……。酷いわ! 私、信じてたのに!」
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