3 黒栖居宇子は使えるものならなんでも使う。
中学生最後のバレンタイン、その当日――期待と不安を胸に登校した逢羽が見たのは、校門前に出来た女子生徒の待機列だった。
昨年も同様の光景を目にした逢羽は、すぐにそれが持ち物検査だと思い至る。
女子だけをターゲットにした、校内へのチョコの持ち込みを制限する検問――バレンタインに対して悪意持つ権力者による嫌がらせである。
しかし、それだけならまだ希望が持てるのだ。
実際、昨年も逢羽の下駄箱にはきれいにラッピングされたチョコレートが入っていた。
誰からのものかはわからないが、それでもこの検問を逃れたチョコがあったのだ。
だから――
(まだ、希望を捨てるのは早い……。
それが自分宛てでないとしても、チョコがあるなら自分ももらえる可能性はゼロではない――
そう、思っていた。
「これは何かしら」
「お弁当です。友達のぶんもあるので、二つ」
「弁当箱……。まあいいわ、行って良し」
名白ゆきが、検問を抜けていく。
鞄の中身を多少不審がられたようだが、チョコを没収された様子はない。
表面だけ見ればそれは喜ぶべき状況なのだが、
(そもそも、チョコを持ってきていなかった……?)
愕然とする。そもそも最初から持ってきている保証などなかったものの――
(いや、いいんだ……。はは……。僕がもらえる訳もなし……他の男に贈られるくらいなら……)
悲しさと悔しさにその場で膝をつきそうになる。
逢羽悠里のバレンタインは、こうして幕を閉じた。
◆
予想だにしていなかった検問だったが、無事乗り越えることが出来た。
思わぬかたちで持参したチョコを消費してしまったものの、後輩たちからの人望は失わずに済んだどころかむしろ好感度上昇だ。
手持ちの
ただ、一点……用意していたプランBが潰れてしまったため、『靴箱作戦』の失敗が許されなくなった。
名白ゆきが登校する前に、迅速かつ隠密にことを為さなければならない――
(靴箱を占拠することでチョコの受け渡しを封じる――仮に名白さんがチョコを置いたとしても、手紙でも入ってない限り私の『手作り』との違いには気付かない――)
居宇子が校舎へ向かおうと歩調を早めると、
「黒栖さーん」
「!」
後ろから声を掛けられる。
駆け足で近づいてくるその気配に、嬉しいやら悲しいやら――複雑な想いで居宇子は振り返る。
「名白さん……」
声の主は案の定、名白ゆき――小柄な体格に特徴的な大きな目――子供のような見た目と見たまんまの純粋さを映し出したような瞳……見つめられると、そわそわと落ち着かない。
(それにしても……)
早い――さっきの待機列で居宇子の後ろの方にいたのか――追いつかれてしまうと、逢羽の靴箱にチョコを詰め込むことが難しくなる。
(だけど、あの検問を抜けてきたということは、)
チョコはどうしたのだろうと思っていると、
「昨年のことがあったからね、」
へへん、と名白は自分の鞄の中を見せる。
そこにはノート類の他に弁当箱が二つ入っていて、その片方を開くと、中にはきれいにラッピングされたチョコ――昨日準備した、名白の本命チョコだ。
「わたしも成長してるんだよっ」
実に誇らしげな顔をしてくれるが、今の居宇子はそれを素直に喜べない。
(く……チョコ渡せる気満々な名白さんの顔をこれから曇らせなきゃいけない……)
多少の罪悪感に胸が痛む。
いっそこのまま何もせず、逢羽の靴箱にチョコを入れさせてしまおうか。結局のところ昨年もチョコを渡しはしたが名白と逢羽の仲に進展はなかった。
(言ってしまえばバレンタインなんて、直接チョコを渡さない限り、それ以外の方法でチョコを渡しても当人の自己満足に終わるだけ……。意味なんてない、下らないイベント――)
だから見過ごしてもいい――そう考える一方で、名白のことを何も知らない、彼女からのチョコだと気づきもしない輩に、彼女からの本命チョコを……その気持ちのこもったチョコを渡したくないと、強く思う。
心や愛は目に見えないからこそ、チョコというかたちで好きな人に贈るのだ。
渡したくないし、渡してほしくない――渡したところでなんの変化もなくても、この気持ちを譲ってしまったら、負けてしまう。
自分の想いはかなわないものだと、認めてしまうことになるから――
他人からすればほんの些細なことでも、黒栖居宇子にとっては戦争なのだ。
(プランB-2を実行するわ――)
◆
逢羽悠里のバレンタインは終わった。
そう思っていた。
(……帰っろっかな……)
来週にはテストがあるといっても、別に今日登校しなければならない訳ではない。
チョコがもらえないと分かっているのに、名白と同じ教室で過ごすというのもなかなかに堪えるものだ――
(いや……、名白さんと同じ教室にいられるだけ幸せじゃないか僕。チョコなんておまけだろう。もらえないからってなんだ――)
