2 黒栖居宇子は昨年の自分に首を絞められる。
バレンタイン当日――その日、黒栖居宇子は誰よりも先に登校し、
少なくとも、友人である
そして、逢羽の靴箱にチョコを敷き詰める姿を誰かに目撃されてはならない。それが噂になり名白の耳に入れば、彼女との友情にヒビが入る恐れがある。そうなっては元も子もない。それだけは避けねばならなかった。
しかし、だというのに――
(く……っ)
黒栖居宇子は寝坊したのだ。
それでもまだ予定時間より寝過ごしたというだけで、登校のピークには間に合うはずだった。
しかし、考えが甘かった。
(チョコをたくさんつくったはいいものの、特に授業のない三年生である私がサンタクロースよろしく大量の
用意したチョコを小箱に入れ包装すると、想像以上にだいぶかさばった。
これが平時であれば体操着が入っているとでも偽ればよかったのだが、体育もなければ部活にも入っていない居宇子がするには説得力に欠ける。
そのため仕方なく、靴箱の面積を占めるような大き目の箱にチョコを入れ、少数精鋭で挑むかたちをとらざるを得なくなったのだ。
それで時間を喰った居宇子がようやく学校にたどり着くと、校門の前には何やら人だかりが出来ていた。
(これはいったい……? 並んでいるのは女子ばかり。男子は素通りして校舎へ向かっていく――)
全校生徒の見本、元生徒会長であった居宇子も、おのずとその列に並ぶことになった。気が急いてはいても、冷静さを失わない。それが黒栖居宇子という人間だ。
(あれは、
列の前の方――元・生徒会副会長の同級生、彩籐
最前列では、順番良く並んでいた女子生徒の一人が風紀委員に促され、自らの鞄を開いて見せる――
(これは、持ち物検査……!)
その時、居宇子は過去の己を呪った。
(後先考えずに適当な計画をしたばっかりに、今こんな目に遭うなんて……!)
生徒会を離れて久しい居宇子には今朝のこの持ち物検査を知る由もなかった。
恐らくは前年の居宇子の陰謀が、そうとは知らない後輩たちに悪しき伝統として引き継がれてしまったのだ。
しかし、これはある意味、好都合だ。
(この検問で、昨年のように名白さんのチョコが没収されれば……)
列の中に名白の姿は見えない。先に登校していたとしても、この検問によってチョコは没収されているだろう。これで一つ懸念が消えた。
が――
(……あれ? そうなると、これは私も持ち物をチェックされるのでは……?)
もはやチョコを持ち込む必要もなくなったのだが、ここに新たな問題が立ち塞がる。
――学校は勉強する場であって恋愛にうつつを抜かす場ではないわ。学校にチョコを持ち込むなんて言語道断、見つけ次第没収しなさい。
……等々と、昨年多くの生徒の反感を買った持ち物検査を仕掛けた張本人である。
生徒の見本・元生徒会長という肩書もあるし、居宇子だけが検問を見過ごされることはないだろう。むしろ堂々と鞄の中身を晒さねばならない立場だ。
そして――
(もしもチョコが見つかれば、私の威厳が損なわれる……!)
たとえ来月には卒業するといっても、それは黒栖居宇子という人間の名誉にかかわる重大な問題だ。
周囲は居宇子のことを「バレンタインにチョコを渡せなかった可哀想な子」と思うだろう。それも、自分が実施のきっかけとなった持ち物検査に引っかかたがために、だ。愚かしいにもほどがある。
卒業するときに贈られるのは声援であって、「ざまあ」と向けられる後ろ指であってはならない。
(さすがに中学最後の
列が進む。
そして、黒栖居宇子の番が訪れる。
華麗に、優雅に、この窮地を乗り切ってみせる――
◆
彩籐瑞稀は、元・生徒会副会長だ。
いつだって彩籐瑞稀の就く役職の頭には『副』の一字がついてきた。
しかし、望んでそうなった訳ではない。
彩籐瑞稀の前に立ち塞がる、巨大な壁――圧倒的優等生、黒栖居宇子。彩籐はその影で、二番の地位に甘んじる日々を送ってきた。
この中学における三年間――ずっと、辛酸を舐め、苦汁を飲まされてきたのだ。
そして――今日。
いつかこの恨みを晴らすべく、虎視眈々とその機会を窺ってきた彩籐は今日、ついにそのチャンスを掴むに至った。
バレンタイン当日に行う、抜き打ちの持ち物検査である。
(黒栖居宇子がチョコの材料を用意していたのはリサーチ済みですわ。となれば今日、彼女は学校にチョコを持ってくるはず……!)
