第十一話 偽りの巫女
「今日は誰も来ないって聞いてたから、あなたと少し楽しむつもりで、立ち寄ったんだけどねえ」
モナクス・サントスの耳元に唇を寄せながら、カルロータ・コロストラが、ねっとりとした口調で告げる。巫女を束ねる立場にあるとは思えない、吐息の甘さまで感じられそうな声だった。
一方、モナクスは僧官長としての威厳を保ったまま、カルロータの色香に惑わされることなく、毅然とした態度を示した。
「やめろ、カルロータ。『誰も来ない』というのは予定に過ぎん。ここが執務室である以上、いつ誰が訪れるか、わからんのだ」
そんなモナクスの言葉は無視して、カルロータはセルヴス・マガーニャに、ジトッとした視線を送った。
「まさかセルヴスがいるとは……。無粋だねえ、お前も」
「どうぞ、俺にはお構いなく。事が終わるまで、ここでお待ちしておりますから」
「あら、嫌だわ。セルヴスったら、何を言ってるのかしら。見られながらするような変態趣味、あたしゃ持ってないからね」
「どうだか……」
ボソッとセルヴスが呟いたところで、モナクスが割って入る。
「やめろ、二人とも。私たち三人は、仲間ではないか」
そう告げた口で、まるで機嫌をとるかのように、女の唇に軽く触れてから、
「カルロータ、夜の営みは、それこそ夜でよかろう。この場は、せっかく三人が集まったのだからな。今しか出来ない話をするべきだ」
と、真面目な顔をセルヴスに向けた。
カルロータが入室の際に内側から施錠したことは、モナクスもセルヴスも気づいている。彼女の意図はともかくとして、密談にはもってこいの状況になったというのが、二人の共通認識だった。
セルヴスが、壁際のソファーを近くに引き寄せて、ドカッと腰を下ろす。
二人どころか、詰めれば三人くらいは座れる余裕もあるのだが、カルロータはソファーではなく、セルヴスの執務机に尻を乗せた。
行儀が悪いという表現では足りないくらいに、酷い有様だ。もしも巫女たちが今のカルロータの姿を目にしたら、驚いて卒倒しかねないだろう。だが下手に注意をして、自分の膝の上に座られでもしたら困る。そう思ったモナクスは、彼女の態度は黙認することにして、セルヴスに質問を向けた。
「昨日の朝、アデリナが言っていた神託の件。あれは一体どういうことだ?」
「あら、モナクスったら。アデリナの従者に過ぎないセルヴスには、これは難しい案件だわ。そもそも、あの場で『私が調べておきましょう』と言ったのは、あなたじゃないの」
「まぜっ返すな、カルロータ。それは表向きの話に過ぎん。それくらい、お前も承知しているではないか」
茶化すカルロータに対して、ピシャリと言ってのけるモナクス。
これは彼女も自分が悪かったと思ったらしく、悪戯がバレた子供のように、小さくペロッと舌を出す。
そんなカルロータの姿を横目で見ながら、モナクスは話を続けた。
「私が尋ねているのは、本当のところだ。どうなのだ、セルヴス? どうしてアデリナは、あのような夢を見たのだ?」
「さあ、どうしてでしょう……」
「さあ、では困る。ちゃんとアデリナに『神託』が降りるように、魔法はかけたのだろう?」
「はい、モナクス様。そりゃあ、もう当然です。ご命令通り、一昨日の夜は隠し部屋に
アデリナ・オレイクは、勇者のお告げらしき夢を見るということで、世間からは神託の巫女と呼ばれているが……。
この『神託』には、アデリナ自身も知らない、秘密のからくりがあった。
実際には、
例えば「近いうちに大根が値上がりする」というのも、「どこそこの誰々が馬車と接触して怪我をする」というのも、眠っている間に少し未来へ飛んだ魂が、実際にそれぞれの現場を目撃。その魂がアデリナの肉体に帰ってきてから目覚めるため、アデリナとしては「そういう夢を見た」と認識してしまうのだった。
場合によっては、少し未来ではなく、過去へ魂が飛んでしまうこともある。その場合は、『神託』と思って関係者へ話をしに行っても手遅れだが、そもそも予言なんてものは、100%の精度を要求されるものではない。だから半分も的中すれば、大衆の信頼を得るには十分だった。
おそらくアデリナは、生まれつき、他の人よりも幽体離脱しやすい体質だったのだろう。とはいえ、普通に生きていたら、死ぬまで幽体離脱など経験することなく一生を終わっていたに違いない。そんなアデリナに、このような特異な体験を引き起こしたのが……。
セルヴスの操る魔法、探査魔法プロベーだった。