ただ、昨年自分の靴箱に入っていたチョコを思うと――やっぱり誰からのものかはわからないし、自分宛てかどうかすら怪しいが、恐らく手づくりだと思われるそのチョコだけでも嬉しかったのだ。
誰かが自分にチョコをくれた。その事実がもう嬉しかったのだ。
その相手が名白だったら……そう夢想せずにはいられない。
中学最後のバレンタインなのだ。
特別な何かを期待したくもなる。
(名白さんから、チョコをもらえたら……)
ホワイトデーにお返しするのが義務というか義理のようなものだろう。ホワイトデー自体は卒業後になってしまって、学校で顔を合わす機会はなくなるが、お返しを口実に学校外で会うことが出来る――そんな口実でもないと、意気地なしな自分はもう一歩を踏み出せないから。
(名白さんのチョコが欲しい……)
そういう願望に帰結するのだ。
(とりあえず、学校行こう……検問をうまくごまかせたって可能性もある……友チョコとか義理チョコだってまだ期待できる……)
そう思い、意気地なしは歩き出す。
そこに、
「逢羽せんぱい……!」
逢羽の目の前に、一人の女の子が現れた。
「え? え? 誰? 何?」
周囲の視線を集めるなか、戸惑う逢羽に少女は何かを突き出した。
「私の
それは、可愛らしくラッピングされた――
(チョコレート……? 女の子から……?)
どきどきと、胸が高鳴る。
知らない相手だが、誰かが自分にチョコをくれようとしていることに驚きと、喜びを隠せない。
しかし――
(な、名白さんが見てる……!)
校門の向こう、校舎へと向かう道すがらに少女の声を聞きつけたのだろう――名白ゆきが、何事かとこちらを振り返っている。
(ど、どうする……? 名白さんの前で他の女の子のチョコを受け取るのは……それはどうなんだ!?)
名白の心証を考える。自分にチョコを渡す気があるかどうかはともかく……逢羽が今この女の子のチョコを受け取ると、名白はそれを見てどう思うか。
気にしてくれるだろうか、意識するだろうか。あまつさえ嫉妬などしたら……嬉しい反面、複雑な心境だ。
だがしかし、あるいは……逢羽には「彼女」がいると思ってしまって、義理チョコや友チョコがもらえる可能性が潰えてしまうのではないか? 「彼女」のいる男子にチョコを渡すのはさすがに躊躇われるだろうし――
(で、でも、この子だってこんな公衆の面前で僕にチョコを差し出してるんだぞ……? 相当な勇気が必要だったはず――それを受け取らないのは僕の世間体的にも問題があるのでは……? そんな最低野郎には名白さんもチョコを渡す気がなくなるのでは?)
突然公衆の面前でチョコを渡した理由は、なんとなく分かる。というかそれがこの女の子の背を押したに違いない。
校門前で行われている、検問……持ち物検査。そこでチョコを没収されるくらいならと、逢羽がいる最後のバレンタインは今日しかないと、彼女は勇気を奮い起こしたのだろう。
そこまで想われている(はず)のに、それに応えないのはさすがに良心が痛む。
それに、このまま誰からもチョコがもらえずにバレンタインが終わるのは、一人の男子として受け入れ難いものがある――
(ぼ、僕はどうすれば――)
逢羽悠里は今、最大の選択を迫られていた。
◆
プランB――名白が逢羽に直接チョコを渡そうとしたその時、それを阻むために投入しようと考えていた。
BはブロックのB……名白の出鼻を挫くように、名白の目の前で逢羽にチョコを渡す第三者の投入だ。
しかし検問によって学校内にチョコが持ち込めなくなった今、この策は使えなくなったかに思われた。
(持ち込めないなら、没収される前に使えばいいのよ)
信頼のできる後輩に連絡し、プランB-2――Bは
内容はこうだ。校門前で逢羽に告白し、チョコを渡す――彼が受け取る受け取らざるに関係なく、公衆の面前でする告白は注目を集める。
(それに名白さんが気を取られているうちに――)
なんにも気付いてないふりをしながら、迅速に――黒栖居宇子は校舎へと向かう。
そして、人目のない一瞬を見計らい、逢羽悠里の靴箱にチョコをぶち込んだ。
その後、すぐにその場を離れる。
(私がチョコを入れていたところが噂になってもマズいものね……)
ほっと一息ついたところで、居宇子の携帯にメールが着信する。
『公衆の面前で大恥かきました。責任とってください』
逢羽にチョコを渡した後輩からのものだ。
「何をしたかは知らないけど、よくやったわ――」
持つべきものはなんでも言うことを聞いてくれる可愛い後輩である。
――ともあれ、これで当初のプランは達成された。
あとは、経過を見守るのみ――
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