9話≠篭城戦での事1
「こりゃ、惨劇さね……」
平屋に散乱する小人のあちこち欠損した死体と、崩れる様に抱き合うハルト、嗚咽を漏らすエフィリーネを見て、白猫は目を細めた。
「あんた達、そこな女を放って置いて、乳繰り合うなんざ正気さね」
白猫が顎を向けて指す方には、倒れこんだ母親の痛ましい姿。息があるのかも怪しいくらいだ。
「……母さん……!」
いつからそこにいたのか、白猫の言葉に目を見開いたハルトは、弾けた様に立ち上がると血の池に溺れた母親へ走り寄った。
「母さん!!」
ピクリ、とも動かない。そもそもその姿からは温もりや生気をまったく感じない。これは、まさか、やはり。
「……くっそっ」
言葉が喉を突いて詰まる。 現実感の無い静寂ささえ漂わせる目の前の光景は、不可逆の絶望をハルトに思い知らす。
「ハルト……」
涙の跡が乾いて筋となった顔を、弱々しくその一人と一体に向けて項垂れるエフィリーネ。自分は間に合っていたのか、ハルトの身を案じるばかりに、彼女を見殺しにしていなかったか。後悔と自責の渦がエフィリーネを責め立てた。
「ごめん……ごめん……俺がもっと……早く……」
うつ伏せに血の池に頭を埋める母親の頬へ手を伸ばしたハルトは、
「契約さね」
凛、と一言澄ました様に言い放った白猫を、母親の身体とハルトを見下ろす様にベッドに降り立ったのをゆっくりと見上げた。
「契、約……?」
「そうさね。アンタの真名はもう知った。後はアンタの代償の提示だけさね」
「なに、言ってんだ、お前」
青ざめていたハルトの表情が困惑に歪む。まだ、何とかなるかもしれない。まだ、間に合うかもしれない。そんなハルトの楽観的な葛藤と、現実的に見て絶望的な量の血液の流出の狭間で明後日の方向の会話。意図が、白猫の意図が、
「察するさね。その女の死体を、甦らせてやるって言ってるさね。お前と私の、契約の結果としてさね」
読めた。
「……貴女は……!?」
一人そんな白猫とハルトの様子を遠巻きに窺っていたエフィリーネは、人の言葉を口にする白猫の姿に見覚えがあった。
「さぁ、時間がないさね。正確にはこの女はまだ死んじゃいない。ただ、死に行く流れに乗りかかっているだけさね。でも」
白猫は鋭く尖った歯並びを浮かべ、笑顔と言うにはあまりに禍々しい口角を上げた表情で、
「私なら救える。そして機会は今しかない。どうする、柏木春人!?」
追い詰める様にハルトに迫った。
「……代償は」
「ハルト、ハルト!」
「俺は何を、すればいい?」
「待て、ハルト、もしかしたら、ソイツは──」
焦る様なエフィリーネの制止の声も聞かず、ハルトは白猫の言われるがままに言葉を続ける。そして、溢れんばかりの満面の笑みを表情全体に出した狂気の白猫が、呟いた。
「──契約成立さね。代償は──アンタに、この世の全ての罪と呪いを」
「祟り殺してもらうさね」
それは、災厄の魔女と最悪の呪いが、絶望の乳化剤で一つに混ざり合った瞬間だった。
────────────────────
「フレイズ・オル・ディヴァース!」
エフィが叫ぶと、紅色の焔がその身を渦巻く様に包み、焼け付く熱波が宙に浮かぶ小人を炙る。
「ザワザワザワ……」
焔に飲み込まれた小人達は、ボトリ、ボトリと地面に燃え尽きた炭の様に落下し、物へとその生命を変えていく。
「ザワザワザワ」
その豪焔の威力にすかさず距離を取った他の小人達は、地面の小石と手にした小枝を投げ付け始める。
「ディセクト・フレイズ」
のたうち回る焔の鞭が、投擲主目掛けて迸る。一拍の間も無く焼け付くされる小人達は、この短時間のエフィの猛攻にそのほとんどを灰塵と帰していた。
