第十三話 寺院にいるはずの巫女

   

 走りの月の第六、草木の日。

 いつも通りの時間に目覚めたゲルエイ・ドゥだったが、南中央広場には向かわず、家で少しのんびりと過ごしていた。

「あの娘も、どうせ今日は来ないだろうからね」

 昨日アデリナ・オレイクに対して「明日また来てくれないかねえ?」とは言ったものの、彼女の態度を見る限り、二日続けてプライベートで外を出歩くのは無理という様子だった。かといって、神託の巫女としての仕事では、南中央広場まで来る機会もないだろう。飴玉キャンディ売り関連の用事は、もう終わってしまったのだから。

 もしかするとアデリナは、また新しい神託を受けて、それを誰かに告げに出向いている頃かもしれないが……。

「そんなに立て続けに、いくつも神託が降りてくるとは思えないね。おそらく今日一日は、寺院にいるだろうさ」

 と、ゲルエイは勝手に決めつける。

 ゲルエイ自身は、もちろんアデリナ専属の占い師というわけではないが、どうせ繁盛していないのだ。やりかけの仕事になっているアデリナの件がなければ、いつ休んでも構わない占い屋だった。だから今日は、ゲルエイの方からアデリナのところへ行ってみよう、と考えたのだ。

「もちろん、あたしが寺院へ出向いたからといって、神託の巫女であるアデリナに会えるとは限らないけど……」

 直接会話する機会が作れなければ、昨日保留にした占いの解釈について語ることは出来ない。だが、遠くからアデリナの顔を見るだけでも、もう一つの用件は済ませられる。

 ゲルエイは、そう考えながら、水晶玉の前に座り込んで……。

「ヴォカレ・アリクエム!」

 その『もう一つの用件』のために、召喚魔法アドヴォカビトを詠唱するのだった。


――――――――――――


 十二月初旬の日本。

 みやこケンはその日、いつものように、電車で家へ帰る途中だった。

 街で巫女姿の少女を見かけたり、異世界に召喚されて『神託の巫女』の話を聞いたりした日から、既に三日が経過している。あの時、ゲルエイは「明日か明後日あたりに、また召喚する」と言ってくれたが、その気配は、一向に訪れなかった。

 とはいえ、焦っても仕方がない。ケンの方から、異世界にいるゲルエイを急かすことは出来ないのだから。

 ただ待つしかないケンは、いつ召喚されても構わないという気持ちで、今まで通りに高校へ通う毎日。電車の中でも、暇つぶしの読書にすら集中できなくて、何もせずに座っていたのだが……。

