第四話 去っていく巫女

   

 ピペタ・ピペトたちが行く前に、巫女姿の娘と坊主頭の従者の用事は、終わってしまったようだ。

 二人はゲルエイ・ドゥの占い屋から、立ち去る気配を見せていた。

「あっ、残念……」

 ピペタの後ろで、タイガが惜しむような声を上げる。彼の予定では、ゲルエイの店で談話に加わって、噂の『神託の巫女』とも言葉を交わすつもりだったらしい。

 南中央広場の見回りをしている以上、広場の露天商たちに「問題はないか」と声をかけて回るのは、都市警備騎士としての仕事の範囲内。その場に他の者がいるのであれば、会話に参加するのも自然だろう。一方、トラブルが発生したわけでもないのに、ただ道を歩いているだけの娘に話しかけたりしたら、もはやそれはナンパであり、職務を逸脱している。

 ピペタはそう考えていたし、タイガの態度から判断するに、彼も同じだったようだ。お調子者に見えるタイガでも、その程度は正しく理解してくれているのだと、ピペタは少し部下を見直すのだった。


 ウイングはタイガとは異なり、巫女と話をすることよりも、自分の推理が正しかったのかどうかを確かめる方に関心があるはず。神託に基づくアドバイスをゲルエイが受けていたのかどうか、それはゲルエイに尋ねれば良いことなので、巫女と従者がいなくなるからといって、占い屋へ行く気がせるわけではないようだった。

 最初から乗り気ではないピペタも、今さら反転するのは何となく不自然、と思っており……。

 占い屋へ向かう四人と、そこから帰ろうとする二人は、少し手前ですれ違う形になった。

「やはり軽率ですよ、アデリナ様。神託の内容を言伝ことづてするなんて……。ましてや、相手は占い屋です。さも自分が占ったという顔で、アデリナ様から告げられたお言葉を、利用するかもしれません」

「あら。セルヴスこそ、いけませんわ。そんな、人を疑うようなこと……」

「いいえ、アデリナ様。市井の占い屋など、信用するものではありません。口から出任せを述べ立てて、それで金を騙し取るような仕事ですから」

 坊主頭の従者と黒髪の巫女は、二人だけの世界で喋っている、という感じだった。

 だが、近づくピペタたちにも聞こえてしまう。

「それでは、詐欺師じゃないですか。あの占い屋さん、それほど悪い人には見えませんでしたわ……」

「アデリナ様」

 鋭い口調で短く、巫女の言葉を遮る従者。

 ようやく、ピペタたち四人の存在に気づいたらしい。

 彼は視線を、連れの巫女からピペタへと移し、

「見回りご苦労様です、騎士様」

 そう言って頭を下げると、巫女と二人で、足早に去っていく。

 ピペタが反応を返す暇もないほどだった。

「あ……」

 再びタイガが、残念そうな声を上げる。彼が神託の巫女に話しかける隙も、当然ないのだった。


 タイガの胸の内には、様々な想いが渦巻いていたのかもしれないが。

 ピペタはピペタで、考えてしまう。

 巫女とすれ違った際に、彼女の長い黒髪から、独特の香りが漂ってきたのだ。

「これは……」

 スーッとする清涼感と、ハッと目が覚めるような、小さな刺激のある匂い。もちろん悪臭などではなく、どことなく高貴なイメージを感じさせる香りだった。

 一般的な香水に使われる匂いではないし、女性らしさを連想させるものとも違う。だが、美人が纏えば妖艶さにも繋がるような、不思議な芳香だった。

 何だろう、と思いながら、足を止めてしまうピペタ。つい振り返って、彼女の後ろ姿を目で追っていたら、

「ピペタ隊長……。いくら神託の巫女が魅力的だからって、そうやって見とれていたら、タイガと同じですよ?」

 呆れ声のラヴィに、注意されてしまった。

 ラヴィがピペタを慕っているらしいことは、ピペタも理解している。もちろん、年齢が離れているので「異性として」ではなく「部下として上司を慕う」という意味のはず。こうして「美人に見とれるな!」という文句が出るのも、女性の嫉妬ではなく「仕事中なのに!」という叱責。ピペタは、そう認識していた。

「ああ、すまない。だが、彼女に見入っていたわけではないぞ。ただ、不思議な匂いがしたようだから、少し気になって……」

「まあ、いやらしい! 若い娘の体臭に、心を奪われるなんて!」

 いつになく大きな声を上げながら、ラヴィが思いっきり顔をしかめる。

 ピペタは自分の失言を悟り、どう取り繕うべきか、少し困惑するが……。ピペタ自身が下手な言い訳をするよりも早く、横からウイングが助け舟を出してくれた。

「違いますよ、ラヴィ。ピペタ隊長の言っているのは、ビャクダンのことですよ」

「ビャクダン……?」

 少し冷静さを取り戻した態度で、ラヴィが聞き返すと、

「そうです。香木の一種ですね。勇者教が祭事で使う、センコウという道具に含まれている材料であり……」

 またもや薀蓄うんちくを語り出すウイング。

 センコウは昔々、別の世界から召喚されてきた勇者たちが、この世界に持ち込んだものらしい。だから勇者を神として崇める勇者教では、そのセンコウを、祭事の道具にしているのだという。

