#4

「あっ」


上ずった声が聞こえた瞬間、僕の内臓がそわそわしだした。彼女は暗がりでもわかるぐらいに、顔を赤らめる。普段見ない彼女の表情だった。墓場まで持っていきたいぐらい、誰にも教えたくない、僕の秘密だ。


ここで、千円をドブに捨てかねないと思っていたことを撤回しなくちゃいけない。あの目があった瞬間から、全く映画に集中できなかった。のどの渇きを癒すためにオレンジジュースをひたすら吸い上げ、内臓の落ち着きの無さで変な汗をかいた。



気が付けばエンドロールだった。上から下に流れる中央寄りの文字列が、独特な凹凸をなしていく。それを一通り眺め、僕たちは席を立った。


「ごめん、お手洗い行ってもいいかな。」

「うん、待ってる。」


その間に全力でネタバレを調べたのはここだけの話にしておきたい。僕が自分で誘ったのに、誘った人間が全然話についていけないのは、とんでもないことである。無論、ネタバレの途中には、あの濡れ場のシーンもあった。臨場感のかけらもない液晶画面の文字列を見るだけで、生唾を飲み込んだ。


まずい、何か一つでも間違えれば、大それたことをしでかしてしまいそうだ。


「お待たせ―。」

「……」

「ロク?」

「……あ、ごめん。」

「どうしたの。」


彼女がしたから僕の顔を覗き込んでくる。きっと化粧直しをしたのだろう。艶と赤みを増した唇に目を奪われる。


「なんでもないよ。」


やばい、やばいぞ……


映画館を出て、ふらふらと繁華街を見て歩く。僕はどうにかなってしまいそうな理性をむんずと鷲掴みにして、あえて映画の話を彼女に振った。


「あの映画さ、あたしにはちょっと可哀想に思えちゃったな。」

「なんで?」

「だって、誰かと自分を比べながら生きるのってすごくつらいし、それを否定しながら何かにのめりこむしかないんだなあって。」


少し彼女の様子が気になった。いつも教室で映画や音楽の感想を言ってくれるときは、前向きなことを言ってくれるのに、今回はなんだかセンチメンタルだ。

こんなに天真爛漫で、魅力的な人でも、きっと、劣等感は抱くものなのだろう。隣の芝生はなんとやらと言うやつだ。少なくとも僕だって、現に人付き合いが苦手で、クラス替えをしてから直ぐに、カラオケやらボーリングやらにグループで行く連中を羨ましくないと思ったことはない。だけど……


「そうかな。」

「え?」


「人間誰しも人と比べるけど、何も努力をしないで、他人よりも優れているところを無理やり見つけ出す人間が多い。」


「うん。」


「だから、何かにのめりこんで、自分がこれだと信じられるものを一つでも見つけられるなら、それこそ誰よりも抜きんでた才能だと思うよ。」


「あ……」


彼女はまた何か考え込むような表情になった。まずいことでも言っただろうか。若干彼女を否定するスタンスになってしまったのが気がかりだった。


しばらく二人で会話もせずに歩き続けた。考え込む彼女と、焦る僕。新宿の雑踏にどんどん飲み込まれていった。さっきまで落ち着きのなかった僕の内臓は、いつの間にかおとなしくなり、彼女の様子をうかがうのに精いっぱいになる。

一方で彼女は、ずっとうつむいて、トボトボと歩いている。何をそんなに考えているのかわからない。

相手の思索がわからず、内心半泣きになってきたところで、彼女は突然はたと立ち止まった。


「徳田?」

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