比較的穏やかな、戦争

人生

血で血を洗うバレンタイン斗争篇

1 黒栖居宇子は友チョコさえあればいい。




 ――〝運命〟とは、「命を運ぶ」と書く。


 男と女が結ばれるのは運命だ。

 新しい生命いのちは、男女のあいだから生まれてくる。


 それが生物の、自然の摂理であるからこそ、男女は互いに惹かれ合う。

 科学技術の発展が望めない限り、この運命は絶対的だ。人々に強力に働きかける常識となって、〝それ以外〟を否定する――


 この物語は、〝運命〟に叛逆する少女の物語だ。




                   ◆




「……お嬢様。何をしてらっしゃるんですか、こんな時間に」


 深夜――零時も近づいた静かなキッチンに、ボウルの奏でる金属音が響く。


 後ろからたずねる声に、黒栖くろす居宇子きょうこは答えた。


「見て分からない?」


 チョコをつくっているのだ。


 自宅一階にあるキッチンで一人、明日のバレンタインに向けて、チョコレートをつくっている。

 ぐるぐると、ボウルの中のチョコをかき混ぜている。


「いや、昼に名白なしろさんとつくったんじゃないんですか」


 たしかに今日の昼、友人の名白ゆきと一緒にバレンタインに向けてチョコレートをつくった。

 そしてお互いにつくった「友チョコ」を交換した。

 たとえほとんど同じ材料を使っていて、味も大して変わらないものだとしても、黒栖居宇子はそれだけで満足だった。


「たしか、冷蔵庫にありましたよね――ほら」


 ちらりと振り返れば、メイド服姿の少女が冷蔵庫を覗き込んでいた。

 その中には彼女の言う通り、トレイいっぱいにチョコが冷やしてある。


「こんなにあるのに……まだつくると?」


 あきれ顔で冷蔵庫の扉を閉じるこの少女、名を染水しみず。高校一年生。

 居宇子の家で住み込みのバイトをしているお手伝いさん、ハウスキーパー、家政婦……まあそんな感じの、いわゆるメイドである。

 チョコづくりなんて、本来ならこのメイドにでもやらせるところだが――


「……友チョコとか義理チョコってやつですか? ……こんなに渡す相手います?」


「馬鹿ね、これはぜんぶ逢羽あいばくんに


 逢羽悠里ゆうり――居宇子のクラスで一番の女子人気を誇る優男だ。あるいは学年一かもしれない。

 来る三月の卒業式では、彼の制服の第二ボタンを巡る女子たちの抗争が危惧されるほどに後輩たちからも慕われている。


 そのため、バレンタインもまた熾烈を極めること必至である。

 たとえばその下駄箱はバレンタインの朝、女子からのチョコレートでいっぱいになっていても不思議じゃない。


「だけど私は他人の力に全てを委ねるような真似はしない。自分のチョコは自分でつくるのよ」


「……ちょっと理解しかねるんですが――え? なんですか? 逢羽さんのこと好きになったんですか?」


 メイドの妄言を居宇子は鼻で笑う。


 黒栖居宇子にとって、逢羽悠里など眼中にない。

 いやむしろ、目の仇にしていると言っていい。


「これは全部、彼の靴箱に突っ込むのよ」


「はあ……。嫌がらせか、それとも行き過ぎた愛情表現か……。まあ私からすれば、靴箱にチョコを入れること自体が既に嫌がらせですが。不潔ですし」


「バレンタインの朝、登校してみて、彼の靴箱にチョコがいっぱい詰まっている……その光景を想像してごらんなさい」


「私が逢羽さんなら嬉しいを通り越してもはや不愉快ですね。はっきり言って邪魔以外の何ものでもありません」


「そう、靴箱いっぱいのチョコはその他のチョコの介入する余地を失わせる――つまり! これで名白さんは逢羽くんにチョコを渡せない!」


「まどろっこしい……。それなら最初からつくるのに協力しなければよかったのでは?」


 居宇子は本日、名白のチョコづくりに協力した。

 名白が逢羽に贈る本命チョコをつくっていると知っていて、それに協力した。


「友達だもの、当然でしょ」


「はあ、まあ……」


 一緒にチョコをつくるだけでも貴重な時間だし、実際楽しかった。

 しかし、


「一緒にチョコをつくらなくても、名白さんはどこかでチョコを調達するわ。それならラッピングまで関与できるように一緒につくった方がいい。センスの良い私の的確なアドバイスに、名白さんからの好感度も上昇よ」


「で、自分でつくった砂のお城を自分で壊す、と」


「私の協力がなくても、名白さんは逢羽くんにチョコを渡そうとする。それは止められないけど、諦めさせることは出来る。たとえばそう、チョコ受け渡しのチェックポイントの一つ、靴箱を封じることによって!」


「……そのために『他の女の子からのチョコ』を逢羽さんの靴箱に突っ込む、と。コストパフォーマンス悪すぎでは? というか頭悪いのでは?」


「不敬極まりない発言はこの際おいておくとして――備えあれば憂いなし、よ。武器チョコの貯蔵はじゅうぶんにして挑まなければ。これはそれだけの戦いなんだから」


 居宇子は執拗にボウルをかき混ぜる。


「靴箱いっぱいにチョコを詰め込む気のようですが……お嬢様? チョコが多いとむしろ、? みんなが置いてるなら、自分が置いても、と。少なくとも何もない靴箱に置くよりは求められる勇気のハードルが低くなるのでは」