「……少々度が過ぎたかな」
エフィは片耳の無いエルフへ長剣の切っ先を向けると、浅く嘆息する。
「さすがァ、聞いた事あるぜ。アレグリアには歳に似合わない手練れの女騎士がいるってなァ。お前の事かァ」
片耳の無いエルフは、引き連れた小人達の惨状を目の当たりにし、それでも驕った態度を崩さない。まるで、それらは最初からいなくても良かったとでも言う様に。
「なァるほどォ。俺の討伐は一大事って訳だなァ。……裏返すとよォ」
片耳の無いエルフはギチギチとした笑みをそのくぐもった表情に滲ませ、紅の焔を散らす精悍な女騎士を舐める様に見定めた。
「お前を殺せばァ、俺の名も、目的も、知れるってもんだァ。こいつは好機だァ」
禍々しい。エフィが察する眼前の敵の発する魔力とは異なるナニか不吉を孕んだ瘴気。毒々しいそれは、可視出来る程にはっきりと、そしてエフィの焔の火の粉を溶かす様にどろどろとエルフの周囲から滲み出す。
(上級魔法……!?いや、魔力の流れが無い……?これは、殺意!?)
この世界の常識に掛かる魔法の一種ならば魔力の強弱くらいはエフィに察知出来る。しかしこの、前を歩く見知らぬ他人が抜き身の刃物を振り返り様にこちらに向けてきた様な得体の知れない狂気、或いは殺意。魔法の類いではない、ナニか。
「フレイズ・オル──」
宿る焔に意思の方向性を持たせ、自身最大級の焔を放つ呪文の詠唱をエフィが言の葉に乗せた、その時──
「『
片耳の無いエルフの吐き出した一文の台詞で、エフィは自身の焔が大海の海に投げ出された一本の蝋燭に似る錯覚を覚えた。
────────────────────
「……あら……」
ブロンドの長髪を所々血に染めた女性は、自分を背負う男の険しい表情を目に映しながら目を覚ました。
「ハルト……?」
走っているのか、ぐらぐらと揺れる視界に、しかしハルトが力強く自分をおぶっているのが良くわかる。
「リサが……お兄ちゃんと一緒に寝るって……喜んでたわよ……」
それは小人の襲撃前の話しか。母親の記憶はそこで止まっているらしかった。
「……ああ、ああ。わかった。後で行くから。母さん、寝ててよ」
「……そう?そうね……なんか、疲れちゃった……」
ぐっ、と母親の頭がハルトの背中に押し付けられ、先程までは無かった感触に、ハルトは内心ほっと胸を撫で下ろした。
「脈があったのは、全員確認したはずさね」
ハルトの横を並走する白猫がそら見たことかと言わんばかりに口の尖った物言いをする。
「疑ってた訳じゃねぇよ。感謝はしてるさ」
「そうさね」
言われて白猫は自身に冷たく疑いきった視線を浴びせる紅色の髪色の女騎士に目をやり、そっと視線を前に戻す。
「……後ろのヤツは、全然そんな事思っちゃいないさね」
「…………」
エフィリーネは上手く丸く収まったかの様に見える事実に、警戒心を解けずに白猫を睨み付けていた。
(……喋る白猫……)
その特徴的な存在が意味するものの正体を、エフィリーネ、もといエフィは良く理解している。まさか、こんな辺境の地で遭遇する事になるとは。
(彼女だけは、伝説では、ない)
おとぎ話の登場人物が実在の人物で占められているこの世界で、唯一と言っていい、まさしく生ける伝説。それが、
(四賢人の寵愛を受けた女……彼らの死の元凶……災厄の魔女、エルヴィラ)
世界の根幹を一度揺るがした女。それが、今目の前にいる白猫そのものだった。
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