5 チョコは踊る。
結果として、逢羽悠里の中学最後のバレンタインは一つもチョコを手に入れることが出来なかった。
そのこと自体は別にいい。家に帰れば妹あたりに馬鹿にされるかもしれないし、もらえるのに断ったことで友人たちにも何か言われるだろう。夜には自分でも悲しくなってくるかもしれないが――たとえ自己満足だとしても、自分は信念を貫いた。
しかし、結局昼まで待っても名白ゆきからチョコをもらうことはなかったし、今朝のことが話題になったのか、あれ以来逢羽にチョコを渡そうとするものも現れない。
こうなるともう男の自分から出来ることは何もなく、あとは黙って帰宅するのみ――
「もはや嫌味だよなぁ、この野郎。お前いつか後ろから刺されるぞ」
「そんなこと言われても、こっちにはこっちの事情があるんだよ……」
帰る前に、友人と中庭で昼食をとる。
未練がましくまだ学校に残っているのは、遠くに名白の姿が見えるからだ。期待はしない。だけど藁には縋りたい。そんな気持ちの表れだ。
彼女からチョコをもらえなければ、つまりそれは「脈なし」ということだ。
かといって諦められるかといえば、そう簡単に割り切れないのが恋心というものである。
義理チョコさえもらえなかったという友人・
(ん……?
こちらを見据えてはいるが、あの黒栖
「逢羽くん」
「えっ」
そのまさかである。
(え? よりにもよって今日声かけてくるって――)
まさかのまさかを疑ってしまう。
逢羽悠里にとって黒栖居宇子は、名白ゆきの友人であり――容姿端麗、成績優秀、なんでもござれの生徒会長である。
クラスメイトではあっても、まともに話したこともない優等生。人望厚く、当人も親しみやすい人柄をしてはいるが、逢羽や大納のような男子にとっては近寄りがたい高嶺の花だ。
そんな彼女が――
「これ――」
ラッピングされた四角い物体を――今日この日に置いてその中身を疑うべくもない――
(チョコ……!? あの黒栖さんが僕に!? 今年も行われたバレンタイン検問を仕掛けたであろう前生徒会長の黒栖さんが……!?)
逢羽にとってはある意味、仇に近い相手からのチョコ。
しかし、思い出せ。彼女は、あの名白ゆきの友人なのだ。
(名白さんの代わりに黒栖さんが渡しにきてくれたのでは!?)
つまりこれは名白からのチョコである可能性が――
「クラスメイトのみんなに配ってるの。私の手作りで申し訳ないんだけど、良かったらどうぞ」
――友チョコ! しかも手作り!
正直、チョコとしての価値は高い。あの黒栖居宇子からの友チョコだ。このまま誰からももらえず終わるくらいなら、今このチョコを受け取るべきではないか。
(それに風の噂によれば、名白さんは黒栖さんと一緒にチョコをつくってるらしい……つまりこれは、実質名白さんのチョコと言えなくもないのではないか僕!?)
チョコづくりに名白も携わっていたのであれば――クラスメイトみんなに配っているのなら、それはそれなりの量のはず。二人一緒につくっていてもおかしくはない。
――欲しい。
しかし、今この場には名白ゆきの目がある。
中庭の反対側にいる彼女にも、今朝の逢羽の行動は知り渡っているだろう。そんな状況で、居宇子からのチョコを自分が受け取ってしまったら――他の女の子のものは断ったにもかかわらず、居宇子のチョコだけはすんなりともらってしまったら――
(絶対誤解される……)
完全に脈がなくなるどころか、逢羽の恋は終わりだ。
ここは無難に……多少惜しい気持ちはあるが、チョコを断ろう――
(でも、あの黒栖さんからのチョコを断るのは……さすがに無礼が過ぎないか!? それこそ誰かに後ろから刺されやしないか……!?)
