罪と呪いの戦いの事2

──倒れ込んだエフィリーネと、今まさにその手をその肢体に延ばさんとする歪な怪物。


 古城の正門に辿り着いたハルトが見た光景は、彼の脳内を一瞬で沸騰させ、そして冷えて固まる金属の様に強固な意思を形作っていた。


「よぉ怪人。爆散する準備は出来たか?」


 超強気。ハルトはここぞと言う場面での自らの行動を意識的に操作する才能がある。様は自分を騙して酔わせる様なモノ。ここで感じる感情は、怒りだとか憎しみだとか、或いはエフィリーネへの心配が普通なのだろうが、今ハルトを支配する感情は、期待感である。この惨状を、自分が取り直せるか、否か。エフィリーネを救い出す事を含め、明らかな敵意のある目の前の敵を、自分がどう処理出来るのか。


「あァ?誰だァ?てめェ?」


「言っただろう?ヒーローだ」


 ヒーローの定義とは。ハルトには遅れて来て必ず悪役を倒すのがソレだと思っていた。だからこそ、思い込む。今この瞬間だけ、自分はヒーローだと。


「あァそうかい。じゃァな」


 ハルトに構わず、エルフはエフィリーネの弛緩した顔に、その左目に指を延ばして──


「おらぁッ!!」


 背後から一発、ハルトの渾身の右フックを顔面にモロに食らった。


「ぐ、ぐりー」


「おらよ!」


 咄嗟に『罪』を発動させようとしたエルフだったが、違和感と共にもう一発、今度は腹に蹴りを一発もらう。


「がっはァァァァァァ!!??」


「……ハッァッ!」


 腹を押さえてえずくエルフは、しかし何が起こっているのかが理解出来ない。


 『強欲グリード』の罪は、その強弱こそエルフ本人の意識によるが、基本的には自動オートである程度の効力を発揮する。そして、二発目の蹴りを入れられる時には、確実に『強欲グリード』は発動していたはずだ。なのに。


「どォしてェ……『強欲グリード』が発動しない……ッ!?」


 一瞬最悪を想定してエフィリーネに視線をやったエルフだったが、相変わらず横たわる彼女の姿に、『強欲グリード』の権能が生きている事を知る。ならば、何故?という疑問を伴いながら。


「『強欲グリード』?あぁ、猫の言ってた罪ってヤツか。なんなの、ソレ」


 ポキポキと首を鳴らすハルトの眼光が、自らの眷属となったゴブリン達に似る事をエルフは気付く。まさか、確かに。ゴブリン達は手足の様に自分に付き従うが、彼らに対しては『強欲グリード』の権能の効果が無い事を知っていた。彼らは『罪』から生まれ変わった存在なのだ。『罪』が効かなくても、不思議ではなかった。


「……てめェ、『強欲グリード』か?」


 それがあり得ない事もエルフは知っている。この世に同じ『罪』が二つ同時に存在するなんて話し、聞いた事が無い。もっとも、自分以外の『罪』と、出会った事などなかったのだが──


「強欲?ああ強欲だとも。お前をぶっ殺して、そこの女の子を助け出す。そんでハッピーエンドだ……強欲って程でもないだろ」


 赤色の眼光を放つハルトは、目の前の脅威におののくエルフを睨み付け、


「さぁ怪人。悪役タイムは終了だ。ここからは、俺の時間だ」


 悪人たる眼前の敵に、引導を渡すべく殴り掛かった。



────────────────────



「待てえェェェェェェッ!!」


 叫んだエルフは、震える手でエフィリーネを指差す。


「このままァ!お前がァ!俺を打ちのめしてもォ!俺は絶対に『強欲グリード』を解かねェ!死ぬまでだァ!それまで、姉ちゃんは持つかァ!?」


 エルフの最後の悪あがきだった。しかしハルトには、倒れ込むエフィリーネがこのエルフに何らかの『罪』と呼ばれる影響を受けていたのは察せられる。状況は思った以上に未知だ。それこそ、このエルフを殴り殺してもエフィリーネが回復するかもわからない。


