第十七話 少年と巫女(中編)

   

 この男は誰なのだろう、と思うみやこケンの前で。

 坊主頭の彼に対して、アデリナ・オレイクが、親しげに話しかけていた。

「あら、あなたが運んできてくれたのね」

「はい、アデリナ様。そろそろ様子を見ようと思って裏庭へ行ってみたところ、アデリナ様の姿はなく、その場の巫女たちから『神託に関する件で占い屋が来た』と聞かされまして……」

 男は、チラッとだけゲルエイ・ドゥに視線を向けてから、再びアデリナへの言葉を続ける。

「……ならば、ここだと思いましてね。ちょうど廊下で、お茶を運ぶ巫女と出会いましたから、私が代わりに」

 二人の会話を耳にして、ケンは想像する。ならば、この男は茶坊主のようなものだろうか、と。

「ああ、お茶なんだね。助かったよ。ワインかビールだったら、ケン坊が飲めないから困るところだった」

「占い屋さん……。ここは神聖な寺院ですからね? どんな来客に対しても、アルコールを提供することはございません」

 ゲルエイの呟きに対して、少し呆れたような口調で対応するアデリナ。

 その間に坊主頭は、ゲルエイとケン、それにアデリナの前にコップを置き、お茶を注いでいた。お茶といっても緑茶ではなく紅茶だが、とても良い香りが立ち込めるので、高級な茶葉を用いているに違いない。

 だが、それよりも。

 ケンにとって重要なのは、そのまま男が、アデリナの隣に腰を下ろしたことだった。給仕をしたら立ち去るものだと、ケンは勝手に思っていたのに。

「あら、あなたの分はないのね?」

「先ほど申し上げたように、巫女が運んできたのを代わっただけですからね。用意した時点では、私も参加するとは計算されていなかったのでしょう」

 アデリナは、隣の男と言葉を交わした後。

 ケンの不思議そうな視線に気づいたらしい。

「あら、紹介を忘れていましたわね。占い屋さんは面識あるから、もう必要ないとしても……」

 ケンに対して、アデリナは微笑みを向ける。ゲルエイにではなく、ケンのために紹介するのだ、という意味で。

「……こちらはセルヴス。私の従者ですわ」

「セルヴス・マガーニャです」

 短く名乗った男は、外見だけ見れば好青年なのだが……。

 第一印象として、なんとなく嫌な男だ、とケンは思ってしまった。

 同時に。

 もしかすると、『従者』という言葉から、セルヴスのことを四六時中アデリナの横にいられる男なのだと知って、いわれのない嫉妬心を抱いたのかもしれない……。

 そのように考えて、ケンは心の中で、反省と自己嫌悪を覚えるのだった。


「アデリナ様も忙しい身です。自己紹介が済んだのでしたら、本題に入りましょう」

 後から来たセルヴスが、場を仕切ろうとする。

 本来ならば自己紹介すら必要ないのだが、と言っているようなニュアンスに聞こえたのは、ケンの気のせいだろうか。

「さて。昨日あなたのところで、アデリナ様が占っていただいた、と聞きましたが……?」

「ああ、そうだよ。もちろん今日は、その話をするつもりで来たのさ」

 セルヴスに水を向けられて、ゲルエイが話し始める。

「昨日の段階では『あれは確かに勇者の世界だ』というだけで、それを通じて何を伝えたい神託なのか、あたしには何とも言えなかったからね。でも今は、少しわかった気がするよ」

「まあ! それは何ですの?」

 顔に期待の色を浮かべて、アデリナが少し前のめりになる。

 そんな彼女の様子を、素直で可愛らしいとケンは感じたが、アデリナ自身は、はしたないと思ったらしい。コホンと一つ咳払いしてから、深々とソファーに座り直した。

 一方ゲルエイは、アデリナの態度には関心なさそうな声で、あっさりと告げた。

「あたしの結論としては……。アデリナの見た夢は、神託ってわけじゃないよ」

 一瞬、その場が静まり返る。

 アデリナは落胆して声も出ないという様子だったが、その代わりに、セルヴスが反応してみせた。

「神託ではない……? つまり、あれは勇者様が見せてくださったものではなく、ただの夢だったと言いたいのですか?」

「ああ、それも違うね。これは、あたしの言い方が悪かったかな?」

 ゲルエイは、否定するかのように軽く手を振ってから、言葉を続けた。

「『勇者様が見せてくださった』に関しては、あたしも異論はないよ。ただし今までの神託とは違って、アドバイスとか注意とか、何か具体的に伝えたいことがあったわけじゃない。ただ勇者自身の世界を、この世界の人間にも見せておこう、と思っただけなんだろうさ。お披露目みたいな感じでね」