自分の身の安全のためにチョコを受け取るか、それとも信念を貫き通すために断るか――
◆
友人として叱咤する一方で、代わりにチョコを渡すことを提案する――
それが黒栖居宇子の考え出した〝妥協案〟だった。
これは居宇子からの、ただの義理チョコだとはっきりさせた上で彼に渡し――名白から見れば、居宇子が友人として名白の代わりにチョコを渡しているように見える。
名白の目があるので昨年のように自前のチョコと入れ替えることは出来なかったが、仮に受け取っても、逢羽にはこれが「名白チョコ」だとは分かるまい。分からないのならそれはそれでいいのだ。
(今朝のことを考えれば、逢羽くんはチョコを断るはず)
名白の目からすればそれはつまり、「逢羽が名白のチョコを断った」ように映る。
結果として名白を傷つけることになるが――騙してはいるのだが、そこはもう必要悪だと自分を納得させるしかない。
だってこうでもしなければ、名白はずっと渡せなかったことを後悔し続ける。名白の中に、逢羽の存在が残り続ける。
今だって食事もロクにとっていなかった。代わりに渡すと提案することで、ようやく箸を進めてくれたのだ。
これは名白が居宇子に託し、逢羽が居宇子のチョコを断った――ただ、それだけだ。
「悪いけど――僕、甘いもの苦手でー……」
ぜんぶ、名白のチョコだと見抜けなかった、逢羽が悪いのだ。
「そう、それは残念だわ。じゃあ――」
愚かな少年の前から立ち去ろうとする。
「こいつ要らないんなら俺にください!」
「あなた、私のクラスメイトじゃないでしょう」
「ぐう……!」
どこの馬の骨とも知れない男子に、誰が名白のチョコを渡すものか。
……多少、心は痛むものの――
「見ましたわよ、黒栖さーん?」
◆
逢羽悠里にチョコを渡そうとするが、すげなく断られた黒栖居宇子――
かの黒栖居宇子が男にフラれる瞬間を、
あの居宇子を振った逢羽には感心するが、それよりも彩籐はこの〝復讐〟の機会を見逃さない。
落ち込んでいるのか俯きがちに視線を伏せながら、とぼとぼと名白ゆきのもとへと帰る黒栖居宇子に――彩籐は、意気揚々と声をかけた。
「それ、チョコじゃないの? どうしたのかしら? 学校にお菓子の持ち込みは禁止されているのよ。……あなたじゃない、バレンタインの持ち物検査を厳重化させたのは。にもかかわらず、当の黒栖さんがチョコを持ちこんでるの?」
「これは……」
「いくらもう卒業するからって、まだこの学校の生徒である以上、それは下級生に示しがつかないんじゃないかしら?」
フラれたばかりだからか、今の居宇子にはいつもの覇気が感じられない。だいぶ意気消沈しているようだ。張り合いがないことに多少思うところはあるが――
「このチョコは没収です」
その隙をついて、彩籐は居宇子からチョコを取り上げた。
居宇子の端正な顔が、かすかに歪む。
「どういうつもり?」
「だから、没収したのよ」
苛立たしげな居宇子。その様子を見て彩籐は優越感に浸る。
(このチョコをどうしてくれようかしら――)
聞けば、居宇子の手作りらしい。それはきっと、甘美な味がすることだろう。勝利という名の、素晴らしい味が。
――しかし。
(黒栖居宇子はこのチョコを逢羽くんに渡そうとしていた――そして受け取ってもらえなかった!)
もしもこのチョコを、自分が逢羽に渡したらどうなる?
居宇子のチョコは受け取らず、自分のチョコを逢羽が受け取ったら――それはすなわち、彩籐瑞稀の方があの少年に認められたということ。
黒栖居宇子よりも〝上〟だということ!
(ついでに黒栖さんにも大恩を売ることが出来る……!)
最後に笑うのはこの私だ。
彩籐瑞稀は逢羽悠里のもとへ向かった。
そして玉砕した。
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