4話≠夜の古城での事

──ハルトとリサが森に忽然こつぜんと座する古城傍そばの我が家へ帰って来たのは、木々が夕陽に陰る頃だった。


「あら」


 開口一番、何も手にしていない二人の姿より先に、母親の目線はリサのボサボサになった髪の毛に向かっていた。


「もう、寝る」


 説明責任を放棄し、さっさと自室へ向かってしまうリサ。取り残されたハルトは、


「これにはこう、どう説明したらいいか、だな……」


 木造のテーブルの椅子に腰掛ける、ブロンドの長髪を腰まで流す、見ようによっては二十代にも見える母親へ、溢す様にハルトは言葉を紡ぐ。


 実際にベルンハルトとしての記憶を揺さぶられる様な事実が、視界に入ってなければ春人として客観的な思考が回る。この場面で無理に母親に誤魔化しなどしても喜ばないだろう。ハルトは唾を飲み込みながら母親へ口を開いた。


「……エフィリーネと会ったよ、村で」


「……そう、リサもね?」


「うん」


 沈黙。黙って木造のテーブルに腰掛けたハルトは、腕を組ながら、嘆息する。


「……ごめん母さん、こんな話ししちゃって」


「どおして?別にいいのよ。同じ国で生活しているのだからばったり会うこともあるでしょう。……ハルトは大丈夫?」


「まぁ、うん。驚いたけどさ、そりゃ」


「そうねぇ……問題はリサかしらね……」


 暖炉にかけていた鍋の様子をお玉で見ながら、母親はくべられた薪に盛る炎をじっと見詰めた。


「あの子は、何もかも一緒に失い過ぎたのよ」


「…………」


 娘を憂う母親の後ろ姿に目をやりながら、ハルトもパチパチとはぜる暖炉の炎に目線が移る。


 あれは、燃え盛る炎が闇と人とを焼き尽くす、そんな狂気に満ち満ちた最悪の夜の事だった。




────────────────────



「鬱陶しい……」


 夜半の半月がうっすらと木々を照らす夜の森に、彼女はいた。


「そう言うなエフィ。これも仕事だ」


 白髪痩身はくはつそうしんの、動きやすそうな鎧を身に付けた剣士風の男が耳障りな音をたてて飛び交う羽虫を潰す。


「よく触れるな、ブランドナー」


 そう言って顔をしかめるエフィと呼ばれた少女は、これも動きやすそうな鎧を身に付けていた。


「……上官を呼び付けにするんじゃない。コラ、エフィ」


 スタコラと先に行ってしまうエフィに、ブランドナーと呼ばれた白髪の男はやれやれと言った風に頭をかく。


「やんちゃなところがリサに似なければいいが……」


 追い付いたブランドナーは、一回りも小さな紅色の髪を色の少女が見詰める宵闇を見た。



────────────────────




 ──柏木春人は何の変哲もない日本人の若人である。おおよそ特技と呼べるモノもなければ技能もない。強いて言わせれば無能、なんて冗談も冗談にならないかもしれない。


(ベルンハルト、俺。リサ、妹。母さんは母さん。そんで……エフィリーネ。あいつは……)


 目まぐるしく飛び込むここ二日間の情報量にハルトとしての記憶を当てはめながら、ハルトは自らの住む平屋の隣、夜の古城をうろうろ歩いていた。


 どうにも、悩み事がある時この世界のハルトは古城を徘徊するらしく、気付けば自身もそこにいたという感じだ。もっとも、明かり一つ無く壊れた窓から射し込む月明かりが充満する城内には、春人として一応の躊躇はしたが、実際あまり気にならなかった。



(エフィリーネ、お前は理恵子なのか)


 理恵子。それは日本で暮らしていた春人の良く知る人物の名であった。


「顔じゃないんだ……そうだ、全然違うのに……何で俺は……?」


 春人の記憶にある理恵子の姿は、エフィリーネと呼ばれた女とはまったくかけ離れていた。無論日本人の理恵子の髪色は、紅色などファンタジーなモノではなく黒髪である。共通点など何処にあったのか。


(でも、あいつも気付いてた……よな?)


