第二十話 巫女と出会った帰り道

   

「ところで、ゲルエイさん」

 みやこケンは、アデリナ・オレイクにお守りを渡した場面を思い返すうちに、あの時のゲルエイ・ドゥの態度も思い出していた。

 話を振っても口裏を合わせてくれなかったり、妙に意味深長な言い方だったり。

 おそらく、ゲルエイは……。

 自分の想像に基づいて、ケンは提案してみる。

「アデリナさんだけでなく、やっぱりゲルエイさんも、僕の世界のお守りに興味あります? それなら次に来る時、また同じものを持ってきましょうか?」


 アデリナに渡してしまった、病気平癒のお守り。渡してしまったのだから、今回、この世界に残して帰ることになるのだが……。元の世界に戻れば、全く同じものが、相変わらず存在しているはずだった。

 なぜならば。

 ケンをこの世界に呼び出しているのは、召喚魔法アドヴォカビトだ。そして、この魔法は帰還の際、元の世界では全く時間が進んでおらず姿形もそのまま、という状態で送り返すことになる。

 ポイントは、この『姿形もそのまま』という点だった。

 ケンは今回、お守りをポケットに入れた状態で召喚されてきたので、たとえ異世界に残したとしても、戻った時には、またポケットの中にお守りが存在していることになる。

 結果的に、一つの物体が同時に二つの世界に存在する形になるので、ケンはこれを『召喚複製現象』と名付けていた。

 もちろん机上の空論ではなく、今までに何度も確認済みの現象だ。例えば、ケンが裏仕事で武器にするルアー竿ロッド。こちらの世界ではゲルエイの家の押入れに保管されているが、全く同じものが、元の世界でケンの家にも存在し続けている。

 同じ仕組みで、今回のお守りだって、いくらでも複製して持ち込めるはずだった。


「そうだねえ。健康にいい、っていうなら、あたしも一つ、もらっておこうかねえ?」

 涼しい顔でゲルエイが答えるものだから、思わずケンは笑ってしまった。

「いやいやいや……。そういう意味じゃなくて、勇者伝説に関心あるゲルエイさんなら、僕の世界のものにも興味あるかと思って」

 裏稼業の仲間であるケンは、すでにゲルエイの正体を知らされている。

 パッと見た感じでは二十歳くらいのゲルエイだが、実年齢は百歳をオーバーしていた。二十九歳の時、不老の魔術を自分に対して行使したため、ゲルエイの肉体年齢はその時点で止まっているのだ。

 あくまでも『不老』の魔術であって『不死』ではないので、不老不死の化け物というわけではない。だが、それでも彼女は、病気平癒や健康祈願からは最も縁遠い人間ではないか、とケンは思ってしまうのだった。


「ああ、そうだね。その意味でも、あたしゃ『お守り』とやらに興味あるよ」

 と、ゲルエイが素直に認めたところで、この話題は一段落。

 ケンは前方へと向き直ったのだが、そこで、見覚えのある姿が視界に入ってくる。

「おや……? ねえ、ゲルエイさん。向こうから来るのって、モノクお姉さんですよね?」

「ああ、そうみたいだね。いつもの殺し屋の仕事着とは違うけど」

 ケンの言うところの『モノクお姉さん』、つまりモノク・ローに対して、前々からゲルエイは、名前ではなく『殺し屋』と呼びかけていた。

 二人にとってのモノクは、あくまでも裏仕事の仲間。チームの正式なメンバーではないものの、ここ地方都市サウザで復讐屋ウルチシェンス・ドミヌスとして活動する際は、いつもモノクが一緒だった。だから、もう仲間と言っても構わないだろう。

 今ゲルエイが『いつもの殺し屋の仕事着』と言ったのも、裏の仕事でモノクが着る黒装束のことであり、オモテの顔であるナイフ投げの芸人――通称『投げナイフの美女』――の衣装のことではなかった。

