第十八話 少年と巫女(後編)
「……えっ?」
セルヴス・マガーニャは、驚きの声を上げた後、続く言葉が出てこなかった。
一方、若い二人は、喜び勇んで言葉を交わし始めている。
「よかった! あの時『あら!』って言っているように見えて、きっと僕に気づいてくれたに違いない、って思っていたんですが……」
「そうです! 確かに、嬉しくて思わず『あら!』って」
「確信はなかったんですよ。その後、すぐに消えてしまったんで」
「そうそう! あの辺で私は、目が覚めてしまったのですわ。ようやく私を見える人が現れた、って場面でしたのに!」
そんな二人を、面白くなさそうに眺めながら。
セルヴスは頭を忙しく働かせて、色々と考えるのだった。
この来客室に来る前、彼は僧官長の執務室へと赴いて、アデリナ・オレイクが自信を失っている件について、モナクス・サントスに報告している。
庭掃除へと向かう際のアデリナの発言から考えて、新しい神託さえ授かれば、その問題は解決。だから今晩あたり、彼女に次の『神託』を与えよう、というセルヴスの提案を、モナクスも一応は受け入れていた。
とはいえ、あくまでも『一応』に過ぎなかった。モナクスには、まだ真面目な宗教家の側面も残っている。そのため、あの勇者の世界らしき夢に対して、意味の説明を上手く考え出せないうちは、次の神託が下されるのは不自然……。そんな気持ちが、どうしても払拭できないでいるらしい。
しかし。
目の前の占い屋の告げた、あれは別に神託ではない、という解釈。勇者様が何か伝えようとしたわけではない、ということになれば、新しい神託が来ることに、何の問題もないではないか!
そう考えれば、これは朗報と言えるのだが……。
この占い屋が連れてきた少年。
はたして、彼は本物なのだろうか。本当に、アデリナのように、勇者の世界を夢で覗き見たのだろうか。
裏の世界で生きてきたセルヴスは、これまでの習慣で、簡単には人を信じられなくなっていた。
今回のことも、この占い屋が何か企んでいるのではないか、と疑ってしまう。アデリナの話に合致しそうな、よく似た子供を探し出しただけではないか、と勘ぐってしまう。
いや、そもそも。
アデリナが「勇者様の神託の中で、一人の少年と目が合った」と言い始めたのは、占い屋から帰ってきた後のことだった。朝食の席で持ち出した時は忘れていたのに、占い屋で話すうちに思い出した、と言っていたが……。
もしかすると、その場で何か吹き込まれたのではないだろうか。思考を誘導されて、そういう夢だった気がする、と思い込まされたのではないだろうか。
セルヴスは、疑惑の眼差しをゲルエイ・ドゥに向けるのだが……。
彼女は悠然と構えていた。興奮状態で喋るアデリナと、手を握られて鼻の下を伸ばしている少年の二人を、ただ微笑ましく眺めているようだった。
二人の会話を遮るようにして、セルヴスは言葉を挟む。
「アデリナ様まで、そう言われるのでしたら……。さすがに、否定のしようがありませんね」
「ほら、そうでしょう? こちらの彼と私は、あの一瞬、同じ世界を勇者様に見せていただいた仲なのですわ!」
相変わらず少年の手を握り続けたまま、嬉しそうなアデリナ。彼女は心の底から、セルヴスも認めてくれたと信じているのだろう。
だがセルヴスが納得したというのは、あくまでも口だけに過ぎなかった。まだ占い屋の陰謀という可能性を、捨てきれていなかった。
いや、むしろ逆に。
この話が本当だったら、別の大きな問題が生じてくる、とセルヴスは理解していた。
そもそも、今回アデリナが不思議な夢を見たのは、セルヴスが探査魔法プロベーを唱えた影響のはず。勇者の世界であれ何であれ、それをアデリナに見せたのは勇者自身ではなく、魔法により魂が飛ばされた結果に過ぎない。
だから、もしも本当に同じ夢を見た者がいるのであれば……。その者も探査魔法プロベーで、同じ世界の同じ一瞬へ、魂を飛ばされたことになる!