 昼間の邂逅かいこうでの反応は、ベルンハルトを春人として見ていたのは間違いない。何よりも二人はお互いをその名で呼びあっていたのだ。


「もう一度、会う必要があるだろ。これは……!」


 結論など当に決めていたハルトだったが、この訳も分からず降り立った世界で、唯一巡り会えた前世界の知人。いや、知人何てものではハルトにとってはなかった。何故なら、


「お前、いつ来たんだい?気付かなかったさね」


「!!!!」


 突然声を掛けられた。それも、


「……おんや?雰囲気が違うね。纏う魔力も……こりゃ……」


「ねねねねねねねねね、猫が喋った!」


「……その反応は初めてさね。三日前にも来たんだろうがお前は」


 その、全身が雪の様に真っ白で、所々に黒毛がアクセントになっているどこか神々しさを身に纏った猫は、やれやれといった様にまた、喋りだした。


「という訳じゃなさそうさね。お前、重なってるね…… いや、祟られたのか」


「猫が……猫が……」


 泡を吹いて腰を抜かすハルトは、自身が異世界からやって来た事実こそ奇妙だという事も忘れ、喋り続ける白猫に指を指す。


「ちょっとうるさいよお前。お前は幸運さね。このタイミングでこの私に出会えたのだからさ」


「あわわわわわ……!リサ、母さん、いや、スマホスマホ……!」


 ふふんと猫なりに鼻をついた表情をする白猫だったが、対するハルトは何を思ったのかスマホを探してポケットをまさぐっていた。


「……ちょっと、ねぇ、お前」


「め、珍しい……こんなんもいるのか……!よーちよーち、こっちへおいでー」


 きっぱり白猫の言葉を無視して、ハルトは両手の指をこちょこちょワキワキ動かしながら白猫へと迫る。なにやらその動きにぞぞぞと鳥肌を立てた白猫は、


「……クエイク」


「あが!?」


 ポツリと呪文の様なモノを呟くと、連動して落ちてきた天井の一部がハルトの脳天を打ち付けた。


「あ、だ、だ、だ」


 フラフラと倒れ込んだハルトは、薄れ行く視界の中で自分を見下ろす白猫を見た。


「私を無視して、いい気味さね。頭、冷すといいさね」


「ま、まじか……」


 これは頭を冷すどころか熱くなるのでは……と、途切れる意識の中でハルトが一人ごちる中、


「まじょよ。魔女だけにね」


 白猫のふざけた様子の無い、最高につまらない冗談が聞こえた気がした。




────────────────────



「ほへー。何かわかってきたような、そうでもないような……」


「わかんなさいな。今のアンタの数奇な運命をさ」


 ──古城の一室、おそらく客室として使われていたのだろう今は荒れ放題の部屋のベッドに腰掛け、ハルトは白猫の真剣な眼差しを受けていた。どういう原理か、白猫の尾の先に灯る淡い白光が辺りを照らしていて、会話をする分には問題がなかった。


「四賢人、四賢者とも言うさね。彼らの掛けた呪いのトリガーを、アンタは弾いてしまった」


「四賢人、ね……」


 ハルトの記憶による理解を進めるとその存在は、日本で言うところの徳川家康や織田信長、豊臣秀吉に当てはまる様な、この異世界での歴史上の偉人を指す名詞だ。もっとも、日本同様ほぼ伝説に近い実在した人物となっている彼ら四賢人の存在を、この異世界の日常で感じる機会などまったく無い。


「呪いの権能は、世界の境界を越えるのさね。お前は望む望まないにしろ、呪いを掛けられたのさね」


「その、四賢人に?」


「まさか。四賢人は当の昔、五百年も前に全員自殺してるのさね。お前は呪いそのものに呪いを掛けられたのさね」


「自殺って穏やかじゃないな……」


 呪いは動詞であって名詞ではない。存在が無いものに恨まれる様な事はあるのだろうか。


「今回の事だけで言うなら、この五百年間数えるほどしか起こり得なかった呪いの接触が、あったって事さね。それがお前」


「……呪い呪いって、この世界に来た事が呪いなのか?それとも……」


 思い出す。この世界へ来る瞬間、直前の記憶を。落下する浮遊感、頬を切る風、そしてブラックアウトする視界と意識。


「あれ?」


「…………」


 思えば、ハルト前世?の記憶はそこで終わっていた。コンクリートの地面に叩き付けられた感触も苦痛も、彼には無い。あまりの経験に無意識に忘れているだけなのか。


「俺、死んだんだよな……?」


 仮にその呪いとやらの発動する原因が死にあるのだとしたら、ハルトは前世界で死んでなければならない。が、ハルトには実際、自分が死んだという実感はまったくなかった。


「死に至る経験をした、およそ人の形をしたものが、お前の様にまともな自我を持っている訳が無いさね。単にお前が死の記憶をシャットアウトしているのか、それとも死を克服するだけの精神力の持ち主なのかどうか。どちらにせよ、お前に掛けられた『呪い』は」


 ここで一拍間を開けた自称魔女の白猫は、


「『祟り殺し』とみるさね」


 天敵を威嚇するかの様な、外敵を威嚇するかの様な、そんな攻撃的な表情を白猫の顔に浮かべ、見開いた目をハルトへ向けた。


「──『祟り殺し』?」


 聞いた事も無いようなフレーズに、ハルトは戸惑いを隠せない。


「それが何を意味するか──お前が知ったところでナニが、どうなるモノではないさね。さぁ、私は眠いさね。今晩はお開きさね」


 トテトテと寝室を後にしようとする白猫は、ただその後ろ姿を呆然と見送るハルトに、


「──……」


 一瞬、愁う様な、そんな優しげな視線を流して古城の廊下へと消えていく。


「たたって、ころす……?」


 一人取り残されたハルトは、その言葉の意味を理解出来ずに白猫の消えた廊下を見詰めていた。

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