王の求婚
第17話 王の求婚(一)
ラピスが向かっていったのは、服飾雑貨店が並ぶ石畳の大通りだった。売っている商品に合わせているのか、左右の小売店舗の看板や外壁の装飾がそれぞれ異なるために、全体的に雑多な感じのする通りである。
商店は窓際や店頭に目玉商品を飾り出していたので、取り扱っている品がどういった趣味のものなのかはわざわざ店内に入らずとも一目瞭然だった。ラピスは右へ左へと首を回して、通りに出ている商品を見ながらいくらか行くと、左手に立つ大きく窓をとった商店に目を止め、「こっち」とクエルクスの腕を引っ張ってまっすぐ店の中へ入っていった。
「ごめんください」
店内に並んでいたのは、一介の旅行者には買えない驚くほど質の良い衣服や装飾品だ。もともと王宮にいたので物の良し悪しについてはかなりの鑑識眼があるラピスである。さっと店の中を見回すと、夏物の薄手の布地で仕立てられた夜会用にも適する洒落た女性用の長衣と、細やかな刺繍の施された飾り紐、絹で織られた男性用の上下などを、あれよという間に選んでいく。どれもとてもこの旅程に必要とは思えない上物だ。
本当に王宮に行く気なのかと、クエルクスは驚きと呆れ、そして焦りをない交ぜにした複雑な心境になる。しかしそんなクエルクスを放っておいて、ラピスはさっさと勘定を済ませてしまう。
服飾店で買った大荷物をクエルクスに押し付け、ラピスは次へ次へと店を変えていく。ただし残りの時間は、それこそ旅装と言える簡素な夏物の衣類を男女数点ずつ買い揃えていき、普段と同じようにクエルクスにも意見を聞いていった。その様子の変化が居心地悪く、むしろ不可解すぎて不気味でもあり、クエルクスは大人しく聞かれたことだけに答えることにした。
ラピスが買い物の終わりを告げたので、二人は街を見て回ることもせず、西陽が橙色に染まり始める頃に宿へ戻った。
そして次の朝、朝食を終えた直後、クエルクスが知らぬ間に呼びつけられていた馬車に乗り込み、ラピスは本当に「王宮まで」と述べたのだった。
パニア王宮は王の平地の居城である。物見の塔を備えて階層高く作られることの多い城砦とは異なり、広大な敷地を贅沢に使った都の王宮だ。
ラピスとクエルクスを乗せた馬車は、中庭を透かし見る黒塗りの鋼の門の前に止まった。そしてそこにはすでに女官や執事と思われる者たちが一列に並び立ち、車から降り立ったラピスとクエルクスをパニア公式の礼で迎えた。
「お待ち申し上げておりました、ユークレースよりはるばるパニアへようこそ。執事長を勤めております、インシッドと申します」
上官たる自尊心の感じられる男性が恭しく述べると、その左に並ぶ者たちが二人の荷物を受け取る。ラピスはそれに謝意を述べ、左足を前に出し、両手を胸に当てて身を前に四十五度、傾けた。ユークレース最上の礼である。
「わざわざ門前まで恐れ入ります。御多忙の折、ご寛容に心より感謝申し上げます。ユークレースの我が主君に代わりまして貴国の御多幸と御繁栄の祈りを」
そう言うと今度は左足を引いてつま先を後ろへ立て、右手で長衣の裾を前へ折り、軽く腰を下げる。パニアの公式礼だ。
王国間の正式な謁見だと挨拶で示すラピスを見て、クエルクスも慌ててそれに倣い脚を一歩引いて腰を落とす。
「長旅、お疲れでしょう。貴国より先だって書状を頂戴してから、心待ちにしておりました」
ユークレースからの書状とは恐らく、道行が順調に運ぶようにと、自分たちが国を発った後に宰相が手配したのだろう。
——ほうら、国使と言われればラピスが義務を果たすことくらい、宰相ならわかっているじゃないの。
インシッドの言葉から事の次第を理解して、城行きに対するクエルクスの驚きは彼の思慮が足りないのだわ、とラピスは多少の優越感を感じる。
「本日は誠心誠意の歓待の席を設けたいと王から承っておりますゆえ、どうぞ夕の刻までごゆるりとお過ごしください。お二人の御部屋に御案内致します」
インシッドの言葉を合図に女官達が門を開け、二人を中に
門を入ると、庭の中央で花々に囲まれた美しい円形の噴水が水飛沫を上げている。それを低層の王宮の建物がちょうど正方形の三辺を成す形で囲んでいた。王宮の薄い山吹色の壁には長方形の玻璃の窓が規則的に並び、それぞれの窓の縁に草花があしらわれて彩りを添えている。