つまり。
この占い屋なのか、あるいは別の誰かなのかは不明だが、他にも探査魔法プロベーの使い手が暗躍している、ということになるのだ……。
ならば。
目の前の少年が偽物であろうと本物であろうと、どちらにせよ、これは放っておけない案件だった。少なくとも、取り急ぎ、モナクスに報告して相談する必要があった。
「アデリナ様、すっきりしましたね。あの夢は本当に勇者様が見せてくださったものだけれど、いつもの神託ではなかった、という結論に落ち着いたのですから。もうこれ以上、意味など考える必要はないのですから」
「そうですわ、セルヴス。占い屋さんのおかげで、とても穏やかな気持ちになれました。ありがとうございました」
もちろん、アデリナの言葉の最後は、セルヴスではなくゲルエイに向けられたものだった。
「礼には及ばないよ。これが、占い屋の仕事だからね。お客に満足してもらえるのが一番さ」
二人のやりとりを耳にしながら、セルヴスは、スッと立ち上がる。
「では、アデリナ様。私は、モナクス様へ報告に参りますので……」
表向きは、この夢の一件が解決した、という報告。だが実際は、どうやら厄介な連中が現れたらしい、という報告だ。
「……どうぞアデリナ様は、こちらで会談を続けてください。同じ夢を――勇者様の世界を――見た者同士、積もる話もあるでしょうから」
とりあえず、モナクスとの簡単な打ち合わせを済ませる間、この二人はアデリナに引き留めておいてもらおう。
セルヴスは、そう考えていた。
そのまま、ドアのところまで歩いて行くが……。
「そうそう、アデリナ様。巫女であるアデリナ様が、いつまでも若い男の手を握っているなんて、さすがに少し、みっともないですよ」
最後にチラッと振り返って、神託の巫女の従者という表向きの立場から一言、注意を口にするのだった。
――――――――――――
巫女服の少女が、パッと手を放した瞬間。
温かくて柔らかい、アデリナの手のひら。男子校に通うケンにとって、それは今までの人生で経験したことのない、まさに至高の感触だった。まだ手に残っている感触を、ケンは、とても愛おしく思う。
一方、アデリナの方では、全く違う気持ちに違いない。彼女は今、体も引いてしまって、ソファーに深々と座り直し、恥ずかしそうに頬を少し赤らめていた。
あの従者は、本当に余計な一言を残してくれたものだ。しかし見方を変えれば、ようやく邪魔者が消えてくれたとも言える。
ならば、ここはアデリナと積極的に話をして、親しくなるチャンスだった。
「それで、アデリナさん。あの夢に関する話ですが……。夢の中で、僕たちの目が合った時のこと……」
それは最初にアデリナ自身も口にした点であり、すでに二人で、簡単な言葉を交わした話題だった。会話の切り出し方としては、あまり良くなかったかもしれない。
ケンは口にした瞬間、少し後悔したのだが、案外、アデリナは食いついてくれた。
「そう、そうですわ! 先ほども言いましたかしら? あの時の私は、見知らぬ景色に囲まれて、しかも周りの人々からは無視されて……。心細かったのですけど、あなただけは私を見てくれていましたから、なんだか救われた気分でしたのよ」
「ああ、その気持ち、僕もわかります」
ケンは適当に、彼女の話に合わせることにした。少しだけ、初めて異世界に召喚された時の気持ちを思い出しながら。
「では、あなたも……? あの夢の中では、誰にも気づいてもらえず……?」
「もちろんです。あなたと同じでしたから」
「あら? でも、あなたの周りには、他にも似たような服装の人々が……」
と、ここでアデリナは、ようやく思い出したらしい。
「……そういえば変ですね。あの時のあなたは、私の世界の人間ではなく、勇者様の世界の人間に見えましたわ。だって、着ている服が全く違いましたもの」
「それは……」
ケンは、それっぽく聞こえる嘘を捻り出そうとする。少し前までのテスト勉強以上に、頭をフル回転させながら。
「……おそらく、あの世界の衣装を貸してもらえたのではないでしょうか。ほら、僕は普通の人間ですから。あなたのような、神託の巫女とは違って」
「そんなものかしら……?」
「まあ、ケン坊の言う通りかもしれないね」
それまで黙って見ていたゲルエイが、ここで口を挟んだ。おそらく、ケンの言い訳を助けるつもりなのだろう。
「あたしゃ詳しくないけど……。巫女装束って、勇者に仕える格好なんだろ? だったら勇者の世界でも失礼には当たらないはずだが、ケン坊の普段着じゃ、勇者世界の景色には溶け込まないだろうさ」
「ああ、なるほど! さすが占い屋さんですね!」
納得するアデリナ。ひょんなことから、また少しゲルエイの評価が上がったらしい。
このように。
若い二人に会話を任せながら、時折、ゲルエイがフォローに入る。
話が弾むうちに、アデリナは少しだけ、また身を乗り出す格好になっていた。いやアデリナだけではなく、今度はケンまでもが、いくらか前のめりになっていた。
だが、二人とも自覚していないようだ。気づいているのは、横から見ている自分だけ……。
そう考えるゲルエイは、傍観者を気取りながら。
まるで孫を見守るような気持ちにもなって、若い二人を眺めるのだった。
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