「センコウは元々、勇者たちの世界でも、死者の弔いとか供養とかで焚くおこうだった、と言われています。その意味でも、勇者教のような宗教組織で使うには最適なのでしょう。きっと寺院の中はセンコウの匂いが充満しており、神託の巫女の衣服や髪にも、それが染み付いているのでしょうね」

「なるほど、そういうことか。ありがとう、ウイング。私の好奇心を満たしてくれて」

 わざとピペタは『好奇心』という単語を強めに発音した。「女性に対する関心ではなく、単純な好奇心に過ぎなかった」と、特にラヴィに対して、主張したかったのだ。

 ラヴィは、まだ若干、腑に落ちないような顔をしているが……。それ以上は何も言ってこないので、一応は、納得してくれたようだった。


 こうして、少しの間、ゲルエイの店の近くで立ち話をしていたので。

 ピペタたちの接近は、彼女の方でも、とっくに気づいていたらしい。

 ちょうど会話が途切れたところで、ゲルエイから声をかけてきた。おそらく、タイミングを見計らっていたのだろう。

「騎士様! いつも見回り、ご苦労様です」

「ああ、占い屋。いつも通り、ここで店を開いているのだな」

 と返しながら、ピペタは、一歩前へ。

 部下の三人を後ろに従える形で、彼らには表情を見られない体勢にしてから、ゲルエイに、意味ありげな視線を送る。

「先ほどの二人組は、お前のところに来た客か?」

 おそらく部下たちには、普通に「占い屋の客か?」と尋ねたように聞こえるだろう。

 しかし、ピペタの真意は違う。「もしかして、裏の仕事を頼みに来た客なのか?」と目で合図したつもりだった。

 占い屋は秘密の相談事を聞く機会も多い仕事なため、最初はオモテの客だったはずが、復讐屋の案件に繋がるケースも、過去に何度か出てきていた。

 ピペタの質問の意図は、きちんと相手に伝わったらしく、

「いいえ、違いますよ。ただ、あの二人は……」

 ゲルエイは、大げさな口ぶりと表情で否定する。彼女が「裏の仕事じゃないよ」と言っているのを、ピペタは理解した。

「……飴玉キャンディ売りのディフィッチレを訪ねてきましてね。でも場所がわからなくて……。ほら、暇そうな占い屋なんて、ただの案内所みたいなものですから」

 ゲルエイが自虐的な笑みを浮かべるので、彼女の軽口に付き合うような口調で、ピペタも対応する。

「ほう。勇者教の巫女のようだったが……。なるほど、真面目な宗教家であっても、若い娘ならば、甘いものを欲するということか」

「いえいえ、飴玉キャンディを買いに来たわけではありません。ディフィッチレに神託を告げに来たそうですが、店が休みだったので、あたしが代わりに聞いておきました」

 ゲルエイの発言を耳にして、ピペタの後ろでは、タイガとウイングが言葉を交わしている。

「やっぱり、さっきのは神託の巫女だったんだ! ウイングの予想通りだね」

「そこまでは正解でしたが、ディフィッチレに神託を告げに来た、ということは……」

 ウイングの推測の後半部分は、不正解だったらしい。それを察しつつ、ピペタはゲルエイとの会話を続けた。

「神託とは、飴玉キャンディ売りも偉くなったものだな。……いや噂によると、勇者教の『神託』は庶民的な内容が多いそうだから、案外、露天商には相応しいのかもしれん」

「そうです、騎士様。今回の神託も、飴玉キャンディ作りの機械が故障するとか、その関係で大怪我するとか、そんな話で……。だから注意しなさい、という忠告でした」

 だいたい、事情はわかった。

 この広場におけるトラブルではないから、都市警備騎士の仕事とは無関係。それに裏の仕事とも無縁だから、ピペタにしてみれば、本当にどうでもいい話だった。

 ウイングたちの些細な好奇心も、十分に満たされたことだろう。

 そう考えたので、

「ふむ。要するに、世間話のようなものだったのだな。先ほどの二人に続いて、私たちも邪魔をしてしまったようだし、これで立ち去るとしよう」

 ゲルエイに一声かけてから、部下を促しつつ、占い屋から離れた。

「さあ、次へ行くぞ」

「はい、ピペタ隊長!」


 そう。

 この時点では、神託の巫女との出会いは、裏仕事には関わらない出来事だと思っていたのだ。

 ピペタも、そしてゲルエイも。

   

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