3話≠人喰い騎士の事
「はる、春人なのか?」
その紅の髪色と合わせて褐色に染まる右目を見開かせながら、ローブの女は喜色の混じった声を上げた。
年の頃は十代後半と言ったところだが、精悍ささえ感じさせる整った顔つきは、気圧される様な威圧感すら相手に与えているようだ。その実、ぐいっと顔を覗き込まれたハルトは後ろずさりながら問い返す。
「理恵子?理恵子なのか……?」
剣呑とした表情もどこへやら、ハルトは驚きに目を見開き、意味もなく口をパクパクさせながら眼前の紅の髪色の女の顔を凝視していた。対して紅の髪色の女は、
「は、ぁ…… るどぉ……」
「っと、おい!」
浮かべながらいきなり力の限り抱き付いてきた。ハルトは為すすべもなくされるがままに内蔵を圧迫される。
「お、おまえ……」
「はるどぉ、はるとぉ……」
ハルトと春人の中の記憶が混在し混雑する。目の前のこの女は、一体誰か。しかし、ここではハルトの記憶の中のある感情が勝った。それは、
「お前は、エフィ、リーネ……!」
忘れもしない。いや、正確には知りもしなかった過去の記憶。この薄紅の女は、この顔面に亀裂のようなツギハギのある女は、ベルンハルトの記憶の、
「人喰い、エフィリーネ……」
きょとんと春人を見上げたはずの理恵子と呼ばれた女は、困惑の表情に極った男の瞳に燃え上がる、自分の右目と同じ褐色を見た。
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「なにやってんだろ」
ブロンドがかった茶髪を小さなポニーテールにまとめた少女は、行き付けの雑貨店の軒下で一見、抱き締め合う男女の連れ合いを眺めていた。何のこともない、そんな光景は真っ昼間の通りでやる者こそ少ないだろうが無い訳ではない日常のワンシーンだ。が、
「お兄ちゃんだよね……」
「だな……」
相槌を打つ恰幅の良い雑貨店の店主が、伸ばした髭を撫でながら物珍しそうな目で抱き合うハルトと全身ローブの女を見ていた。
「ハルトもあれで悪くねぇ顔してやがんからな。父ちゃん似ってわけだ、隅に置けねぇなぁ」
うんうん、と一人頷く店主が頭二つ分は身長の低いリサへ目線を落とすが、当のリサは愛らしいくりくりとした大きな瞳を細める様に、あるいは睨み付ける様に、兄を抱き締めて離さないローブの女の姿に釘付けになっている。
薄黒い褐色の双眸に燃えるような憎悪と拒絶を灯して、リサはその表情を歪ませた。
「アレは……あの女は……!」
開ききった瞳を一杯にしてリサは、
「お前はーー!!」
獣の様に突進、という表現そのままに、通りを行く通行人を撥ね付けながらローブの女に駆け出す。
「うお」「んだ?」「いたっ」
回りの通行人が怪訝そうな声を上げるがリサは気にしない。気にも出来ない。殺意の籠る、歪んだ表情の顔に伝う水が褐色の双眸からこぼれた。
「どおして……どおして……お前がここにいるの!エフィリーネ!!」
「!!!!」
はっとした風に背後の怒声に振り返ったローブの女は、
「……貴女は」
ローブに隠れて窺いずらいその表情を、曇らせた様に声を絞り出した。
「こんな近くに!この村に来て、わかんないの!?消えてよ今すぐ!っ……お兄ちゃん!」
ハルトに駆け寄ったリサは、ローブの女から一刻も早くとばかりに、腕を引っ張る。
「リサ……」
為すすべもなくローブの女から引き離されるハルトは、そっとこちらを流し見る
彼女は誰なのか?それはベルンハルトの記憶が掘り起こす、凄惨な過去が答えをくれる。だが、春人としての自分は、彼女が何者なのかのもう一つの確信を与える。それは、
「理恵子……お前……お前なのか?」
後ろ手でリサに引き連れられるハルトは、
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──抱き合う男女に怒声のもう一人の女。彼らを良く知りもしない人々は、なんだ痴話喧嘩の類いかとさっさと散っていく。その場に立ち尽くし、周囲の好奇の視線を浴び続けていたローブの女、エフィリーネは、
「……忘れたのか?リーネ」
ぼそり。とたった一言呟いた。
「……忘れる訳ないじゃん。大丈夫だよ、少し、本当に少し、驚いただけ」
話し相手がいる訳ではない。彼女は一人で俯く様に通りに立っているのだけなのだ。
「ならば良し。しかし数奇なものだな」
「……本当にね。本当にそう思うよ」
代わる代わる様に、エフィリーネは同じ声音で、しかしまったく別の口調をもって一人呟き続ける。
「それでは任務再開といこう。リーネ、頼むぞ」
「了解。おやすみ、エフィ」
まるでスマートフォンで通話をしているかの様なエフィリーネの姿に、目を止める者もいるが彼女は気にもしない。何か目的を与えられた様に、エフィリーネは雑踏の中へ歩き出した。
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「…………」
「…………」
村へ来る時と同じく、やはり距離感をもって一人先を早足で帰路を行く妹の背中を見ながら、ハルトは緊張感を感じていた。
「リサ……大丈夫か?」
堪らず言葉を口に出したハルトは、ギン、と刃物の様な鋭さで睨み付けるリサに息を飲んでしまう。
──例の騒ぎの後、雑貨店の店主と世間話をしていたリサが既に済ませていた買い出しの荷物も雑貨店へ置いたまま、古城のある家へと向かっていた。薬屋にハルトを診てもらう時間を多く取りたかったリサの気を回した行動だったが、もはや荷物どころの話しではなかった。
「……お兄ちゃんは、何をしてたの」
それは、あのローブの女と抱き合っていた事を指しての事だろう。ハルトには、その身に宿る記憶でそれが何を意味するかを今になって実感していた。
「……俺は、俺からした訳じゃないよ……俺にも意味がわからないんだ」
「ふーん……でも昨日からお兄ちゃん、なんかおかしいし……あの女になにかされた?」
パタリと止まったリサが振り返り、昨日の今頃にハルトに向けた時の様な疑念の視線を送ってくる。
「冗談、リサ。昨日から俺はずっと家にいたし、森にもお前と行っただろうが」
「まぁ、そうだよね」
はぁ、と溜め息をついたリサは、
「でもあの人、私達がいるってわかってて村に来てるよね?……思い出したくもなかったのに……」
とぼとぼと俯き加減に歩き出した小さな妹の肩にハルトは手をやると、
「もう会うこともないさ。忘れよう」
何の根拠もないのに、
胡散臭そうな表情で兄を見上げるリサは、
「……そうだね」
珍しく素直にコクンと頷いた。
おっ、と嬉しくなったハルトは、ワシャワシャと今度はリサのブロンドがかった茶髪を撫で始めたが、されるがままのリサはグラグラ揺れる頭の中で、
(お父さん……)
母にも兄にも劣らずむしろ最愛と言って良かった、父親の姿を思い出していた。
「よーしよし、良い子だー」
相変わらず歩きながらリサの頭皮を刺激するハルトは、ポタポタとリサの歩いた後に滴る涙を横目で見詰めながら、作り笑いを決して崩さなかった。
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