第二十一話 巫女の従者と僧官長

   

 走りの月の第六、草木の日。

 神託の巫女であるはずのアデリナ・オレイクが、まるで新米ルーキー巫女のように裏庭の掃除に出たり、そのアデリナに来客があったり。

 少しバタバタと、落ち着かない空気も漂う一日となったが……。

 僧官長のモナクス・サントスにとっては、執務室で事務仕事をこなす、いつも通りの一日だった。

 ……表向きは。


「遅いな……」

 ふと呟いたモナクスは、書類から顔を上げて、椅子から立ち上がる。そして窓辺へと歩み寄ると、外の景色に目をやった。

 執務室の窓から見えるのは、寺院の奥に作られた小さな庭。『奥の庭』とも呼ばれる場所であり、ちょうど建物に挟まれて、参拝客が入って来られない配置になっていた。

 左右それぞれの大木と、それに連なる茂みで囲まれた、それほど広くないスペース。だがモナクスは、この平凡な庭園の眺めが好きだった。

 誰もおらず、執務室から見えるというだけで、僧官長一人のために作られた庭だと思えるのだ。それに、左右に一本ずつ大木が植えられているという造形も、寺院門の二本の柱を模しているように見えてしまう。

 モナクスは僧官長という立場を活かして、勇者伝説の資料を――下級の僧官や一般人では目を通すことの出来ない貴重な文献を――読み漁っているため、寺院門が勇者の世界の『鳥居』という構造物を真似て作られていることも、きちんと理解しているのだった。

 そんなお気に入りの庭から視線を上げると、昼間の青空ではなく、すでに夕焼けの色に変わっていた。

「うむ。やはり、もう夕方か……」

 使いに出した男が帰ってこないのを、モナクスは心配していたのだが。

 ちょうど、このタイミングで。

 トントン、と扉をノックする音。

 ようやく戻ってきたのか。そう思いながらも、別の誰かである可能性も考えて、モナクスは、優しげな声で応じた。

「どうぞ、お入りなさい」

 開いたドアから姿を見せたのは、寺院で働く僧官の一人。確認した途端、モナクスの口調が変わる。

「遅かったな、セルヴス。それで、首尾は?」

 一応、尋ねてはみたものの、その表情を見れば、答えは聞くまでもない気がした。

 セルヴス・マガーニャは、それほど苦々しい顔をしていたのだ。


 今日この執務室をセルヴスが訪れるのは、これで三回目だった。

 最初は、アデリナが勝手に庭掃除に向かった、という報告。

 その中でモナクスは、彼女が神託の巫女としての自信を失っていることや、対策として次の『神託』が必要だというセルヴスの提案を聞かされる。

 神託の巫女としてのプライドの問題、というセルヴスの説明は理にかなっていたが、それを言うのであれば、モナクスにも僧官長としての矜持がある。アデリナに対して「私が調べておく」と告げた以上、勇者の世界の夢をどう解釈するのか、そこが解決するまでは、話を先に進めたくはなかったのだ。

 もともと暗殺者であるセルヴスとは違って、モナクスが悪事に加担しているのは、寺院における出世のために過ぎない。僧官として上を目指しているだけであり、あくまでも本質は一人の宗教家なのだ、という自負があった。

 しかしセルヴスに押し切られる形で、了承せざるを得なかったのだが……。

 続いて、二回目。今度は、占い屋がアデリナを訪ねてきた、という報告だ。

 街の占い屋にアデリナが相談を持ちかけたこと自体は、セルヴスと同じくモナクスも、歓迎できる話とは思っていなかった。しかし驚いたことに、その占い屋が、勇者の世界の夢に関して解決してくれたのだという。根拠となる証人まで連れてきたのだという。

 自分で解決できなかったことは悔しいが、それでもモナクスは、これを朗報と受け取った。セルヴスの言う通り、今夜アデリナに新しい『神託』を与える上で、障害が一つ消えたのだ。

 しかし。

 さらなるセルヴスの解説を聞くうちに、モナクスの喜びは不安に変わった。

 占い屋の『証人』が本物であれ偽物であれ、どちらにせよ、背後に何らかの陰謀が存在する可能性が濃厚なのだから。

「ならば、セルヴス! その二人を尾行せよ! 背後関係を調べ出せ!」

「はい。俺も、そのつもりでここへ来ました。とりあえず今日は、やつらの後を追って、住処すみかを突き止めます。詳しい調査は、後日ということで」

「うむ、それでよい。あるいは、帰路で誰かと接触するかもしれん。よく見張っておけ」

 従者であるセルヴスの不在をアデリナが不審に思わないように、僧官長としてモナクスが、彼を使いに出したことにして……。

 そして今、三回目。

 セルヴスは報告に戻ってきたのだった。


「申し訳ありません。まかれてしまいました」

「ほう、お前らしくもない。意外なこともあるものだな。たかが占い屋の尾行ひとつ、満足に出来ないとは……」

 もちろんモナクスは、すでに表情から答えを察していた。だが、つい嫌味を口にしたくなったのだ。

「いや、言い訳するつもりはないんですが……」

 それでも詳細を報告するのは義務だと言わんばかりに、顛末を語るセルヴス。

 街の北側、つまり金持ちではなく貧乏人が暮らす地域まで、標的の二人は歩き続けた。途中で尾行に気づいた様子もなかったのに、本屋へ寄り道したところで、問題が発生。いくら待っても、二人は店から出てこなかったのだ。

