10話≠罪と呪いの戦いの事1

───古城を囲う森の木々は、火柱のサークルに煌々と照らされ、火柱の中央に浮かび上がる古城は、まるで炎上しているかの様な錯覚を与えてくる。エルヴィラと呼ばれた白猫の魔女が放った魔法が、未だにその火力を弱める事も無く力強く燃え盛っている。


「ザワザワザワ」


 迂闊に近付けない火勢に、小人達が遠巻きに古城を見上げる。白猫の魔法は、外部からの襲撃を完全にシャットアウトしていた。


「さぁてさね。私の出番はもう終わりさね」


 トントン、と軽快に古城の廊下を歩く白猫は、散乱する剥がれ落ちた壁の建材や、割れた窓ガラスを器用に避けながら、


「──『強欲グリード』の罪と、『祟り殺し』の呪い。そしてあの女は──」


 ぴたりと止まり、壊れた窓の縁にその肢体をひらりと乗せる。眼下にいるのは、蒼白い発光を放つ紅色の髪の女騎士。


「──ツギハギの魔力……やっぱりアイツの呪いさね……ああ気持ち悪い」


 言って、在りし日の記憶の人間を一人、思い描きながら吐き捨てる様に、


「『暴食ぼうしょく』の魔人……その呪いたる『人喰い《ひとく》』……出来うる事なら、この私が殺してやりたいさね」


 エフィリーネの姿を捉えて、その瞳を細めた。



────────────────────



「はぁぁぁぁぁっ!」


「奪えェ!『強欲グリード』!」


 エフィリーネは速度を上げて、エルフの死角から斬り掛かる。しかし長剣がエルフに触れるやいなや、殺意の籠った勢いは完全に止まり、まるで撫でるかの様な格好となってしまう。ここまでの流れを、エフィリーネは数度も繰り返していた。


(『罪』の発動と共に、こちらの攻撃が掻き消される……あの時と同じで、魔法も無駄か)


 ならばと、初手に効いた死角からの剣戟も、死角に意識を回されてからは致命打にならない。時たまテンポがズレて、剣が入る事があっても、軽い殴打程度のダメージしか与えられていない。


「あらあらァ?終わりかァ?五年あって何も学習してないのかァ?わかんねェのかァ?俺はァ、四賢人の、『強欲グリード』だぞ」


「…………」


 ふぅ、と息をついたエフィリーネは、冷静な思考を回す。


 チャンスは、有る。ダメージを与えられ無い訳ではないのだ。テンポがズレたその時に、こちらの全力をぶつければ良い。


 虎視眈々とタイミングを計るエフィリーネはしかし、


「……くっはっ?」


 息苦しさを感じて、思わず息の漏れた声を出してしまう。


「おォ?どうしたァ姉ちゃん?……もしかして、奪われちゃったのかァ?」


「な、なに、を」


 呼吸がしずらい。吸おうとすればする程、空気は喉に詰まり、吐き出す事にも重さを感じる。


「決まってんじゃねぇかァ。俺の罪、『強欲グリード』はァ、相手の意識の先端を奪う……今姉ちゃんはァ、迂闊にも俺を殺す算段もソコソコにィ、呼吸を整える事に意識を向けたって事だァそしてェ」


 一拍置いた片耳の無いエルフは、まるで勝利宣言とでも言いたい様に、


「『強欲グリード』はァ!奪った事象をォ!固定出来るゥ!今!俺の『罪』はァ!姉ちゃんの呼吸を奪ったのさァ!」


 エフィリーネを指差しながら言い放った。


「くっはっ」


 青ざめ始めたエフィリーネは、左腕の発光も消え失せ、片膝をついてしまう。


(まずい……)


 呼吸が出来ない。酸素が足りない。息苦しさが思考を緩ませて、エフィリーネの視界をぼやけさせていく。


(ブランドナー……私、私……)


 遂に倒れ込んでしまったエフィリーネは、その右目の褐色をどす黒く濁らせる。


(仇、取れなかった……ごめんなさい)


 エフィリーネの脳裏によぎるのは、白髪の偉大な剣士の出で立ち。恩人であり、兄であり、父親でもあった彼の魂に、彼女は懺悔し後悔する。


「いい~ねェ!五年前は痛み分けってェヤツだったがァ……今はあの白髪のジジイはいねェ……終わりだァ姉ちゃん」


 手が、延びる。もはや力無く横たわるエフィリーネの姿は、エルフにとってはこれ以上無い嗜虐心の対象なのだった。


「……は」


 最期の意識の中で、エフィリーネが絞り出そうとする。


「はる」


 混濁する視界の中で、エフィリーネ自身も自分が何を言おうとしているのか、よくわからなかった。しかし、


「はると」


 それは、エフィリーネとして呼ぶハルトなのか。


 それは、理恵子が呼ぶ春人なのか。


 エフィリーネを背負う理恵子は、しかしこの夜の暗闇が世界を支配する時のみ、エフィリーネとしての意思を明確に持たない。すべて、理恵子が演じるエフィリーネなのだ。つまるところ、


「たす、けて……春人」


 命の危機に瀕した今、絶望の海に溺れた少女の呼ぶ名前は、今もっとも頼りになる同郷人どうきょうじん


「春人ぉ……」


 柏木春人、その人なのだった。



「──ヒーローは、遅れてやってくる」



「あんだァ?」


 男の声音に、エルフは背後に意識を向ける。無論、エフィリーネへの『強欲グリード』の発動は解かぬままに。


「もうすぐ二十一のこの俺が、サイコーに格好良いタイミングで、サイコーにクールな悪役退治をするんだ。そうだ、今決めた」


「……脳味噌にクソでも詰まってやがんなァ」


 ジトジトとしたエルフの視線をまったく気にせず、ポキポキと指を鳴らすヤル気満々の青年柏木春人は、アドレナリンも全開に、人生史上最高の高揚感を感じながら、遂にたどり着いた自分の物語の山場に、ある種の興奮を覚えていた。


 ギン、とエルフを見据えた彼の双眸は、褐色のソレではなく、



「理恵子、エフィリーネ。もう大丈夫だ。俺が、来た」



 血に濡れた様に薄らと発光する、赤色だった。

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