第五話 目覚めの巫女

   

 南中央広場へ出向いた翌日。

 カレンダーで言えば、走りの月の第四、火炎の日。

 アデリナ・オレイクは、窓から差し込む日差しで、朝の目覚めを迎えた。

「おはようございます……」

 むくりと起き上がりながら、挨拶を口にする。

 だが、これは独り言に過ぎず、彼女に返事をする者は誰もいなかった。ここは、アデリナの個室なのだから。

 寝起きで少しボーッとしたまま、ベッドの上から、あらためて室内を見回す。

 机と椅子が一組、衣装戸棚の横には姿見、そして本棚。家具は、それくらいだった。枕元には小さな神棚――もちろんこの世界の『神』ではなく勇者を祀っている――もあるが、アデリナの認識では、それは家具とは呼べない。

 本棚には、彼女が持ち込んだ勇者伝説の関連書や、勇者教に入ってから配布された書物などがギッシリと並んでおり、それだけで彼女は、ここを充実した部屋だと思える。

 部屋の広さ自体は、アデリナが巫女として採用された当初の四人部屋と、あまり変わりはないだろう。二段ベッドが二つあったせいか、少し手狭に感じられる部屋だったから、ここに移された時には、開放感もあったくらいだが……。

「いくら神託の巫女になったからとはいえ、私だけが贅沢するのは、どうなのかしら? 神託の巫女は他の巫女とは違うから個室、というルールは理解できるけれど……」

 特に起きたばかりの時など、彼女は時々、無性に寂しさを感じて、昔を懐かしく思うのだった。


 赤と白の巫女服に着替えて、長い黒髪も束ねてから。

 アデリナは自室を出て、廊下を歩き始めた。

 他の巫女たちも同じように朝を迎えており、廊下に出れば、彼女たちと顔を合わせることになる。

「おはよう、ベニータ」

「おはようございます、アデリナ様」

 伏し目がちに挨拶を返すベニータ。

 同室ではなかったが、アデリナと同じ時期に、この寺院へやってきた巫女だ。以前はベニータの方でも『アデリナ』と呼びかけていたのに、今は『アデリナ様』になってしまった。

 アデリナは、少し悲しく思う。距離を置かれている、と感じてしまうのだ。

 しかも、同期だけではない。

「おはようございます、アデリナ様」

「おはようございます、お姉様」

 先輩の巫女――後輩からは『お姉様』と呼ばれる立場――であっても、ベニータと同じような態度を示すのだ。

 こうして。

 一人きりの個室から出て、仲間の巫女たちと一緒になっても。

 アデリナの孤独感は、かえって増すばかりだった。


 他の寺院の仕組みはアデリナも知らないが、彼女の働くこの寺院では、本殿につながる東棟に、巫女たちの部屋が割り当てられている。

 だから巫女の寄宿舎は、女子寮のようなものではあるが、完全に独立しているわけではなかった。例えば食事は、寺院本殿の大広間で、僧官と呼ばれる男性職員たちと一緒に食べるしきたりになっていた。

 世間では「勇者教は教会神教とは違って、神官は女性ばかり」と言われているが、それは建前に過ぎない。人数は少ないものの、どの寺院も、住み込みで働く男たちを有しているのだった。

 力仕事などで男手が必要な場合もあるからなのだが、それだけではなかった。経営面を含めた事務的な仕事も、僧官たちが引き受けていた。だから巫女たちの間では、各寺院の責任者は巫女長ではなく僧官長である、というのが常識になっていた。


 朝食のために、本殿の大広間へ入っていくアデリナ。

 床も壁も天井も白い、無垢なイメージの空間だ。ご丁寧に、テーブルにも白い布が敷かれている。

 男性用と女性用にテーブルが区別されているわけではないので、いくつも並んだ長テーブルでは、どこも巫女たちと僧官たちが同席していた。

 もちろん、男女比は均等ではない。圧倒的に女性が多い中に混じる男性の気持ちは、アデリナには想像も出来ないが……。表情や態度から判断すると、ハーレム気分で喜んでいる者は一人もおらず、むしろ肩身の狭い思いをしている者ばかりのようだった。

 アデリナが一般の巫女だった頃、同年代の僧官が隣に座った時に、物珍しさもあって、少し心がときめいてしまったことがある。一方、僧官の方では「早く食べ終えて席を立ちたい」という態度を示していたのを、アデリナは今でも覚えていた。

 とはいえ、別に巫女と僧官の仲は悪くないし、また逆に、巫女と僧官の恋愛は御法度というルールも存在しない。若い男女である以上、自然にカップルが生まれる場合もあるようで……。現に今も、こうして大広間を見渡すと、

「あそこの隣同士の二人、いつも食事の時に一緒だから、実は付き合っているのではないかしら?」

 という空気を醸し出しているコンビが、ちらほらと見受けられた。もちろん露骨にイチャイチャしているわけではないが、それでも、なんとなくわかってしまうものなのだ。


 楽しそうな長テーブルの列を尻目に、アデリナは、部屋の上座に用意された四人用テーブルへと向かう。巫女長と僧官長と、神託の巫女とその従者のための席。つまり、アデリナが食事をすべき場所だ。