「最初は、近くの商家の軒下から様子を見てたんですが……。さすがにおかしいと思って、俺も本屋へ入ってみたんです。でも二人の姿は、もう影も形もありませんでした」

「ふむ。その店の者には、何か尋ねてみたのか?」

「いやいや、そんなことはしませんよ。モナクス様、寺院の僧官の格好をした俺が、そこで占い屋のことを聞いて回ったら、それこそ怪しいじゃないですか」

 任務失敗の立場でありながら、セルヴスは、呆れたような目をモナクスに返す。

 なるほど、彼の言う通りだとモナクスも思った。セルヴスは根っからの悪党だけあって、さすがに細かいところにまで頭が回る。おそらく、適当に本を物色するふりをして、店内を見て回るに留めたのだろう。

「しかし、モナクス様。収穫もありましたぜ。どうやら、あの二人とつるんでいる者が一人、浮かび上がってきましたから」

「本当か! もう黒幕がわかったのか?」

 モナクスの言葉には、自分でも思っていなかったほどの、熱い勢いが込められていたらしい。

 セルヴスは口元に笑みを浮かべながら、まるでストップをかけるかのように、両手を前に突き出していた。

「そう急かさないでください。まだ『黒幕』とまでは行きませんぜ。ただ、帰り道で接触してきたやつがいるんでね。少なくとも、仲間の一人であることは間違いないでしょう」

 続いてセルヴスが語ったのは、一人の女が往来の真ん中で、よろけて二人にぶつかりそうになったという出来事だった。

「偶然の衝突を装っていましたが、俺の目は誤魔化せません。あれは、ああやって二人に話しかけたんですぜ。おそらく、俺の尾行のことを知らせたんでしょうね」

 気づかれなかったはずの巧妙な尾行を知られてしまったのは、これが原因だ。そんなニュアンスも、セルヴスの発言には含まれていた。

「しかも、その接触してきた問題の人物とは……。前に話した、例の『黒い炎の鉤爪使い』でした」


 もったいぶった口ぶりのセルヴス。

 劇的な効果を狙ったのかもしれないが、モナクスは、感嘆するわけにはいかなかった。

「ほう、『黒い炎の鉤爪使い』か……。つまり、先日お前が『始末する』と言ってのけた相手だな?」

「無理を言わないでください、モナクス様」

 痛いところを突かれた、という表情になりながらも、セルヴスは抗弁する。

「今日の俺は、二人を尾行している途中でしたし、そっちが優先でしたからね。でも、あの女が次に顔を出した時には、必ず仕留めてみせますぜ」

 続いてセルヴスは、少し話題を変えるようにして、言葉を続けた。

「俺は最初、あの占い屋たちのことを、他の寺院や教会神教の回し者かもしれないと思ったんですが……」

 言われるまでもない。セルヴスから陰謀の影があると聞かされた時、モナクスも同じように考えていた。問題の少年関連で何らかのたくらみがあるのだとしたら、自分たちと同じような悪巧みを始めた競合ライバル集団なのだろう、と。

「……でも『黒い炎の鉤爪使い』が関わってるなら、そういう計画とは無縁でしょう。なにしろ青臭い正義感の持ち主ですからね」

「正義の味方を自称する殺し屋か……」

 モナクスから見ると、信じがたいほど矛盾しているのだが、同じ殺し屋であるセルヴスが言い切る以上、そういう存在もあるのだろう。自分の理解を超えた世界だ、とモナクスは思う。

「ならば、どういうことだ? そんな奇特な殺し屋を雇っている黒幕とは……?」

「黒幕は悪者ではない、ってことです。おそらく、俺たちのやってることが、どこかからバレて……。それを悪事と断じて、上が問題視し始めたんじゃないでしょうか? それで、探りを入れに来たのでは?」

「ふむ。そんな兆候はないはずだが……」

 秘密の露見云々に関しては断言できないが、少なくとも、上層部に目をつけられた様子はない、とモナクスは言いたかった。

 僧官長としてモナクスは、僧官長同士の集まりに出席したり、本部の幹部連中と顔を合わせたりしている。特にモナクスは、何よりも出世を最優先にしているため、本部の人間を接待することも多かった。だから、それらしき話があるならば、早々と耳に入ってくるはずだった。

「まあ、良い。とにかく、少しでも収穫があったというのであれば、今回は良しとしよう。尾行をまかれたことは、許すぞ」

 モナクスは、そろそろ話を切り上げることにした。いつまでも話し続けるわけにはいかない、と思ったのだ。

 表向きは、僧官長の用事で送り出したセルヴスが戻ってきた、というだけ。だから、あまり長々と二人で執務室にこもって話し合うのは、少し不自然だった。

「では、セルヴス。予定通り、今夜、アデリナに次の『神託』を与えよ」

「はい、打ち合わせ通りに。今度こそ、金持ちの屋敷に魂を飛ばしてみせますぜ」

 そう言って、セルヴスは去っていったのだが……。


 しかし、この時。

 モナクスもセルヴスも、理解していなかったのだ。

 今夜のアデリナの精神状態を。

 夢で見た少年と現実の世界で顔を合わせたアデリナは、興奮したまま眠ることになるのだ、という事実を。

 そんなアデリナに探査魔法プロベーをかけたところで、はたしてセルヴスの狙い通りの効果が発揮されるのか、という問題を。

   

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