第十六話 少年と巫女(前編)
「……というより、あれ!」
「おや、こんなところに!」
「なるほど、そういうことかい……」
小さく呟きながら、考える。
見目麗しい若い巫女たちが、寺院の敷地内を掃き掃除している。それは確かに美しい姿だが、寺院にとっては、日常の風景に過ぎない。参拝客から見ても、特に驚くべき光景ではなく、普通ならば、ここまで野次馬が集まってくる事態にはならなかったはず。
それなのに、こうして参拝客が彼女たちを遠巻きに眺めて、ざわざわ騒いでいるのは……。その中に、神託の巫女が含まれているからだった。本来ならば寺院の奥に引っ込んでいるべきアデリナが、人目につく
内心で納得するゲルエイの肩を、隣にいるケンがポンポンと、少し興奮気味に叩いてきた。
「あれですよ、あれ! あの奥にいる、右から二番目の巫女さん! 彼女こそが、僕の見た例の
「あんまり騒ぎなさんな、ケン坊」
ゲルエイは一言、少年に釘を刺す。
周りの者たちは巫女ばかり見ており、ゲルエイたちには関心を向けていないだろう。それにケンも一応、まぼろしの巫女とか異世界とか、聞かれて困るような言葉は使っていなかった。だが、いつ口を滑らすとも限らないのだ。ケンを落ち着かせるに越したことはなかった。
ケンも理解して、すぐに声のトーンを落とす。
「すいません、ゲルエイさん」
「いや、気持ちはわかるよ。ようやく会えたのだからねえ」
「でも、これを『会えた』と言っていいのか……。ああ、出来れば直接、話をしてみたいなあ」
特に、互いに目と目が合った瞬間。それについて聞いてみたいのだろう。
ゲルエイは、ケンの気持ちを察する。
彼は今、アデリナに対して、うっとりとした羨望の眼差しを向けていた。だが、これ以上近づくのも、ましてや話しかけるのも、さすがに無理だろう。誰か一人がそんな行動に出れば、「俺も、俺も」と群衆が押しかけて、大変なことになりそうだ。だから遠巻きに眺めるに留める、というのが、この場の暗黙のルールになっているようだった。
とりあえず、もうしばらくケンにも、アデリナの様子を見物させてやろう。
そう考えて、ケンからアデリナへと、ゲルエイは視線を戻したのだが……。
目が合ってしまった。
すると。
「あら! ……占い屋さん! わざわざ来てくださったのですか?」
アデリナの方から大声で、話しかけてきたのだ!
挨拶の意味で、ゲルエイは小さく手を上げて、軽く振ってみせる。
周囲の参拝客たちから、疑問や嫉妬の視線を向けられているような気がするが、それらは無視して。
黙ってアデリナの方を見ていると、彼女はこちらへ駆け寄ろうとして、他の巫女たちに止められていた。下手をすると大きな騒動になる、と周りの巫女たちの方が理解しているらしい。
そうした巫女の一人――髪は短めで顔立ちも幼い少女――に、アデリナが何か耳打ちしている。おそらく、ゲルエイのことを説明しているのだろう。
短髪童顔の巫女は、小さく頷いてから、まるでアデリナの代理であるかのように、ゲルエイの前までスタスタと歩いてきた。
「アデリナ様のお客様の、占い屋様でございますね?」
普通ならば『ゲルエイ様』と呼ばれそうなものだが、アデリナには名乗っていなかったような気がする。いや、こちらは名乗ったけれど、アデリナの方が覚えていないだけだろうか。
ふと、そんなことを考えながら。
「ああ、そうだよ。占い屋のゲルエイ・ドゥだ。頼まれた占いの結果を、アデリナに告げに来たのさ」
ゲルエイは自分でも、少し高圧的な言い方かもしれない、と思うのだが……。
南中央広場で占った際、アデリナはプライベートだったので、お偉い巫女様としてではなく、あくまでも庶民の客として扱っていた。その仕事の続きなのだから、いくらここが寺院であっても――今のアデリナが身も心も『神託の巫女』なのだとしても――、同じ態度を貫こう、と決めたのだった。
若い巫女は、ゲルエイの『アデリナ』呼びを聞いて、少しだけ気分を害したらしいが、サッと一瞬で、その表情を消していた。
「わかりました。それでしたら、どうぞ、こちらへ」
ゲルエイを案内するように、短髪童顔の巫女が歩き出す。
それに従って、
「ほら、ケン坊。彼女に続くよ」