 僧官長モナクス・サントスと巫女長カルロータ・コロストラの二人は、すでに着席しており、先に食べ始めていた。

 モナクスは髪全体を短く刈り上げており、カルロータは長髪を後ろで結わえている。その違いはあるものの、二人とも髪色は同じであり、森の緑を思わせるようなモスグリーンだった。さらに、どちらも同じくらいの長身であるため、二人が並んでいると、まるで兄妹のようにも見える。

 アデリナに気づくと、二人は同時に、一瞬だけ食事の手を止めて、彼女に声をかけてきた。

「ああ、アデリナ。おはよう」

「おはよう、アデリナ。今朝も可愛らしいわね」

 この寺院の責任者であるモナクスは当然だが、巫女を束ねる立場にあるカルロータも、アデリナを『アデリナ様』とは呼ばない。

 特にカルロータは、彼女自身のことも巫女たちに『カルロータ様』とは呼ばせず、一人の先輩巫女という意味で『お姉様』という呼称を使わせていた。アデリナにとっては、巫女長やら神託の巫女やらの肩書きを忘れて、同じ一人の巫女として接することが出来るので、最も気の休まる相手だった。

「おはようございます、お姉様、それにモナクス様」

 挨拶を返しながら、アデリナが着席すると、

「皆様、おはようございます」

 まるでタイミングを見計らったかのように、神託の巫女の従者であるセルヴス・マガーニャも、彼らのテーブルに来るのだった。


 四人揃っての食事となり、しばらくしたところで。

 僧官長モナクスが、穏やかな声で、アデリナに話しかける。

「そういえば、アデリナ。昨日は結局、目的は果たせなかったのですね?」

 南中央広場の飴玉キャンディ売りに、神託を伝えに向かった件だ。

 昨日、寺院に戻った時点で、事務的な報告は上げていた。だから、あくまでもこれは、食事の席での雑談なのだろう。

 そう考えて、アデリナは対応する。

「はい、そうです。店は休みで、他の露天商たちに聞いて回っても、住居までは不明でした。一応、露天商の一人に、伝言を残しておきましたが……」

 これでは、昨日の報告書と同じだ。なんだか堅苦しい、とアデリナは思う。

 同じ朝食の場であっても、長テーブルの巫女たちの噂話ならば、どんな内容の話も、もっと面白おかしい雰囲気だった気がする。おそらく、自分は口下手なのだろう。

 内心で苦笑しつつ、言葉を続けるアデリナ。

「……今日もう一度、行ってみるつもりです。伝言を残す形では不十分。そうセルヴスにも言われましたから」

 隣の従者にチラッと目をやって、微笑みを向ける。

 敢えてアデリナは、セルヴスの「伝言を預かった占い屋が、さも自分が占ったという顔で、それを利用するかもしれない」という考えまでは、報告しなかった。そこまで言ってしまうと、まるで「セルヴスは人を信じていない」と告発するようなものだ、と思ったのだ。

「そうですか。確かに、直接もう一度、伝えに行くのが確実ですね。では、特に新しい神託がないのであれば、その案件を続けなさい」

 穏やかだった僧官長の口調が、ここで少しだけ固くなる。

「もしも何か重要そうな神託が下されたならば、そちらを優先するべきでしょうけど」

 モナクスの言葉を耳にして、アデリナは緊張した。

 もう、単なる雑談ではない。昨日の報告のおさらいではない。

 彼は僧官長として、神託の巫女であるアデリナに対して「新しい神託は降りてきましたか?」と尋ねているのだ。

 朝の食事の席で、このような質問を受けるのは、恒例行事のようなものだった。何しろアデリナは、眠っている間に見る夢という形で、神託を授かっているのだから。


 人は朝の起床の際、睡眠中の全ての夢を覚えているわけではないだろう。

 アデリナだって同じだ。「何か夢を見たような気がするけれど、よく覚えていない」というケースが多かった。しかし中には、妙に印象に残り、起きた時点で鮮明に覚えている夢もある。

 それが、勇者から与えられる神託だった。

 神託なのか、単なる夢なのか。少し曖昧なものも皆無とは言えないが、大抵の場合は、アデリナ本人が「これは夢ではなく、神託に違いない!」と自覚できていた。それらは、夢特有の荒唐無稽な部分が一切なく、非常に現実的な内容なのだが……。

「そういえば……」

 と、眉をひそめるアデリナ。

「……モナクス様に尋ねられるまで、意識していなかったのですが。もしかしたら、あれも神託だったのかもしれません」

「ほう?」

 興味深そうなモナクスに促されて。

「はい。今朝の夢なのですが……」

 アデリナは、まだ自分でも整理できていない頭の中身を、ポツリポツリと語り出すのだった。

   

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