それを押さえ、これまでの雪辱を果たすのだ。
(男子宛ての手紙なんかを見つけた日には、公衆の面前で読み上げてやりますわ……!)
彩籐瑞稀はほくそ笑む。その背後に築かれる、没収したチョコの山。その上に重ねてやるのだ、憎き黒栖居宇子の
そして――黒栖居宇子がやってきた。
「あ、黒栖会長、おはようございます」
「ええ、おはよう。でも私はもう会長じゃないわ、会長は
未だ「会長」呼びされていることが黒栖居宇子の人望の厚さを示しているといえよう。
それを今から打ち砕く。
「あら黒栖さん、いま持ち物検査をしているの。その鞄……何が入ってるのかしら、不自然に膨れていない? ちょっと確認させてもらうわね――」
彩籐は半ば強引に居宇子から鞄をもぎとった。
そして中身を確認する。
(ふふ――)
あった。
――勝った……!
黒栖居宇子の鞄の中にはきれいにラッピングされた小箱が複数。教科書とノートは最小限に、これでもかというほどに詰め込まれたチョコレート――
「これは何かしら? 黒栖さん――」
抑えきれない笑みをなんとか堪えながら、彩籐はトドメとばかりに謎の小箱に言及した。
「これは、チョコレートよ」
黒栖居宇子は爽やかに微笑む。
「せっかくのバレンタインだもの、いつも頑張ってる風紀委員のみんなに激励の気持ちを込めて用意してきたのよ」
「な――、」
おお、と沸き立つ風紀委員たち。持ち物検査も忘れて、居宇子からのチョコを我先にと受け取っていく。
あまつさえ、
「彩籐さんも、どうぞ」
「く……、」
まさか、最初からこの事態を予測していたとでもいうのか――
「それじゃあみんな、頑張ってね」
鞄の中にあった全ての小箱を風紀委員たちに配り終えると、黒栖居宇子は爽やかな笑みとともに去っていく。
「黒栖会長からチョコがもらえるなんて……このクソ寒いなか朝っぱらから人に恨まれただけの甲斐はあった……!」
「ええそうねっ、わたしたちは幸せものだわ……!」
歓喜に打ち震える風紀委員たちを横に彩籐が屈辱に震えていると、
「――お嬢様」
と――近所にある高校の制服を着た女生徒が、ごく自然に彩籐たちの横を通り過ぎる。
(あれは――
昨年の卒業生であり――
「あら染水、どうしたの?」
「……忘れ物です」
居宇子を呼び止めた染水は、彼女にこんもりと膨れた手さげ袋を手渡す。
「お弁当です」
――弁当?
(たしかに黒栖居宇子の鞄に弁当箱はなかった――だけどそうじゃないですわ、あれは、まさか……!)
鞄に入れていたチョコは、検問をやり過ごすための囮……!
「あっ、あれですわ……! あれこそ我々が取り締まるべき――」
彩籐は去り行く居宇子を指さすのだが、風紀委員たちは居宇子からのチョコに気をとられているし、持ち物検査の待機列は今にも痺れを切らしそうだ。
今の彩籐には、悠々と去っていく居宇子をただ見送る他にない。
(くぅ……、これで勝ったと思わないことね、憶えてなさいよ黒栖居宇子……!)
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