「ほう? これはな事をおっしゃる」

 苦笑いを浮かべるセルヴスの声は、やや慇懃無礼にも聞こえた。

「神託の意味を占うように頼まれて、意味なんてない、というのが結論……? それでは、まるで解釈を放棄したように聞こえますな」

 占い屋として失格ではないか、という含みを持たせた発言だ。

 しかしゲルエイは、気分を害した様子もなく、むしろニヤリと笑ってみせた。

「放棄したわけじゃないね。むしろ、あたしは証拠を持って来たんだから」

「証拠……?」

「そうさ。アデリナ以外にも、夢を通じて、勇者の世界を見せてもらったやつがいるんだよ。その一人が、ここにいるケン坊だ!」

 仰々しく腕を広げてケンを示すゲルエイの様子は、まるで、舞台の上でタレントを紹介する司会者のようだ、とケンは思った。


「私と同じ……?」

 大きく目を見開きながら、アデリナがケンに視線を向ける。

 ケンはドキッとするが、悪い気はしない。まじまじと観察されるのは少し照れくさいが、アデリナの瞳に好奇の色が浮かぶのを見れば、むしろ誇らしく感じた。自分に対して彼女は特別な関心を向けてくれているのだ、と。

 しかし。

 アデリナの気持ちにストップをかけるかのように、セルヴスが冷たい言葉を挟んだ。

「迂闊に信じてはいけません、アデリナ様。あなたは素直すぎます」

 そして訝しげな目で、ゲルエイに告げる。

「そちらの少年がアデリナ様のように、勇者様の世界を夢で見せていただいたなんて……。そんなホラ話、とても信じられませんね。おおかた、アデリナ様から聞いた『夢』の詳細を、あなたが彼に吹き込んだのではないですか?」

「おやおや。従者さんは、よっぽど、あたしを信用していないようだね」

「いけませんわ、セルヴス。そんな失礼なことを言っては……」

 アデリナから注意されても、セルヴスは、態度を変えようとしなかった。

「いいえ、アデリナ様。考えてもみてください。アデリナ様は『神託の巫女』だからこそ、勇者様の世界を見せていただけたのです。どこの馬の骨ともわからぬような子供でも同じ神託が得られるとなったら、アデリナ様の神性が疑わしくなるではないですか!」

 要するに、神託の巫女としての商品価値が落ちる、と言いたいらしい。この口ぶりでは、このセルヴスという男は、あまりアデリナに敬意を抱いていないのではないだろうか。

 黙って聞いていたケンの表情が曇る。何か言ってやろうかとも思ったが、それより先に、ゲルエイが言葉をぶつけていた。

「ああ、あたしだって、アデリナの特殊性は認めているよ。うん、神託なんて授かることが出来るのは、まさに『神託の巫女』だけだろうさ。だからこそ最初にあたしは、今回の夢は神託とは違う、と言ったんだ」

「物は言いようですね。たとえ神託ではないと言い張っても、それだけでは、本当に勇者様の世界を夢で見たことの証拠にはなりませんよ」

「そう、そこだ。それに関しては……」

 再びゲルエイの口元に、笑みが浮かぶ。その顔をアデリナに向けて、決め手となる言葉を口にするのだった。

「なあ、アデリナ。あたしの隣にいるケン坊の顔を、よく見てごらん。見覚えがあるだろう?」

 アデリナは言われた通りに、先ほどよりも真剣な目つきで、改めてケンの顔を見つめ始める。まさに穴の空くほど、という勢いであり、さすがにケンも、嬉しいというより、少しくすぐったい思いだったが……。

 突然。

 そのアデリナの顔に、パッと喜びの色が広がった。

「まあ! あなたでしたのね!」

 今度は大きく身を乗り出して、さらに両腕を伸ばす。ケンは何気なくテーブルの上に手を置いていたのだが、それをアデリナは、ガッシリと握りしめた。

 ケンも驚いたが、従者であるセルヴスは、ケン以上だった。

「アデリナ様! 何をなさるのです? 巫女であるあなたが……」

「いいのですよ、セルヴス。この少年は特別です。だって……。あなたなのでしょう?」

 ニッコリとした笑顔を向けられて。

「はい」

 ケンは小さく一つ頷いただけだが、それで十分。

 アデリナは嬉しそうに、いや、むしろ誇らしげに、セルヴスに対して説明するのだった。

「ほら、やっぱり! この人ですわ、私の夢の中に出て来たのは。勇者様の世界で、私と目が合ったのは!」

   

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