「ん?」

 激しい揺れを感じて、窓の外に視線を向ける。

「……おかしいな?」

 小声でボソッと呟くケン。

 通学のために、もう飽きるほど乗っている路線だから、十分わかっていた。この辺りには急カーブもなければ、電車が急にスピードを変えるような地点もないはず。

 実際、車内を見回しても、他の乗客は平然としている。今の異常を感じたのは、ケンだけのようだ。

 つまり。

 電車が揺れたのではない。ケンが感じた、個人的なめまいだったのだ。

「ようやくですか。待ちくたびれましたよ、ゲルエイさん……」

 異世界召喚の合図だと悟って、ケンの口元には、ニンマリとした笑みが浮かぶ。

 そして、学生服のポケットに手を突っ込んで……。

 次に異世界へ行く際には持参しようと考えていたもの――アデリナに渡すつもりのプレゼント――が、間違いなく入っていることを、確認するのだった。


――――――――――――


 召喚魔法アドヴォカビトによって、モウモウとした煙がゲルエイの部屋に広がる。

 だんだんと薄れゆく煙の中から、姿を現したのは、何度も見慣れた黒い学生服。

「やあ、ケン坊……」

 とゲルエイが挨拶するのを、遮る勢いでケンが叫ぶ。

「遅いですよ、ゲルエイさん。どれだけ僕が待たされたことか!」

「おや、それは悪かったねえ。でも、あたしを責めるのは、お門違いだよ。文句だったら、神様に言っておくれ」

「神様に言え、って……。ああ、魔法のシステム的な話ですか。それじゃ、こちらでは、一日か二日しか経ってないんですね?」

 ゲルエイの発言の意味を理解して、あっさりと落ち着くケン。

 なんだかんだいって頭の回転は速い子なのだろう、とゲルエイは改めて思う。

「そうだよ。約束通り、前回の召喚から、まだ一晩。あたしにしてみれば、昨日の今日だねえ」


 時間と空間を超越する召喚魔法アドヴォカビトだったが、その『時間』に関しては、一つ困った点があった。

 それは、二つの世界の時間の流れが一致しない、ということだ。

 それでも、例えば「こちらの世界の一日が、あちらでは三日に相当する」みたいに、規則性のある不一致ならば、まだ混乱は少ない。問題は、それがバラバラである、ということ。

 こちらの世界で一ヶ月ぶりにケンを呼び出してみたら、ケンの方では一日だったり、逆に、こちらでは一日しか経っていないのに、ケンの世界では一ヶ月だったり……。とにかく無茶苦茶だった。

 だが、こうした『無茶苦茶』のおかげで、ある時、ゲルエイは思いついたことがある。

 それまで、ケンから聞き出した彼の世界の様子が、とても勇者の世界の遠い未来とは思えず、不思議に感じていたのだが……。

「もしかすると……。こっちじゃ勇者伝説は遥か昔の話だけど、問題の勇者たちが元の世界にいた時代は、案外、ケン坊の時代と近いんじゃないかねえ?」

 もちろん、かつて神々が勇者を招くのに用いた魔法が、ゲルエイの召喚魔法アドヴォカビトと同じシステムとは限らない。しかし魔法が神々からの借り物である以上、その根幹は共通のはず。

 ならば。

 時間を飛び越える力を利用して、科学技術や文化が整った時代を狙いすまして、二つの世界を繋げている……。そんな可能性も考えられるのではないか。


 勇者教の寺院には、勇者の世界に由来する品々や、それらを模したものも多く存在するという。

 それをケンが目にしたら、歴史的遺物と感じるのか、あるいは、自分の時代の日用品と感じるのか……。

 彼の反応は、仮説を否定する根拠になったり、逆に支持する傍証になったりするはずだ。だから、その様子を見るだけでも、十分に興味深いだろう。

 ゲルエイは、そう考えていた。

 今回ケンを召喚したのは、表向きの理由としては、ケンを神託の巫女アデリナと会わせるためであり、そうケンも信じ切っているようだった。

 しかしゲルエイの本心としては、そちらは二の次。とりあえずケンを寺院まで連れて行くだけでも面白いことになる、と思っていたのだ。

 たとえ、アデリナとは会えないとしても。


「さあ、ケン坊。外を歩ける格好に、さっさと着替えな」

 別の世界の衣服を着たままのケンを、外に連れ出すわけにはいかない。人目につかないように行う夜の裏仕事ならば、ちょうど黒い学生服はピッタリなのだが、今日の場合は、真っ昼間の街中まちなかをうろつくのだから。

「外へ行くということは、つまり……」

 期待に膨らむ明るい声で、ケンが聞き返す。

「ああ、そうだよ。今から早速、あんたを連れて行ってやるよ。さっきも言ったが、昨日の今日だからね。今日ならばアデリナも、寺院にいるだろうさ」

「本当ですか? やったあ!」

 大喜びのケンは、それほど広くもない部屋の中で、スキップしそうな勢いだった。

「ほら、服はこれだよ」

「ありがとうございます、ゲルエイさん!」

 おそらくケンは、着替えを出してもらったことに対する礼ではなく、アデリナのところへ連れて行ってもらえることを感謝しているのだろう。

 ゲルエイの部屋にある男物の衣類は、メンチンという人物の遺品。ゲルエイにとっては昔の恋人であり、ケンにとっても、復讐屋に加入した際の仲間――初期メンバーの一人――だった。そちらに意識を向けたのであれば、もう少し神妙な態度になっているに違いない。

 ウキウキした様子で着替えるケンを、少し呆れた視線で眺めながら。

 ゲルエイは、ケンには聞こえない程度の小声で、こっそり付け加えるのだった。

「いきなり押しかけても、あの巫女に会えるとは限らないけどね。なにしろ向こうは、ただの巫女じゃなくて、神託の巫女という看板娘なんだから」

   

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