5話≠妹の事

「おはよう」


「おはよ、お兄ちゃん」


 ハルトが日常やっている様に、井戸で顔を洗っていると、リサがやって来た。昨日は家に帰るとぶっきらぼうに部屋へ行ってしまい、夕飯も口にしていなかった妹に、ハルトは心配気に目をやる。


「リサ……大丈夫か?」


「なにが?」


 即答され、ハルトは口籠る。何を隠そう、ハルトの妹リサは、気丈で強気な女の子なのだ。昨日の狼狽え方や感情の爆発に似た事は、ベルンハルトの記憶を遡ってもほとんども無かった事だ。


「そっか。あー、今日は俺一人で荷物運んじゃうぞー!!」


「頑張って!お兄ちゃん!」


 ふがっ。とハルトは内心府抜ける感触を感じた。これはアレだ、脈なしの女子から来る反応のヤツだ。


「……おう」


 さっさと顔を拭いて立ち去ってしまう妹の姿に、ハルトの中のベルンハルトが申し訳なさそうな感情を吹き出し、春人がそれに応えて一人ごちる。


「……これは、呪いだ」


 頑張れお兄ちゃん。春人はベルンハルトの今までの立場と成り行きを理解して、今は自分の自我に寄り添うもう一人の自分への慰めの言葉とした。




────────────────────



昼下がり、満面の笑みの母親の笑顔を後ろに、ハルトとリサは再度村へ向かっていた。無論、昨日置きっぱなしにした食糧その他生活雑貨を回収する為にだ。


「にゃーん」


「うわーこのーこのー」


 ブロンド掛かった茶髪のポニーテールを振り撒き、雪の様な毛色の猫の頬をスリスリするリサ。何の事か、昨晩ハルトに講釈を垂れた自称魔女の白猫は、村への道中でさりげなくリサの傍らに現れると、その心を一瞬の内に奪ってしまっていた。


「かわゆい~かぁいい~……」


 年頃の女の子らしく、可愛いものには目が無いのか、リサは今朝のツンケンドンなハルトへの対応とはうってかわってデレデレな面持ちでハルトに問い掛ける。


「ねぇ、ねぇ、お兄ちゃん!家に置こうよこの子!めっちゃアタシに懐いてるって!」


「よし、お兄ちゃんは大賛成だぞ!こんな愛くるしい白猫は見たことがない!」


「……クエイク」


 ズボッ、と突如として開いた地面の穴に、ハルトは両足を取られて前のめりに倒れてしまった。


「もう、何してんのお兄ちゃん。先行くからね」


 そんな綺麗に会釈をするかの様なハルトに一瞥いちべつもくれずに、白猫を抱いたリサは昨日と同じように先に村へと歩き去ってしまった。


「……んの、クソ猫が……」


 腐葉土となった林道の土をモグモグしながらハルトは、高飛車な白猫(自称魔女)を睨み付けながら一人。



────────────────────




「うーん、わたしにはぁ、いたってぇ、ふつうにしかぁ、みえないのよねぇ」


「もう!そんなわけないじゃない!」


 リサがバン!っとカウンターを両手で叩いて抗議するのは例の薬屋の中だ。


「でもぉ、普段無口な彼がぁ、突然流暢に喋り出すなんてぇ……とってもお得じゃない?」


「そういう問題じゃ!ないから!」


 バン!バン!と荒ぶる勢いでカウンターを叩きまくる妹、リサに、


「お、おい、リサ。シルフィーさんに迷惑だろうが」


 ハルトは若干引き気味になりながら制止に入った。


「あらぁ、お兄さん。ほんとにまともに喋るのねぇ」


「ほら!あんたもそう思う訳でしょ!?そこんとこ治せる薬とかないかって話しなのよ!」


 バン!と一際大きくカウンターを叩いたリサは、金色というか、白色というか、白金色のブロンドを腰まで軽やかに流した絶世(春人主観)の美女の鼻先間近まで迫って要求する。


「百年生きたエルフなんでしょ?このバグったお兄ちゃんの性根を叩き直す薬を作りなさいな!」


 ちなみに、この世界でのバグ、とは、日本で言うところの馬鹿に相当するスラングだ。この場合の使い方としては間違ってはいない。


「直すって言ってもぉ、私としてはぁ、別にこのままで問題ないって思うしぃ、リサちゃんは何も喋らないつまらないお兄ちゃんに戻って欲しいのぉ?」


 白金色の美女、シルフィーはエルフ特有の横に長い耳に飾り付けられた種々様々なピアスで、じゃらじゃらと音をたてながらリサに問う。


「そ、それは、そんな事ないけど」


「だったらぁ、本当に困った事になる時までぇ、様子見ってのもぉ、いいんじゃない?」


(め、女神だ)


 にっこりニコニコ微笑を浮かべるシルフィーは、ベルンハルトの記憶の中では特に際立った印象がある女性だった。若干ふくよかな体型に、柔らかな物腰。含みの有る言い回しに貴金属を思わせる髪色。エルフ族の特徴である長耳には長目のピアスが幾つも揺れ並べ、ハルトからすると目の保養以上何者にもない、完璧理想的なエルフだった。


「う~~」


 困った時に唸り出すのはリサの癖だ。可愛気のある所作なのだが、本人にはそれが周囲から子供っぽく見られる原因なのだとはつゆとも知れない。


「ともあれお兄さん。貴方自身はぁ、こんなリサちゃんの姿を見てぇ、思うことぉ、言うことはないのかしぁ?」


「特に何もありません、シルフィーさん!」


「そう♪だってさぁ、リサちゃん」


 痛いところを付く人だ、ハルトは思いながらそれでもシラを切る事にする。言える訳が無い。目の前のお前が、リサが兄だと言う男の中身が、別人だなんて事が。


「……絶対おかしいもん」


 ぶつぶつと呟く様に、リサはハルトに顔を向けながら、


「……ハルトお兄ちゃん」


「おう。リサ!」


 甘える様な、本当にそれで正解なのだろつかと、察せられるくらいにモジモジとしたリサの奥手な声音で、


「本当に、お兄ちゃんだよね……?」


 確認し、それでいいのか。何かの契約の様に後戻り出来ない判子を押させる様に、リサは上目遣いでハルトの表情を覗き込んだ。


「ああ、俺は、死ぬまでお前のお兄ちゃんだよ」


 この瞬間ハルトは、リサへ自らの居た前世界の肉親を越える感情を持って接した事に気が付いた。同時に、一人っ子だった自分に、本当の意味で妹が出来た事を知った。


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