甘くても苦くても②(VD編)

 チョコレートを湯煎で溶かして、バターを混ぜる。

 砂糖を混ぜた卵白をメレンゲにする。



 お菓子作りをしていると、心が浮き足立つようだ。

 他の料理も好きだけれど、お菓子作りは何だか違う。甘い香りのせいかもしれないし、食べてくれる人達の喜ぶ顔が想像しやすいからかもしれない。



 卵黄と砂糖を混ぜてから、チョコレートと生クリームを混ぜる。

 ふるっておいた粉類をさっくり混ぜる。

 メレンゲも混ぜこんだら、型に流してオーブンへ。


 ふぅと一息ついて、レオナさんの方を伺うと、小さいサイズに作ったタルトカップが焼き上がったところだった。


「綺麗に焼き上がりましたね。とっても上手ですよ」

「クレアさんが手伝ってくれたからですー。これに生チョコを絞っていけばいいんです、よね……?」

「ええ、生チョコは冷めました?」

「うーん、まだ柔らかいですね。美味しそうだけど、飲みたいけど。……もう少しかかりそうなので、私はこっちの洗い物をしておきます。それも片付けちゃうので、クレアさんは別の作業をしていていいですよ」

「ありがとう、助かります」


 飲みたいって聞こえたような。我慢しているのかもしれない。 

 レオナさんは使った調理器具をまとめてシンクに持っていってくれる。機嫌良く鼻歌が聞こえてくるけれど、時折音を外すそれが何だかひどく心地よかった。

 


 わたしはレオナさんに甘えて、次にショコラテリーヌ作りに取りかかった。これはライナーさんの分、ヴェンデルさんにはオレンジが香るブラウニーにしようと思っている。

 甘いものが得意じゃないアルトさんには、チョコレートでシェルを作って、それで水飴とお酒を混ぜたものを閉じ込めよう。作ってみないと、上手く出来るか分からないけれど。



 ケーキの焼けるいい匂いが広がっている。厨房の中はチョコレートの匂いで満ちている。

 それに誘われたのか、扉をノックする音が聞こえた。


 わたしとレオナさんは思わず顔を見合わせる。

 レオナさんはタルトに生チョコを絞っていたのだけど、それを中断して扉へと近付いた。鍵が掛かっているのにも関わらず、扉を開けようとしているのかドアノブがガチャガチャと鳴っている。


 わたしはそれに構わず焼き上がったケーキを取り出した。今度は湯煎焼きする為に、型に入れたテリーヌをオーブンへと入れる。

 もう一つのオーブンには、薄切りオレンジやナッツを散らしたブラウニーが入っている。オーブンの近くにいると熱気で汗をかいてしまうくらいに暑い。



「だからダメだって言ってるでしょ!」


 レオナさんが声を荒げる。思わずそちらに視線を向けると、腰に手を当て肩を怒らせたレオナさんが扉の前で仁王立ちしていた。


「味見役なんていらないから、ぃは仕事に戻りなさい!」


 どうやらドアノブを揺らしているのはライナーさんのようだ。予想通りというかなんというか、思わずわたしが笑ってしまったのも仕方のない事だと思う。


 休ませておいたクッキー生地を麺棒で伸ばしながら、わたしはレオナさん達のやりとりを聞いていた。


「しつこいなぁ、もう! 今すぐ仕事に戻らないと、クレアさんの作ったお菓子は全部私が食べちゃうからね!」


 ガチャガチャ揺れていたドアノブが、ぴたりとその動きを止めた。立ち去っていく気配が、どことなくしょんぼりしているようで、わたしは肩を震わせるばかり。

 わたしの隣に戻ってきたレオナさんは、盛大な溜息を全身でついた。


「ほんとにもう!」

「ふふ、厨房の外にもいい匂いがしているんですね」

「私もいつも匂いにつられて厨房に来ていますから、気持ちは分かるんですけどね。しつこいんだから、本当に」


 肩を竦めるレオナさんだけれど、それでもその表情は優しい。


「それだけ楽しみにしてくれているんですね」

「楽しみにしているのは私もですよ。そのケーキ、私のですよね?」


 焼き上がって冷ましているケーキに、レオナさんの視線が向けられる。レオナさんはフォークのしまってある場所へ一瞬視線を向けるも、深く息を吐いてからまた絞り袋を手に取った。


