第十話 白昼夢ではなかった巫女
ゲルエイ・ドゥは今日、客であるアデリナ・オレイクにも、広場の露天商仲間にも、「家で占いを勉強し直す」と言っていた。だが、もちろん、それは嘘八百。
実際には、ただ
アデリナから話を聞いた時点で、すでにゲルエイには、ある程度の確信があった。だから、その場で適当なアドバイスをすることも可能だったが、せっかくケンという異世界人の知り合いがいるのだ。彼と話をしてからでも遅くはない。
その程度の考えだったのだが……。
「いやはや、これは驚かされたよ。不思議な話だねえ」
ケンの質問を耳にして、目を丸くするゲルエイ。
彼が興味を示している、この世界の巫女。それこそ、今回の召喚理由の根幹ではないか!
「巫女の一人から聞かされた話があって、その関係で、あんたを呼び出したんだが……」
「えっ? そんな偶然、あるんですね!」
ケンも驚くが、少し冷静になったゲルエイは、ゆっくりと首を横に振る。
「いや、偶然じゃないかもしれないよ。ケン坊、よく聞いておくれ。実は……」
勇者教の『神託の巫女』のこと。
彼女がゲルエイの店に立ち寄ったこと。
その後、不思議な世界の夢を見た、ということ。
「魔力の混線みたいな現象が起こって、神託がケン坊の世界と繋がったのではないか……。あたしは、そう推測してるんだけどねえ」
「ああ、なるほど……」
そうした理屈に関しては興味が薄いらしく、ケンは半ば上の空で相槌を打つ。
だが、続いてゲルエイがアデリナの夢の詳細を語り始めると、ケンの態度は一変。ゲルエイに掴みかからんばかりの勢いで、身を乗り出しながら叫ぶのだった。
「ゲルエイさん! それ僕ですよ、僕!」
興奮しながら語るケン。
それによると、つい先ほど、巫女装束の――ただしケンの世界の巫女とは少しだけ違う格好の――娘が彼の前に現れた。そして目が合った直後、幻のように消えてしまったのだという。
「しかも、どうやら僕にしか、彼女は見えていなかったようです。だから、白昼夢かもしれないと思いましたが……。ああ、あの
「慌てなさんな、ケン坊。まだ決まったわけじゃないよ」
勢いを止めるために、そう言ってはみたものの。
ゲルエイとしても、ここまでくれば間違いないだろう、と感じていた。
どうやら、魔力が干渉した結果アデリナが繋がったのは、ケンの世界ではなくケンそのものだったらしい。だからピンポイントで彼の目の前に出現し、ケンにしか視認できない存在となったのだろう。
確かに、ゲルエイの召喚魔法が影響したのであれば、ケンの世界というよりも彼自身と繋がった方が、理屈に合うようにも思える。ただ、実体のない幻のような形だったのは、どういう仕組みなのか、まだよくわからないが……。
「いや。そこは考えても仕方のない部分だね。あたしの召喚魔法アドヴォカビトにしたところで、使ってみて初めてわかったことは、いくつもある。頭で考えて全て解明できると思うのは、あたしの驕りなんだろうさ」
と、自分自身に言い聞かせる意味で、言葉に出すゲルエイ。
一方ケンは、うずうずしながらも、黙って待っていてくれたらしい。今までは、ゲルエイが考え込んでいることに配慮したのだろう。だが、これでゲルエイの思索も一区切りついた、と見えたようで、再び口を開く。
「それで、どうします? そのアデリナさんの夢と、僕が経験した出来事。重なっているように聞こえますが、それを確かめに行きますか?」
「……行くって、どこに?」
ゲルエイとは違う方向性で、ケンはケンなりに考えていたらしい。彼の思考についていけず、思わず聞き返すゲルエイだったが、質問を口に出した瞬間、自分で答えに気づいた。
「ああ、そうか。実際のアデリナを見に行きたい、ってことかい」
「そうです。勇者教の巫女だというなら、勇者教の寺院に行けば会えるのでしょう?」
「まあ、そうだけど……」
口ごもるゲルエイ。
それが一番確実だとは思うのだが、どうも嫌な予感がする。この予感を無視してまで、確かめる価値があるポイントなのだろうか。ここまでの話だけで、確信には十分ではないだろうか。
そう思いながら、あらためてケンの顔に視線を向けると。
いかにも思春期の少年、という表情が見え隠れしていた。もはや事実確認をしたいという気持ちだけではなく、アデリナと仲良くなりたいという下心が生まれているようだ。
それでなくてもケンは、この世界には自分の世界よりも可愛い娘が多い、と前々から言っていたくらいであり……。
ゲルエイは、今さらのように思い出す。これまで裏稼業で関わった少女たちに対して、ケンが何度も、淡い恋情や憧れを抱いてきたことを。