探査魔法プロベーは、魂だけを肉体から乖離させて飛ばし、離れた場所の様子を覗き見る、という魔法だ。しかし意識が覚醒した状態では、魂は肉体から外れにくいので、睡眠中が望ましい。そのため術者本人ではなく、他人の魂を飛ばす方が容易となる。
時間と空間を超えて、自分ではなく他人を動かすという意味では、少し召喚魔法と似ているのかもしれない。いや、動かす対象は魂なのだから、ある意味『召喚』というよりも『憑依』だろうか。
勇者教の人々やゲルエイ・ドゥが信じているように、この大陸では、伝説の勇者は神々によって異世界から召喚されたと考えられているが……。別の大陸では、一部の歴史学者が、少し違う説を唱えていた。それによると、勇者は召喚されたのではなく、その魂のみが世界を渡ってきたのだという。この世界の人間に異世界の魂が憑依した結果、勇者となったのだという。
アデリナの魂だけが別の世界を
「おかしいではないか、セルヴス。秘密の小部屋から探査魔法を使ったのであれば、いつもと同じではないか。それなのに、なぜ今回に限り、勇者様の世界らしき光景を見る、などというイレギュラーが発生したのだ?」
「はい、モナクス様。そこのところは、俺も不思議でして……」
モナクスの追求は続く。
セルヴスは、その夜の自身の行動を振り返ってみるが、特に変わった点は見当たらなかった。
人々が寝静まった深夜。
自分の部屋――神託の巫女の従者に与えられる個室――から、反対側の東棟まで続く隠し通路を通って、セルヴスは巫女の寄宿舎に忍び込む。狭い屋根裏を這い進み、アデリナの部屋の真上、天井裏の小部屋に身を隠して……。
天井板一枚を隔てた場所から、アデリナに対して、探査魔法プロベーの呪文を唱える。
「ペレグリン・アニマム!」
神託の巫女に個室が割り当てられているのは、実はこのためであり、このモナクスの寺院では、こうやって偽りの『神託の巫女』を作り出してきたのだった。
もちろん、誰にでも出来るような所業ではない。まず、探査魔法プロベー自体が秘術に属する魔法であり、それこそゲルエイの召喚魔法アドヴォカビトと同じく、その存在すら知らない者が魔法使いの中にも多いくらいだ。
その上、大量の魔力を消費するとみえて、セルヴスは探査魔法プロベーを唱える度に、魔力が空っぽとなって意識を失い、回復まで数時間の睡眠を必要とする有様だった。
もちろん、これは探査魔法プロベーの特質であり、別にセルヴスが未熟という意味ではない。もしも彼が優秀な魔法使いでなければ、せっかくこの魔法を使っても、過去や見当はずれの遠地ばかりに魂が飛ばされてしまい、それを『神託』と思わせるのは不可能だっただろう。
そもそも魔法とは、呪文詠唱によって発動される現象だが、詠唱時の術者のイメージが、顕現される結果に大きく影響すると言われている。だからセルヴスは、探査魔法プロベーを唱える際には、いつも「魂が未来へ飛ぶように」とか「この街に住む大商人や貴族のところへ飛ぶように」とか念じており、かなりの確率で成功を収めてきたのだった。
「例によって例のごとく、カモになりそうな連中のところへ、アデリナの魂を飛ばしたはずなんですが……」
「でも最近、狙った標的を外すことが多いじゃないの。一つ前の……
机に腰掛けたままのカルロータが、男たちの会話に、横から口を出す。
セルヴスは内心「娼婦上がりのインチキ巫女のくせして、しゃしゃり出るんじゃねえ」と言ってやりたいが、顔には出さずに、大人しく対応する。
「それは仕方ないですよ、カルロータ様。さすがの俺でも、探査魔法プロベーは難しいですからねえ。百発百中というわけにはいきません」
「まあ、お前の腕前は、あたしも認めてるけど……。でも、ちょっと前までは、もっと上手くアデリナを扱えてたわよね? もしかすると、お前の腕が落ちたのではなく、アデリナの方の問題ではないかしら?」
「何が言いたいのだ、カルロータ」
モナクスもセルブス同様、難しい顔はしながらも、彼女の言葉を無視することはなかった。むしろ、その真意を掘り下げようとする。
「だから、あたしが言いたいのは……。セルブスの魔法と、アデリナの魂だか肉体だかの相性。それが悪くなってきたんじゃないか、ってこと」
ここでカルロータは、ピンと背筋を伸ばして、
「つまりね。何度も何度も魔法をかけ過ぎたせいで、もうアデリナは使い物にならなくなった……。そんな可能性も、あるんじゃなくて? もしそうなら、新しい『神託の巫女』を用意して、アデリナなんて処分しちまえばいいじゃないの」
と、物騒な言葉を口にするのだった。
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