「……食べたぁい」


 小さく聞こえた呟きが何とも切実で、わたしは飾り付けによけておいたオレンジから一房を取ると、開いたままの彼女の口に放り込んだ。


「このあと大量にクッキーを焼くんです。味見しましょうね」

「はい!」


 すっかり機嫌が良くなったレオナさんは、また鼻歌を響かせながら飾り付けに戻っていく。アラザンやナッツ、ドライフルーツをたっぷり盛った可愛らしいタルトが出来上がっていく様子は見ていても楽しい。

 「こうかな?」なんて器用に雪だるまの飾りも作っている。

 


 ブラウニーが焼き上がる。入れ替わりにクッキーを乗せた天板をオーブンに入れる。

 お酒を閉じ込めたチョコレートも固まってきている。まだ掛かるようなら、魔法を使って固めてしまおう。丸い形のチョコレートが光を受けて艶めいた。




 わたし達が厨房に籠り初めて、既に数時間。

 夕飯の仕込みに料理人さん達も戻ってきて、鍵を掛けていた扉も解放された。


 わたし達は邪魔にならないように端の一角を借りて、出来上がった大量のクッキーにチョコクリームを塗って、もう一枚のクッキーで挟む作業をしていた。

 レオナさんも一緒にやってくれているのだけど、時折クッキーがお口の中に消えていくのをわたしは見ない振りをしている。


「それにしても、この短時間でよくこんなに作れましたね」

「いやいや、結構籠ってますよぅ。もう夕方ですもん」


 心地よい充足感に包まれながら、わたしは出来上がったクッキーをトレイに並べていく。夕食時に全員に食べて貰えるだろう。……味見でこれ以上、大幅に減らなければ。


「もう、ぃってば、またうろうろしてる」


 レオナさんがまたクッキーを口に運んだ時だった。レオナさんが溜息混じりに呟いて、扉へと視線を向ける。その視線を追いかけると、こちらを伺うライナーさんの姿が見えた。その後ろにはまさかのヴェンデルさんの姿も。


「ヴェンデルさんもいますねぇ。二人ともお仕事は終わったんでしょうか」

「終わってないですよ、きっと。気になって仕方ないんだと思います」


 レオナさんは場所を移動し、入口からわたし達の手元が見えないように背中で隠しているようだ。


「女の子の楽しい空間を覗くなんて、だめですからね」


 そう言って悪戯に片目を閉じるレオナさんは、見惚れるくらいに可愛かった。


「ふふ、でも本当に楽しかったですねぇ。こんなに一気に作る事もなかなか珍しい経験でした」

「私もクレアさんと一緒にお菓子作りが出来て嬉しかったですよ。食べるだけでなくて、作るのも楽しいんですね。またやりましょうね!」

「はい、ぜひぜひ!」


 わたしは出来上がったクッキーを綺麗に並べると、余ってしまった一枚にたっぷりとチョコクリームを乗せた。それをレオナさんの口許に寄せると、躊躇なくぱくりと食べてくれる。

 扉の方で、「ああ……」と声が聞こえたのはきっと気のせい。


「美味しー!」

 

 今日一番の大きな声で、レオナさんが笑った。

 本当に楽しかった。お友達と一緒にお菓子を作る、それがこんなにも楽しい事だなんて。

 レオナさんはいつもわたしに、新しい事を経験させてくれる。それに感謝をしながら、わたしは大切な友人と笑いあった。

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