「……やって、みるか?」


 ハルトの内にゴウゴウと燃え盛る意思の炎は、それでもエルフを殺せと滾る。この敵を倒さねば。ハルトには一度決めた意思の決定を覆す選択肢は持たなかった。


「くそッがァ……貴様ァ……人間じゃァ……ねェ……」


「人間?そうだな。お前をこれから殺すのは、人間じゃあないな」


 くいっ、と顔を逸らしたハルトの表情は、まさに、狂人の、ソレ。


「………お前は、殺す」


「ァァァァァァァァ!!」


 断末魔の、叫びだった。狂気染みたハルトの拳の一振りは、いとも容易く、エルフの頭蓋を撃ち抜いた。


「そう、かよォ……お前がァ……『強欲グリード』のォ……加護をォ……」


 血みどろになるエルフは、唯一動く口を回して、最期の呪いをハルトに掛ける。


「ならァ……命令だァ……お前はァ……死ね」


 瞬間、ハルトの視界が闇に消え、頭部を砕かれたエルフの鮮血と、眼球だけをこちらに向ける、紅色の髪の女を見た。



────────────────────




 ──闇に、居た。


 手足の感覚も、視覚も、嗅覚も、何もかも感じない。永遠の虚無感。これが、死ぬという事なのか。


 ハルトは薄っすらと訪れた闇に、しかし安堵を得ていた。


──ここがあの世だとすれば、何と平穏な事か。


 死に瀕する体験は幾度も味わった。


 一度目は唐突に、二度目は絶望の渦中で。


 三度目は、今。


「祟れ」


 声が、聞こえる。


「呪え」


 知らない声音の低い音。


「我が眷属よ」


 フワフワと浮遊感のある闇に溶ける意識の中で、ハルトは声の主に問う。


「だれをだよ。だれがだよ」


 何処からとも知れない声に、投げ掛けた言葉は、


「世界を」


 たった一言の怨嗟に満ちた呪詛の怨念で答えを返した。



────────────────────



──詰まった息が、突然行き場を見付けた様に喉を通る。


「がはっごぼっごほっ」


 横たわるエフィリーネは、朧気な意識の中でボロボロと崩れ行くエルフの肢体を見た。


「ァァァァァ……」


 もはや意識のあるばすもない。苦痛に喉から音を漏らすその、エルフだった物は、骨も残らず綺麗さっぱり形を失った。


「はあっはあっはあっ」


 息も絶え絶えに這い寄るエフィリーネが伸ばした右手が、彼の頭に触れる。


「……はる、と?」


 わからない。朦朧とした意識の中で目撃したのは、打ち砕かれたエルフの頭部と、倒れ行くハルトの体。


「はると」


 ハルトの頭を擦りながら、力を込める。反応が欲しかった。


「はるとぉ……」


 今の自分になら何とかなる。五年前とは違う。そう思って臨んだ戦いだったが、結果は無惨なものだった。『罪』とは、人知を超えた存在であり、到底、一個人の手に負えるモノではなかったのである。唯凡人でしかないハルトに、何が出来たのか。奇跡が起こり、例えエルフを倒せたとしても、ハルトは無傷でいられるのか。わからない。

 

「ねぇ、はると」


 弱々しく突っ伏すエフィリーネは、語り掛ける程に、口に土が紛れ込む事をいとわず、言葉を紡ぐ。


「死んでたまるかって……言ったじゃない。こんな世界で……私に希望を、くれたじゃない。ねぇ」


 ──ハルト。そう呼び掛け続けるエフィリーネは、涙でボロボロにした顔を地面に擦り着けながから、


「ごめんね……エフィ。私には、重すぎるよ」


 今は意識の無い、もう一人の自分へ慰めの言葉を求めた。返ってくるものは、何も無かった。


「……えふぃりー、ね」


「……はると?」


 微かな声音に身を起こしたエフィリーネは、瞼を微かに痙攣させて薄目を開けるハルトに、


「……二回目、だよ」


 なんの事か。なんの事なのか。涙で濡らした頬に、薄く笑顔を張り付けながら、彼女は笑う。


「……馬鹿」


 呻く様に声を絞り出したハルトは、そこにある見知った顔に、泣き顔に、


「三回目だ」


 深く息を漏らす様に吐き出した。


 

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