「あっ。ゲルエイさんだけでなく、僕も一緒に行っていいんですね?」
「当たり前じゃないか。ケン坊がいなけりゃ、話が始まらないからねえ」
ゲルエイとケンの二人は、野次馬の群衆を
――――――――――――
ケンはゲルエイと一緒に、若い巫女に続いて、裏側の通用口らしきところから、寺院の建物へと入っていく。
足を踏み入れた瞬間、独特の香りがプーンと漂ってきた。
「ああ、これは……」
「どうしたんだい、ケン坊?」
「いや、何でもないです。……というより、後で説明します」
案内役の娘が前を行くだけでなく、肝心のアデリナも、二人の後ろをついてきている。だから、迂闊なことは言えなかったのだが……。
おそらく『言えない』というだけで、ケンの世界に関する話だとゲルエイは察するだろう。ケンは、そう考えていた。
そう、ここでケンは、元の世界について思い浮かべたのだった。なにしろ建物に立ち込めるのは、線香のような匂いなのだから。
線香といえば、ケンにとっては、仏壇や葬式のイメージ。つまり仏教関連であり、お寺ならば理解できるが、神道に属する神社には相応しくない気もする。
もちろん、いくら立派な鳥居が設置されて、華やかな巫女たちが働いているとしても、ここは『神社』ではなく、異世界の『寺院』なのだ。似ているけれど、微妙に違う。
またもやケンは、自分が今、異世界にいることを実感するのだった。
茶色い板張りの廊下をしばらく歩いてから、
「どうぞ、この部屋をお使いください」
一言だけ告げて、先導役の若い巫女は去っていく。
ケンたちが招き入れられたのは、同じく板張りの部屋だった。今度は床だけでなく、壁や天井も茶色で統一されている。
再び「ここは異世界なのだ」と実感するケン。
お寺であれ神社であれ、和風の宗教施設ならば、廊下はともかくとして室内に入れば畳敷きというのが、ケンのイメージだった。だが、この部屋は、むしろキリスト教の教会に近いような内装に思えた。この異世界は、やはり西洋風ファンタジーの世界なのだろう。
部屋の広さ自体は、日本で言うところの六畳間くらい。この大きさならば、拝殿でも礼拝堂でもないはずだ。また、廊下と比べて線香の匂いが弱くなっていることからも、ここでは線香を焚くことはない、つまり神事や祭事には使われない部屋なのだと判断できた。
続いてケンは、テレビや映画に出てくる教会の懺悔室を思い浮かべたが、それはそれで、もう少し小さかった気がする。ならば、ここは来客室なのではないだろうか。
そこまで彼が考えたところで、
「どうぞお座りください、占い屋さん。……それと、占いのお弟子さんかしら?」
と、一緒に入室したアデリナが、着席を勧めてくる。
二人か三人くらいは座れる、黒い革張りのソファー。それが二つ、白いテーブルを挟むようにして置かれていた。
アデリナと向かい合う形で、ケンはゲルエイと並んで座る。あまり深く沈み込むことのない、適度な座り心地のソファーだった。
ケンの隣では、ゲルエイが軽く苦笑している。
「いや、ケン坊は弟子じゃないよ。でも、今日の用件には必要でね。だから連れてきたのさ」
「ケン・ミヤコです。よろしく」
すかさずケンは名乗って、軽く会釈。
すると微笑みながら、アデリナも自己紹介するのだった。
「あら、私も名乗った方が良いのかしら? 占い屋さんから聞いていると思いますが、名前はアデリナ・オレイク。でも『神託の巫女』の呼び名の方が有名でしょうね」
アデリナの笑顔を見られるだけで、ケンは幸せな気分になってしまう。
日本で見かけたアデリナは、夢か幻か、はたまた幽霊かというくらい、おぼろげな存在だった。その彼女が、今はハッキリと、こんなに近くに――手を伸ばせば触れることも可能な距離に――実在している!
この世界に来てよかった。
改めて、ケンがそう思った時。
トントン、と扉をノックする音と同時に聞こえてきたのは、明らかに巫女とは違う、男の声だった。
「失礼します」
続いて、坊主頭の小柄な青年が入ってきたのを見て。
なぜだかケンは、幸せな時間が終わってしまったように感じるのだった。
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