第十五話 自信喪失の巫女
「困ります、アデリナ様。神託の巫女なのですから、あなたは奥に控えていてください!」
掃除道具を手に裏庭へ出ようとするアデリナを、彼女の従者であるセルヴス・マガーニャが、渋い顔をして引き止めようとしていた。
今の時間、すでに大勢の参拝客が、寺院の敷地に足を踏み入れているはず。この寺院の顔とも言える神託の巫女が、みすぼらしく庭を掃除している姿なんて、とても大衆には見せたくないのだった。
「なぜ止めるのです、セルヴス。神聖な寺院の敷地を掃除するのは、巫女の役目の一つでしょう?」
「冗談を言わないでください。庭掃除なんて、普通の巫女の仕事です。いや、それこそ、入ったばかりの
「あら、巫女の立場に貴賎はありませんわ。神託の巫女だって、一人の巫女であることに変わりはありません。私たち巫女は皆、等しく勇者様にお仕えする乙女なのですから」
アデリナの反論に、ますますセルヴスは顔をしかめる。
涼しい顔で言ってのけたアデリナ自身、これは本心からの言葉ではなく、あくまでも方便なのだろう。
寺院を清めることは、確かに巫女の仕事のうちではあるが、そこには確固たる序列も決められていた。例えば巫女になったばかりの頃は、建物の中を掃除させてもらうことも出来ず、庭を担当。後輩が出来てから、ようやく屋根のある部分を受け持つようになるし、拝殿の奥を掃除できるのは、さらに上に進んでからだった。
もちろん、巫女長のようにトップクラスになると「他の仕事が忙しいため」という理由で掃除仕事なんて免除されるし、神託の巫女となったアデリナも同様。
それくらいのルールは、巫女ではないセルヴスも心得ているくらいだ。アデリナだって新人の時代を経ているのだから、知らないはずはなかった。
「それにね、セルヴス。実は私、少し『神託の巫女』としての自信を
「自信を
聞き返すセルヴスに対して、アデリナは、思い詰めたような顔を向ける。
「そうですわ。勇者様の世界を見せていただいたものの、その意味も自分では理解できず……。モナクス様のお手を煩わせるなんて、神託の巫女として失格ではないかしら?」
アデリナが僧官長モナクス・サントスの名前を出したことで、セルヴスは内心、モナクスを責めたい気持ちになってしまった。
真面目な僧官長の顔で、モナクスが迂闊に「私が調べておきましょう」などと言い出したから、アデリナが無力感を味わっているのだ。アデリナのような小娘にも『神託の巫女』としてのプライドがあるのだから、神託に関しては一切合切、その解釈も含めてアデリナに任せておけばよかったのだ。
モナクスなんて、しょせんは金と出世のために悪事に手を出すような男なのに……。そう思うセルヴスだったが、顔には一切出さずに、
「そんなことありませんよ。アデリナ様は神託の巫女として、ご自身で精一杯、努力しているではないですか」
とりあえず、アデリナを持ち上げておくことにした。
「ほら、昨日だって、わざわざ休みの日を使って、市井の占い屋まで相談に出かけたのでしょう?」
本当は、あまり話を外部に広めて欲しくはなかったのだが……。今は「アデリナも頑張っている」ということで、プラスに評価できると言っておこう。探査魔法プロベーをかける相手として、せっかく好素材のアデリナなのだ。そんな彼女が、神託の巫女失格だとか自信喪失だとか言い出すのは、一番困る。
セルヴスは、そう考えていた。
「でもセルヴス、その程度では……。それに、この件で私が煮え切らないうちは、勇者様も新しい神託をくださらないのではないかしら。神託をいただけない『神託の巫女』なんて、それこそ看板倒れでしょう?」
いや看板倒れも何も、そもそもアデリナが授かっているつもりの『神託』は、セルヴスの魔法による真っ赤な偽物なわけだが……。心の中でアデリナを嘲笑しながらも、セルヴスは、この話の落とし所が見えてきたと思った。
「ああ、なるほど! アデリナ様は、次の神託が得られないから、自信を喪失しているのですね!」
