第18話 王の求婚(二)

「遠路はるばる、ようこそいらした」

 王宮の広間、白い絹のひかれた長机の端と端に、クエルクスとラピス、そしてパニア王が向かい合って座っていた。高い天井から降りる煌びやかな水晶で飾られた燭台が、ずらりと並べられた食事を色鮮やかに照らす。交易の都らしく海のもの山のものが長机を覆いつくし、秋桜色に透ける盃には琥珀色の食前酒が並々と注がれていた。

「今宵は両国の友好を讃えて、存分に召し上がって頂こう。クエルクス殿、キュアノ殿、まずは無事に訪れた夏と、パニアに杯を」

 二人の名——ラピスは偽名だが——を呼ぶと王は立ち上がり、盃を目の高さへ掲げる。

「乾杯」

 口に含んだ酒は濃縮した蜜を思わせる甘さで、焼くような刺激を与えて喉を降りていく。まだ酒が飲める年齢になってほどないラピスには少し度が強い。隣のクエルクスは酒を飲んでも表情一つ変えないが、自分たちをもてなす城の主を険しい顔で見ていた。

 パニア王はまだ若い。年齢は確か、クエルクスと同じと聞いていた。熱気を帯びた夜気にふさわしく、袖の短い薄手の長衣の上に軽そうな羽織りを纏うだけの軽装であるが、光沢を帯びたそれは贅沢に明かりを灯した部屋では目に眩しい。さらに腕や指には大小の宝玉を嵌め込んだ黄金の輪を幾重にもつけており、王が身動きをするたびにぶつかり合って硬い音をたてる。

 王が身につける服飾もひどく贅を尽くしたものだが、供された食事も同様だった。とても三人で食べ切れる量ではない。しかも使われている食材は明らかに一級品だ。特に海産物など、内陸国のパニアでは輸送中に保存のきく乾物や塩蔵しか手に入らず、それらはかなりの値段であるはずだ。いくら隣国の勅使相手とはいえ、名目上は高官でもない若輩二人への待遇とはとても思えない。

「この上ない心尽くしのおもてなし、慎んで感謝申し上げます」

 無礼と言えるほどに相手を凝視しているクエルクスとは対照的に、ラピスはにこやかに微笑んだ。そして勧められるままに、切り分けられた珍味を口に運び、上品に美味を賛辞する。

「それでもよろしいのでしょうか。私共のような下賎の者が陛下と夕餉の席を共にするなど」

「何を馬鹿な。ユークレースの国王、王女両殿下の勅使とあればこそ。山海の珍味ゆえ口慣れないかもしれないが」

「一生かけても味わえないものもありましょう。勿体無いことです」

 花のような笑みを絶やさず、淑やかな挙措で食器を扱い、ラピスは嫌な顔一つせず食事を進めている。礼法の訓練の賜物か、身のこなしもクエルクスと二人の時とは大違いだ。

 腹の中に疼くものを不快に感じながら、クエルクスも燻った木の芽の肉巻きに甘辛いたれをかけたものを口に入れてみる。薬草のような香辛料がきつい。ユークレースにはない味付けだ。

「ところで、国王の容態が悪いと聞いているが」

 歯で噛んだ木の芽の苦さと王の聞き捨てならない発言に、クエルクスは咳き込みそうになる。王の病状の悪化は他国に漏らしていないはずだ。急いで水を口に含んで食べ物を喉の奥へ流し込み、そっとラピスを盗み見た。

「貴国とのこれまでと変わらぬ良好な関係には、何ら支障はございませんわ」

 ラピスは眉の高さすら変えずにいたが、食器を握る右手の人差し指が反り返っていた。

「そうか。ユークレースとの国交は我がパニアの更なる発展に不可欠であるからして。我が国の良質な染料や工芸品が他国のいずれよりも優るというのは貴国もご存知の通り。この交易の都あってこそユークレースの品々も市場を広げられるのだから……」

 自国の栄華ばかりが王の口に上り、ユークレースに対しては商売相手かつ海外の窓口としての重要性がとくとくと語られていく。政治に携わる役人ではなく、王族に仕える身でしかないクエルクスに外交の席での発言権はない。ラピスの方も頬を笑みの形から動かさず、パニア王の話を止める様子もなかった。

 その後、食事の間中、王は雄弁に語り、ラピスは当たり障りのない受け答えをし、クエルクスはひたすら出されたものを消化するのに精を出した。


 