「それならそれで好都合よ。名白さんの『チョコを渡す』という目的は達せられ――当のチョコは、私のつくった『よく似た別のチョコ』とごっちゃになってその特別感は失われる……。ふふ、ふふふ……無数のチョコに混じることで、逢羽くんは名白さんの本命に気付けない……! まさに木を隠すなら森の中、チョコを隠すならチョコの中よ……!」


「頭の悪い格言ですね……。もっと良いプランはなかったんですか。たしか、昨年は……」


「持ち物検査」


「あぁ、そうでした。自分が生徒会長であるのをいいことにバレンタイン当日に生徒会による抜き打ちの持ち物検査を行い、無関係の男女の恋と欲望をぶち壊しにした上で、名白さんからチョコを取り上げることに成功したのでした」


「……ええ、まあ……」


「しかし残念ながら、生徒会長であるが故に名白さんから没収されたチョコを取り返してほしいと哀願され、それに抗えずにチョコを取り返して計画はご破算になった、と。自分の首を吊るためのロープを自分で用意したと嘆いていたお嬢様をよく憶えています。あれは実に無様でしたね。ふふふ」


「なんで私の失敗だけそうも事細かく憶えてるのよそして笑うな」


 とはいえ、居宇子もそうなる可能性は予想していたのだ。


 昨年もまた名白のチョコづくりに携わりそのラッピングも把握していた居宇子は、事前に名白の本命チョコとまったく同じチョコを用意していた。

 生徒会室から回収した本命チョコとその偽物を入れ替えることで、居宇子は名白にチョコを返すことで好感度を得て、名白は逢羽にチョコ(偽物)を渡すという、いわゆる「ウィンウィン」を成し遂げた。

 もちろんすり替えた名白の本命チョコは居宇子が美味しくいただいたので結果オーライというやつである。


 ただ、持ち物検査を指示したのが居宇子であると名白にバレそうになったので、今年は昨年のような自分の首を絞める計画は避けたいところだ。


 といっても、黒栖居宇子は中学三年生。生徒会長の座は後輩に譲ってしまった後なので、今の居宇子は一般生徒も同然。生徒会の力は使いたくても使えない。今年ばかりは自力で乗り越えなければならない。


「ところでお嬢様? 逢羽さんの靴箱にチョコを置けなくなったとしても、他にも渡す手段があるのでは? たとえば、机など」


「そのために、逢羽くん関係のあらゆるスポットを潰せるだけのチョコを用意してるんじゃないの」


 居宇子もつい小一時間ほど前まで、靴箱だけ押さえればいいと思っていた。

 しかし、それは明日が普通の登校日であればの話である。


 居宇子たち中学三年生は受験などがあるため、来週の学期末テストを除けばこの二月、登校するか否かは各人の自由なのだ。

 そして、補習などを受けるために登校する場合、利用する教室は普段のクラスだけでなく、自習室など様々に可能性が分岐する。その全てに対応できるよう、念には念を入れなければならない――と、ベッドに入る頃になって思い至った。


「……心配性ですね……。なんなら、明日逢羽くんが登校してこない可能性すらありますよ」


「それはないわ。男子は明日、必ず登校する」


「……というと?」


「だって、バレンタインだもの」


「……はあ。まあ、そうかもしれませんね……。名白さんも、そのつもりで今日チョコづくりに励んだのでしょうから」


 たとえ自身がモテないと自覚しているような男子でさえ、一縷の望みに縋るように明日は登校するだろう。

 友チョコ義理チョコ……なんでもいい、それがチョコであるのなら。その日、この世の男子は女子からもらえるチョコに何よりの価値を見出す。


「では、仮に逢羽さんが登校するとして――名白さんは彼の靴箱にチョコを入れられない。間接的に渡す手段はすべて封じられた。そうなれば――おのずと、直接渡すという選択肢をとるのでは?」


「それは――」


 ない、と言い切りたい。


 居宇子の知る名白ゆきという女の子には、男子に直接チョコを渡すという勇気や度胸は備わっていない……はずだ。

 少なくとも昨年はそうだった。居宇子が回収したチョコを、それが偽物だと知らないまま、名白は帰り際に逢羽の靴箱に入れて行ったのだ。


 しかし――


「名白さんも逢羽さんも中学三年生。来月には卒業です。受験の結果がまだ明らかでない今、来年も顔をあわせることが出来るかどうかは分からない。今年で最後になるかもしれない――それが名白さんに勇気を振り絞らせる要因になるのではないでしょうか。直接渡すだけならともかく、さらには告白なんてことも……」


「だから、この戦いは負けられないのよ」


 ぐるぐるぐるぐる、チョコをかき混ぜる。


「混ぜすぎじゃないですか」


 と、不意に背後から手が伸びてくる。

 その指先はボウルの中のチョコをすくうと、


「……甘すぎませんか、これ」


 背中にもたれかかる重みを感じながら、居宇子はそのはしたない手をはたいた。


「ところで染水……あなた、こんな時間にそんな恰好してどうしたのよ。まさか、男子にチョコでも手づくりするつもり? それなら明日にしなさい。材料は残しておくから」


「男子にチョコをつくるくらいなら自分の弁当をつくりますよ。私はただ、台所の片づけでもしようと思っただけです。それと、これは仕事着」


「あなたの趣味でしょうが。……まあいいわ、暇なら手伝いなさい」


「遠慮します。お嬢様と違って、私は明日も通常授業いつもどおりなので。お嬢様も、お早めにお休みにならないと、明日に差し障りますよ」


 決戦は、明日――バレンタイン。


 明日に備えて、黒栖居宇子は牙を研ぐ。チョコを混ぜる。



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