第19話 王の求婚(三)

 通された部屋は応接間の一つか何かなのだろう。布張りの広々とした長椅子が一つ、それを挟んで飾り彫りの足を持つ大理石の低い卓があるだけの部屋だ。大きな出窓は開け放たれ、夜風が窓覆いの薄布を翻す。

 窓際で風に当たっていた王は、ラピスの来訪に間口まで進み出てきた。

「お休みのところをお呼びだてしてすまない。まあ、腰を落ち着けるがいいよ。何か、果実酒でも持たせようか」

「いえ、もうお酒は十分すぎるほど頂きましたので。お水など頂戴できますでしょうか」

「すぐに持たせよう。檸檬をつけて」

 ラピスは軽く礼をして椅子に座った。ラピスを案内してきた女官は王の合図で次の間から水差しと盃の載った盆を運んでくると、それらを卓の上に置いて部屋を出て行った。

 「飲みなさい」と勧められるまま、ラピスは檸檬の輪切りが浮かんだ盃に口をつける。仄かな酸味が酒で焼けた喉を心地よく刺激する。

「ところで」

 女官の足音が完全に聞こえなくなると、それを待っていたように王は口を開いた。

「貴国のラピス王女は、もう婚約者はいるのかな」

「ふぉごっ」

 人とは思えぬ奇声を発し、ラピスは思い切り噎せた。檸檬の種が危うく器官に入りそうになる。客人に出す檸檬水で種を取ってないなんて配慮がなってないわ、とか普段なら思うところなのだが。

「かはっ、し、しつ、れいをい……はぁ、失礼を致しました……突然の御言葉に。驚いたものですから」

 持っている気力を総動員して咳を押しとどめ、ラピスはぎりぎり無礼にならない引きつり気味の笑顔を取り繕う。王はその様子に少し眉を上げたが大して気にするふうでもなく、平然と続けた。

「突然ということはないさ。ラピス王女も王女としてはそろそろ婚約を考える御歳だろうし、私とて同じ歳頃だ。良き釣り合いだろう。侍女である貴女からそれとなく促されては。是非とも、ラピス王女には輿入れを願いたいと思っていてね」

「な」

 ——にそれ。

 ラピスが被った猫は早くもずり落ちそうになった。大慌てで舌を噛み、口に出た言葉の後ろを誤魔化したため、愛想笑いがうまく作れない。

「そ、そんな……いやですわ殿下、そんなわたくしなどがラピス様のご意向をどうこうできるものではありませんし……」

「そんなことはなかろう。王女付きの女官とあらば王女の相談相手であり、助言をする身であるはず」

「わたくしがお話しすることなど、庶民がする他愛もない話ですからして」

「何を言う。王女のこととあれば、そなたのことに関わることであるぞ。そなたも王女が我が国のような強国と結ばれれば国も豊かになってよかろう」

 王はなかなか引こうとせず、卓上に上半身を乗り出してじりじりとラピスの顔と距離が近くなる。

「そちらの王のご容態も思わしくないのならば、パニアの者がリアを、いや、女子しか継ぐ者のない国土全体を守るという手もあるのだ」

 ——なんですと。

 王の最後の言葉を耳にし、ラピスの頭に一気に血が上った。まだ酒が抜けきれていなかったらしい。

「パニア王」

 もう礼儀も何もかも無視して、思い切り睨みつける。

「ラピス王女は御自身の意思は御自身で決める方であり、わたくしをはじめ他が何を申し上げても聞きません。王女はまだ力及ばぬところがあるやもしれませんが、次の為政者が女ということに異を唱えられるほど我が国は堕ちていませんわ」

 いつの間にか重ねられていた王の手を払いのけ、勢いよくラピスは立ち上がった。

「ラピス王女に陛下のお気持ちをわたくしからお伝えしても無駄です。御自身でどうぞ我が国までお越し下さい。御本人のお口からでなければラピス様はお耳に入れませんわ」

 何か言おうと口を開きかけた王に構わず、ラピスは扉へ向かった。

「明日には発ちますわ。王の御歓待に感謝し、国へ御伝え申し上げましょう。それでは」

 ばたんと大仰に扉を閉めて応接間を背にすると、ラピスはもと来た方へ向かって廊下に足音を高く響かせた。

 それを聞きながら、王は扉を見つめて微笑を浮かべた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る