建物の中に一歩入れば、石造りの城内は外の熱気を遮断してひんやりと涼しい。銀細工の燭台が天井近くに一列に並ぶ廊下を抜けて、ラピスとクエルクスは左翼の二階に案内された。鈴蘭模様の壁紙が美しく、その中央に中庭を臨む大きな窓を持つ部屋である。
「必要なものがありましたら、遠慮なく卓の上の呼び鈴を振ってお呼びくださいませ」
そう述べて執事や女官らが部屋を出て行くと、朝からラピスに黙って従っていたクエルクスは、ようやく口を開いた。
「いつの間にこんな手配……って僕が寝ている間ですね」
「そうよ。王都に行くっていう泊り客の人に馬車を呼んでくださるよう頼んでおいたの」
鞄を開けて髪飾りなどを取り出しながらラピスは平然と答えた。街で買ったものが寝台の上に並べられていくのを見ながら、クエルクスは違和感を覚える。そういえばあれだけ買い物をした割に、鞄の中身が少ない。
「宿に何か、忘れました?」
「どうして?」
「いや、荷物こんなに少なかったかと……」
「春物の服なら売ったわ」
「はい?」
ラピスはむう、と頰を膨らますと、朝以来、初めてクエルクスの目を真っ向から見る。
「だって旅費も無駄にできないでしょ。国民の血税よ。ここに来るために買った服、割と高かったし、着てきた服は当分要らないから宿泊と食事代の代わりにしてもらったの。残りの外套とかも宿のご主人が商人に請け合ってくれたし。さすがユークレースの手工業は珍しいのかしら。良い値で売れたわ」
「な……そんな、じゃあここに来るのをはなからやめれば良かったのでは」
クエルクスは驚きを隠せず思わず声が上ずった。するとラピスがつかつかと足音高く彼に詰め寄る。
「なに言っているのよ。宰相と、宰相とぐるになったクエルのせいなんだから! 貴方達が旅券作るのにうちの国の公式訪問の前準備って書いちゃったから来ないわけにいかないことになっちゃったんでしょうが」
「え、それですか? それは関所の検問用で、別に本当に城に寄らずとも」
「なに馬鹿を言っているの、そんなことで済むと思うわけ?」
眉尻を上げ、両の手を組んでつま先を繰り返し床に打ちつけるラピスの様子は、クエルクスが知る限りかなり怒っている。
「まったく国際政治をなんだと思っているのよ。公式文書にそんなこと書いちゃって行かなかったら我が国の面目丸潰れ、信頼急降下よ? お父様の顔に泥を塗る気?」
反論の余地ない抗議にクエルクスは謝罪して押し黙るしかなかった。ただ、そもそも自分は宰相が外国王室に書状を送るなどとは聞いておらず、どうも引っ掛かる。それにただでさえ、自分の中では焦燥が募り募っており、今すぐにでもラピスを連れてパニアを北へ抜けたいのだ。しかしぷんぷんと頭で湯を沸かせそうな怒気を感じる以上、下手なことは言えない。こうなったらラピスはどう言おうと言うことを聞かない。
とはいえこのラピスの様子では不安だ。なるべく非難がましい口調にならないように気を配りつつ述べる。
「王女が直々に来るなんて聞いたことないですよ」
「あら、王女は来ていないわよ」
「は?」
「王女ラピス付きの侍女が来ているの。そうでしょう?」
そう反論されてクエルクスは言葉に詰まった。確かに旅券にはそう書いてある。王女付きの侍女が公式訪問の細則を確認するためにもう一人の国使に随伴する、と。またインシッドにも先ほどそのように挨拶したところだったし、先方の対応も事を了解したものだった。
「ああいうふうに書いちゃったのだから、そうするしかないでしょう。関所からこうこうこういう者を通しましたけれど王宮には来ていません、で済むと思っているの」
確かに、そこまで思い至らなかった自分に罪がないとは言えない。
「もう……こうなったら手早く挨拶と訪問の礼式を確認して、明日か明後日には出たいわよね。ほら、お茶でも飲もう」
「すいません……」
茶を勧められたクエルクスは、なんとも情けなく脱力して卓の椅子を引く。ラピスは早々と脚を組んで座り、女官の置いていった陶器の壺の蓋を開けた。
「クエルが怪我しているところには最高の宿だわ。あっ、このお菓子珍しい。こうなったら美味しいものしっかり食べて元気つけて出かけましょ」
焼き菓子を一つつまんでぽいと口に入れると、ラピスは「あまーい」とたちまち顔を笑みに崩した。
「でもラピスが大人しく国使として振る舞えるんですか。さっきの侍女達みたいに……ぃたっ」
クエルクスの脚は、卓の下で強烈な衝撃とともに動きを封じられた。
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