「……とりあえず、今日はダメだね。アデリナは休みをもらったのだから、寺院にはいないよ。まだ街で羽を伸ばしてる頃だろうさ」
「では、明日……?」
「焦るんじゃないよ。明日になるか、明後日になるか。まだハッキリしないけど、とにかく、また召喚するからね。アデリナとの顔合わせは、その時だ」
「はい、ゲルエイさん! よろしくお願いします!」
喜色満面のケン。
あまりにも嬉しそうな少年の様子に、ゲルエイは心の中で、少し態度を軟化させた。
たとえケンがアデリナに惚れたところで、どうせアデリナの方で相手にしないはず。ならば問題はない。それに、既に魔力的な
結局。
「ヴォカレ・アリクエム・ヴェルサ!」
逆召喚の呪文を唱えて、今日のところは、さっさとケンを送り返したのだが……。
少年の姿が消えたところで、ゲルエイは、ふと気が付く。
「そういえば『神託の巫女は代々、短命』という噂もあったような……。ケン坊には伝えそびれたけど、大丈夫かねえ?」
――――――――――――
同じく、走りの月の第五、水氷の日。
まだアデリナが南中央広場で、ゲルエイに占ってもらっていた頃。
アデリナの所属する寺院の執務室では、いつものように僧官長モナクス・サントスが、書類仕事に精を出していた。
白い壁には、勇者伝説の時代を描いた絵画が何枚も飾られており、床に敷き詰められた黒いタイルは、窓から差し込む陽光を反射するほど、ピカピカに磨き上げられている。床と同じく漆黒の机には、整理された書類が山のように積まれており、そこにペンを走らせる音が目立つくらい、静謐な室内だった。
そんな中。
トントン、とドアを叩く音が聞こえてきたので、いったんモナクスは手を止めて、顔を上げる。
「どうぞ、お入りなさい」
柔和な声で告げると、扉を開けて入室してきたのは、寺院で働く僧官の一人だった。
白いシャツに青いズボン、そして坊主頭。ここまでは他の僧官たちと同じだが、少し小柄なのが、特徴になるのかもしれない。いかにも好青年という感じの笑顔を浮かべているが……。
「ああ、お前か。一人で来るとは珍しいな。アデリナの監視はどうした?」
「『監視』なんて言ってはいけませんよ、モナクス様。私はアデリナ様の従者なのですから。尊い神託の巫女であらせられる、アデリナ様の」
「芝居がかった言い方はやめろ、セルヴス。私とお前の仲ではないか。今日は誰も来る予定はないから、演技の必要もないぞ」
モナクスの言葉を聞いて、セルヴス・マガーニャの顔から笑みが消える。まるで仮面を脱ぎ捨てたかのような勢いで、好青年らしさはなくなり、逆に極悪人を思わせる面構えになっていた。
「ああ、そういうことなら……。最初の質問の答えですが、あの田舎娘だったら、今日は休みってことで、一人で街まで遊びに行きましたぜ」
と、口調までガラリと変わる。
「そうか。『神託の巫女』などと祭り上げられようが、まだまだアデリナは、遊びたい盛りの娘に過ぎん。一度寺院から出れば、夕方までは帰って来ぬであろうな」
「そうです。だから俺は、こちらに来たのですよ。今のうちに、打ち合わせを済ませておこう、と思ってね」
「ふむ。ならば……」
モナクスが何か言いかけたところで、再び聞こえてきたトントンという音。
「誰も来る予定、なかったのでは?」
セルヴスは軽く、嫌味にも聞こえる冗談を口にしてから、第三者の入室に備えて、好青年の仮面を取り戻した。
「ふむ。おそらく、セルヴスと同じではないかな」
と呟いてから、モナクスは叫ぶ。
「入ってよいぞ」
すると姿を現したのは、長身の巫女。モスグリーンの髪色が白赤の衣装に映える、巫女長カルロータ・コロストラだった。
内側からガチャリとドアに鍵をかけてから、カルロータは二人に歩み寄った。セルヴスを目にすると、少し意外そうな声を上げる。
「あら、お前も来てたのね。今日はアデリナと一緒じゃないの?」
「彼女は、お休みということで……」
「そういえば、アデリナは街へ出かけたっけ。ならば、それこそ、お前も一緒に行けばよかったのに」
立場としては『神託の巫女』の従者である以上、プライベートまでついて回るのは不自然だ。そうセルヴスは主張しようと思ったのだが、ふと、別の返しが頭に浮かぶ。
「いやいや、それは……。あくまでも俺は監視役であって、情夫ではないですからね」
「嫌だわ、セルヴス。あたしたちに対する、あてこすりのつもりかしら?」
そう言いながらモナクスの首に腕を回し、抱きつくような格好で、しなだれかかるカルロータ。
彼女の顔には、神聖な巫女には似つかわしくない、妖艶な笑みが浮かんでいた。
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