「くあぁ、疲れた」

 たっぷり二時間ほどかかった夕餉の席から部屋へ帰るや否や、ラピスは靴をほっぽり脱いで寝台に倒れ込み呻き声を出す。

「……見事な猫かぶりですよ……」

「が、い、こ、う、ですから、一応。表向きは王女のパニア訪問時の作法も聞けたし。でもなぁにぃあのパニア王は」

「やたらと贅沢なお暮らしがお好みのようで」

「ほんと。嫌よね。あの残っちゃったご飯どうするのかしら。ここのお城の方々が潤沢に召し上がれるならいいけど」

 うだうだと言いつつ、綿織りの薄がけが敷かれた寝台をラピスは二回、三回転する。

「しかも何で父様の具合のことなんて……悪化していることは外には出ないよう注意していたはずよ」

 四回転半回って寝台の端から端まで来たラピスは、仰向けのまま独り言ちた。クエルクスが何か相槌を打ってくれると思ったが何も応答がない。代わりに荷物を開ける音に続いて、椅子を引く重い音がするので半身を起こす。

「何してるの?」

 見ればクエルクスは羽根ペンを雑に走らせて何やら書いている。

「何も」

「書いているじゃない」

「グラディ……宿のあいつに、連絡ですよ」

 紙から目を離さず、面倒臭そうな答えだった。礼状でも書くのか、几帳面なクエルクスらしい。すらすらと動く羽根ペンをぼうっと見ていたら、ラピスもふと思いついた。

「私も、父様に手紙を書こうかしら」

 そう言えば国を発ってから何も連絡を入れていない。城にいた時には父に手紙など書いたこともなかったので、書簡など思い付かなかった。

「駄目ですよ」

「えっ何でよ」

 きっぱりと返された理由が分からず、寝台に座り直して抗議する。枕を力一杯掴んでクエルクスを睨みつけるが、相変わらず視線を落としたままで筆を休ませもしない。

「一般人の僕が一般人の友人に手紙を書くのは何ら問題ないですが、貴女は王族でしょう。御忍びで来ている人間が王族、しかも国王に書簡なんていけません。王城同士の書簡でない限り、検問を通して宛先が確認されます。一般人同士のものなら誰も気に留めやしませんが、女官が国王へとなれば何の封書か訝しがられるでしょうし、陛下に届くまでに誰の眼に触れるかも分かりませんよ」

「クエルなら鳩が使えるじゃない」

 王城間で交わされる書簡ならば、管轄の役人の管理の下、国際法に則って他国不可侵のまま国に送られる。宰相は国王代理としてその方法をとったのだろうが、女官ほどの身分でそれは不可能だ。とはいえ鳥獣に言葉の通じるクエルクスなら、他人の手を介さず鳩や鴉に頼んで書簡を城まで直接運んでもらえるはずだ。ラピスはクエルクス自身の書簡も当然そうするものだと思っていたのだが、クエルクスは断固として首を縦には振らなかった。

「鳩は使えません。僕も今回は郵便馬車を使います。先ほど休暇で市街へ帰ると話していた下男がいたからちょうどいい」

 インク壺の蓋をしその上に羽根ペンを置くと、クエルクスはまだインクの乾ききらない書面の上に紙を重ねててきぱきと折り畳んでしまう。先程の食事の時の王の鼻持ちならない態度といい、何か誤魔化していそうなクエルクスの様子といい、ラピスには苛つく事の多い日だ。

 面白くない。供された酒の刺激がまだ喉の奥に貼りついているせいかもしれない。

「あらそう、ならいいわ。私はちょっと水でも貰いに行く」

 宛名書きを続けるクエルクスに乱暴に言い捨てて、ラピスは廊下に出た。

 食事の間に向かう廊下の途中に給仕のための小部屋があったはずだ。まだ二人が退席してから間もないので、誰か片付けに残っているだろう。そう算段をつけて再びさっき通った廊下を歩いて行くと、反対側から女官がこちらへ向かって来た。女官がラピスに気付き礼を取るので、ラピスも慌てて脱いだばかりの猫を被り直し、笑顔を取り繕う。

「先程は身に余る歓待の席をありがとうございます。少し美酒に気持ちが高ぶりまして。お水など頂戴できないかと」

 すると女官は「ちょうど良かった」とラピスの手を取り、二人の客間とは反対側、城の奥を指した。

「王からお連れするようにと仰せつかったものですから、お部屋へお迎えに上がろうと思っておりました。お飲み物もお持ちいたしましょう。ぜひこちらへ」

「それでは連れも呼んで参りましょうか」

「その必要はございません。キュアノ様に関わることですから」

 そう言われては、何の話か気になる。しかも今のラピスは、先ほどのクエルクスの様子も釈然としないので、同じ部屋でクエルクスと寛げる気分でもなかった。城内で隣国の賓客扱いなのだから、両国の関係を考えてもまさか滅多なことは起こらないだろう。そう判断して、ラピスは長い廊下を女官のあとについていった。

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