 今日のモノクは、ケンやゲルエイの見慣れぬ私服姿だ。黒いブラウスと裾の長いオレンジ色のスカートという格好であり、炎のように逆立つ赤髪や、褐色がかった肌は少し目立つとしても、それでも普通に、罪のない一般市民に溶け込んでいた。

「いいかい、ケン坊。あたしたちは、赤の他人だよ」

「わかっています。オモテでは僕たち、面識ないですからね」

 すれ違っても、挨拶一つ交わしてはならない。ケンもゲルエイも、そのつもりだったのだが……。

 目を合わすこともないまま、モノクが二人の横を、通り過ぎようとした時だった。

「おっと……」

 よろけた彼女が、こちらに倒れ込んできたのだ!


 かろうじて、衝突だけは避けられたのだが。

「申し訳ない。ちょっと足がもつれてしまい……」

 ぶつかりそうになったモノクは、ゲルエイに対して、謝罪の言葉を口にする。

「ああ、気にすることはないよ。大丈夫だったかい?」

「ええ、ちょっとしためまいですから。よくあることです」

 ゲルエイもモノクも、よそよそしく振る舞っている。

「いやいや、めまいったって、馬鹿にしちゃいけない。あんまり頻繁に起こるようなら、治療院で診てもらった方がいいよ。あるいは、あたしの占い屋で占ってやろうかねえ?」

「やめてください、ゲルエイさん。こんな往来の真ん中で客引きなんて、恥ずかしいじゃないですか……」

 と、ケンがゲルエイを注意している間に。

 他人の顔をしたモノクは、歩き去ってしまう。

 ただ、それだけだった。

 しかし。

 ゲルエイの横にいたケンには、ハッキリと聞こえたのだった。

 この一瞬の交錯の間に、モノクがゲルエイに耳打ちした言葉。それは……。

「貴様たち、つけられているぞ。坊主頭の小柄な男だ」


「ゲルエイさん……!」

「しっ! 振り向いちゃいけないよ、ケン坊」

 モノクの言葉に対して、過敏な反応を示しそうになるケンを、きっちりとゲルエイが制止する。

「あっ、すいません」

 周りから見てもわからないよう、ケンは頭を下げることはせず、ただ小声で謝った。

 確かに、ゲルエイの言う通りだった。

 ここで慌ててキョロキョロしたら、こちらが尾行に気づいことを、相手に知らせるだけだ。せっかくモノクが、こっそりと教えてくれたのだから、何も気づかない様を装った方がいい。

 尾行者の正体が気にならない、といったら嘘になるが、どうしても知りたいのであれば、後でモノクに尋ねればいいだろう。少なくとも外見だけは把握しているはずであり、詳しく教えてくれるに違いない。

 とはいえ。

 このままでは、ゲルエイの住処すみかである第三貧乏長屋まで、尾行者を案内することになってしまう。それはそれで問題だから、途中で対処しないと……。

 そこまでケンが考えた時。

「なあ、ケン坊。ちょっと帰りに、本屋へ寄って行こうと思うんだが……。構わないかね?」

「本屋……ですか?」

 話しかけてきたゲルエイの口調が、いつもと少し違うように感じられた。こんなふうに、わざわざ許可を取るような言い方をする人だっただろうか。

「行きつけの本屋があってね。あたしゃ常連客だから、いつもは裏口から出入りするんだよ。その方が、あたしの長屋には近いからね」

 わざとらしい説明台詞だ。

「でも、たまには正面から入るのもいいだろうさ。特に今日は、あたし一人じゃなくて、ケン坊が一緒だからねえ」

「大丈夫ですよ、ゲルエイさん。十分わかりましたから。僕は大人しく、ゲルエイさんに従います」

 言葉としては『ケン坊が一緒だから』だったが、むしろ『尾行者が一緒だから』と言いたいのだろう。つまり、その本屋を利用して、そこで尾行をまくつもりなのだ。

 そう理解して。

 ケンは、ニヤリと笑うのだった。

   

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