「それも少し違うような……。でも、そうですね。『次の神託が得られないから』ではないにしても、もしも得られたら、神託の巫女としての
ならば、話は簡単ではないか。モナクスと打ち合わせて、今晩にでもアデリナに新しい『神託』を見せてやれば、それで解決だ。
そこまでセルヴスが考えたところで、
「二人して廊下で、何を騒いでいるのかしら?」
巫女長であるカルロータ・コロストラが通りかかり、声をかけてきた。
「ああ、お姉さま! 実は私、今から……」
アデリナがセルヴスとの会話をかいつまんで説明すると、カルロータは一瞬だけ困ったような顔を見せるが、すぐに、いつもの笑顔に戻った。
その上で。
「良いアイデアだわ、アデリナ。あなたの言う通り、初心を忘れないのは、重要ですからね」
彼女は、アデリナの肩を持つ。
カルロータの正体を知るセルヴスにしてみれば、笑いたくなる発言だった。口では『初心』なんて言っているが、どうせ彼女自身は今さら庭掃除なんてやりたくないくせに、と思ってしまう。
しかし、巫女を統括する立場にあるカルロータがこう言うのであれば、話は決まりだった。
「では、お姉さま。勇者様への気持ちを込めて、隅々まで綺麗にしてきます!」
ぺこりと頭を下げて、アデリナは行ってしまった。
その後ろ姿を見ながら。
セルヴスは、カルロータにだけ聞こえるような小声で、ボソッと呟く。
「相変わらずですね。アデリナに対しては、いい顔を見せる……」
「これでいいんだよ。あたしは『飴と鞭』の飴だからね」
同じく他には聞こえない程度の声量で、小さく返すカルロータ。その口元には、人を小馬鹿にしたような笑みが浮かんでいた。
セルヴスは、黙って肩をすくめてから、アデリナの向かった方角とは反対へ歩き出す。
アデリナが庭掃除に励むというなら、周りには他の巫女たちが一緒だ。従者としても監視役としても、同行の必要はない。その間に、モナクスと少し話をしておこう。
彼は、そう考えていた。
――――――――――――
「アデリナ様!」
「どうして、こちらに……?」
裏庭へ出たアデリナは、掃除を始めていた巫女たちから、驚きの声で迎えられた。アデリナが箒を手にしていることに気づいて、
「おやめください、アデリナ様。それは私どもの役目です」
と、止める者もいたが……。
「良いのです。神託の巫女とて、同じ一人の巫女。カルロータお姉様からも『初心忘るべからず』と言われましたから」
巫女長の名前を出されたら、若い巫女たちは、もう何も言えないのだった。
アデリナがカルロータの言葉を引き合いに出したのは、建前でも口実でもない。彼女は本心から、そう思っていた。
だから本当に、寺院に来たばかりの頃に戻った気分で、庭掃除に当たる。
小さな石ころなどは、丁寧に一つ一つ、手で拾って取り除く。
勇者教の寺院にあるものは全て、今は亡き勇者様のためのもの。そう思いながら掃除をしていると、アデリナは、自分の心まで清められる気分になるのだった。
「久しぶりの庭掃除……。本当に『初心忘るべからず』なのね」
ここは本殿の奥とは違う。多くの参拝客に見守られながらの掃除であり、そうした視線を、多少なりとも意識してしまう。
だが、それは雑念。心を無にして、ただひたすら勇者様を想うことが、巫女としては大切なはずだった。
「神託の巫女なんて持ち上げられても、まだまだ私は、修行が足りないのだわ」
周りの参拝客たちの声が聞こえてくるようでは、精神統一が出来ていない証拠。そう思いながらアデリナは、掃除する巫女たちを取り囲むような野次馬に、何気なく視線を向ける。
野次馬なんて、たとえ視界に入っても見えてこない、というくらいが理想だったのだが……。
「あら!」
その中の一人と目が合って、アデリナは、大きな声を上げてしまった。
その場の若い巫女たちが、何事かという顔をアデリナに向けるが、それには気づかず、アデリナは叫ぶのだった。
「占い屋さん! わざわざ来てくださったのですか?」
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