夜の森での乱痴騒ぎの事3

 一体何体の小人を打ち殺しただろうか。


「ハァッハァッ」


 握り締めた拳の感触が無くなり、捲れた皮から肉が見えた事までは覚えている。


「ハァッハァッげほッ」


 小人の持つ小枝に貫かれた右太ももが、ズキンズキンと熱を持った鈍い痛みを発して身体を重くする。


「ヒューヒューヒュー」


 その場にうずくまったハルトが迎えるのは、肉体の限界。かつてない危機感と闘争心で常識では考えられない膂力を発揮したハルトの身体は、配線の切れた電化製品の様にピクリとも動けなくなってしまう。


「終わ……れる……かぁ……!」


 ぐぎぎぎぎ……と軋んだ靭帯と関節が悲鳴を上げる。ハルトは立ち上がったつもりだったが、反して肉体はビクビクと脈動するのみだった。


「殺してやる……殺してやる……殺してやる……」


 霞み揺らぐ視界。頭部から流れた生暖かい血液が眼を濡らし、景色を赤く染めていく。


「殺してやる…殺してやる…」


 ズズズズと、痙攣する右腕が、骨の剥き出しになった指々の関節が、頭上の小人目掛けて伸びる。延びる。


 ストン。


 と。


 小人が振り下ろした腕が、ハルトの見た最期の記憶だった。



────────────────────



「お兄ちゃんお兄ちゃん」


 着のみ着のまま、寝巻きのまま飛び出したリサは、


「っ痛」


 自身が裸足で森の獣道を全力で走っている事に今さら気が付いた。


「ハァ…ハァ…」


 身体が熱い。そして、後ろを振り返りたく無い。リサは月明かりを背にする古城を見上げ、人生最大級の絶望感と焦燥にその身を支配されていた。


「もういやだぁ……もうやだよぉ……」


 ツッ、と地面に張り出した木の根に足を取られて顔面から転げてしまったリサは、もう走りたくない。とばかりにそのまま地面に突っ伏してしまう。


「誰も……死なないでよぉ……死なないでよぉ……」


 褐色の双眸から零れ溢れる涙が擦りむいた頬に染みる。その痛みが気にならない程、リサは全身傷だらけで、憔悴しきっていた。


「……リサ」


 ふと、戸惑いの声がリサの頭上から降りかかる。その声音は、リサにとっては救いであり、同時に筆舌に表し難い安堵感となってリサの身体中を包みこむ。


「……エフィ……お姉ちゃん」


 険しい表情をした薄紅の髪色の女騎士は、絶望に打ちひしがれた少女を見、即座に良く知る平屋の惨状を理解する。


「……この子を城で治療してくれ」


「了解であります!」


 タタタターっと、若い騎士が既に気を失っているリサを担いで古城へ走る。リサが倒れこんだ場所は、古城の目と鼻の先の所だった。


「ふぅっ」


 重く息をついたエフィリーネは、その右目の褐色に燃える様な煌めきを灯して、森の中のナニかを見据えて吐き出す。


「『強欲グリード』……!!」


 それは、五年前。エフィリーネの最も敬愛する騎士を殺した『罪』の名だった。



────────────────────



 

 ザワザワザワザワザワザワザワザワザワ。


 執拗に執拗にこだまする、葉擦れの怪音にハルトは薄っすらと目を開ける。


「………ぁ」


 指が、動く。呼吸が、出来る。


「ッげほッげほッ」


 むせかえる程の胸糞の悪さが、肺に残っていた。


「気持ち……悪りぃ……」


 力の入る両腕でようやっと身を起こしたハルトは、周囲の惨状に、


「…………」


 完全な茫然自失となっていた。


「どう、なってんだこれはよ……!」


 あの赤い眼光の小人達が、欠損に欠損を重ねた死体となってそこら中に転がりまくっていたのだ。無論、ハルトにこの惨状を行った記憶は無い。あるのは自身が小人に殺される瞬間の……。


「あ、ああ、あぁぁあぁぁ……」


 自分が死ぬ瞬間の、記憶までだった。


「俺は、俺はぁ!」


 頭を抱えてうずくまるハルトの褐色の双眸からは、止めどなく涙が流れ出続ける。恐怖。失意。得たいの知れない悪意に、己をなされるがままに蹂躙される絶望。前世で落下死した時とは比べ物にならない、遥か格上の精神へのダメージ。


「俺は……俺は……」


 ハルトの精神はもう崩壊寸前だった。何故自分が生きているのか、何故小人達が死んでいるのか、そんな事実は最早ハルトの眼中に無い。あるのはただ、生きたままの自身が、明確な死の体験をしてしまったという最悪の結果だけだった。


 それは、人の摂理に反している、まさに悪魔の所業とも言えよう。


「…………」


 ふと、身体の震えが止まるハルトは、急速に思考が収縮していくのを感じた。


(もう)


 前世の事、母親の事、リサの事、そして、理恵子、エフィリーネの事。


(もう……!)


 何もかも投げ出してハルトは楽になりたかった。自分は、もう、駄目だ、と。


「戻りてぇ……帰りたい……」


 必死に絞り出したハルトの本音は、ソレだった。無理もない。春人の精神はもう、完全に、


「春人!!」


 

 その名をどこか聞き慣れた声音で叫ばれ、ハルトの瞳が大きく見開く。


「り、理恵子……?」


 ソロソロと顔を上げた先に立ち尽くしていたのは、


「春人……春人ぉ!」


 紅の長髪を一つに纏めた女騎士、エフィリーネだった。しかし、


 その姿は、今のハルトの目には。


 黒髪のまだあどけない少女が、今にも泣き出しそうな表情でいるように見えた。


「よかっ……たぁ……」


「うっうおっ」


 全体重をかける様にハルトへ抱き寄ってきたエフィリーネは、憔悴しきっているハルトもお構い無しにユサユサとその身体を揺らしながら抱き締め続けた。


「理恵子、理恵子だよな……」


「うん。うん!」


 春人の疑問をいとも簡単に切り捨て、エフィリーネもとい理恵子と呼ばれた女騎士は、


「会えるなんて、会えるなんてぇ、春人に、会えるなんてぇ……」


「お、おい」


「うえ~~ん」


 盛大に泣き出してしまった。


「おまっ、ちょっ、なぁ」


「春人ぉ春人ぉ春人ぉ……」


 ──泣き出したいのはこちらの方だ。


 ハルトもとい春人は、ショートしそうな精神が、ショートする事が自覚できるだけに回復している事実に腹の底からの安堵感を感じ、軽く嘆息する。


「やれやれ……」


「うえ~~~~ん!!」


 


今ならこの狂気の沙汰の跡で、泣き腫らす女の子を慰める事くらいは出来るだろう。

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