第二話 盗賊と襲撃

 ガチャガチャとした音にルルカは静かに目を覚ました。外はすっかり日が沈み部屋には廊下からわずかに光が差し込んでいる。その光を頼りに廊下へ出てみると、食欲を刺激するような香ばしい食べ物のにおいで廊下は充満していた。やがてルルカは光にいざなわれる虫のごとくその匂いのする下の階へと降りていく。

 一階はいかにも酒場といった具合に円卓と椅子が並べられ、すぐ横の台所でひとりの女性が何かを調理している姿があった。


「いい匂いね。何を作っているの?」


「――ふわっ? びっくりした」


「驚かせてごめん。あなたここの人?」


「私はニーナ。一応この宿の亭主よ。一応食事を作ってるんだけどねえ……さびれた町だからあんまり旅人も来ないし店開いても意味がないんだけど、一応、唯一の酒場だから開かないわけにもいかないし……。町の人たちも来るしね」


「ふーん……」


 調理するニーナの前のカウンターに腰かけてルルカは店の中を見渡す。彼女の言う通り、がらりとした店内はルルカを除いて数人がちらほらと料理を口にしているが、ニーナの人気もあるのだろうが店内は比較的男が多い。どの人も酒を持ちながら少し暗い表情をしている中、青年が一人、テーブルに大量の料理を抱え込んでガツガツと勢いよく食べ物を口に放り込んでいる。不思議そうに周りをキョロキョロするルルカを見てニーナは優しく声をかける。


「あなた魔術師なんだってね?」


「ええ、私はルルカ・フェンリル。魔術師がそんなに珍しいかしら?」


 ルルカは少し寝癖のついたその金色の髪を指でほぐしながら自分を見た。一見してルルカから放たれる雰囲気は可憐で、在処によっては宝石のようなきらびやかさもある。しかしながら、彼女自身はそのことに気付いていない。というよりは自分の容姿がいかほどの評価を得るのかなど考えたこともないほど、がある。ルルカのそれは一般にどこか陰湿なイメージのある魔術師とは大きくかけ離れている。


「このあたりは田舎だからねえ。そりゃあ王都と違って目立つわよ!」


「――? どうして私が王都からきたってわかったの!?」


 ルルカはここにきてから一度もどこからやってきたのかは言っていない。ふとした疑問にルルカは顔をしかめた。それを見てニーナはその妖艶ようえんな口元に少し笑みを浮かべながら答える。


「うふふ。あなたってかなり温室育ちね……ふつう名乗るときファーストネームしか言わないわよ?」


 ルルカはハッとした表情で口を押える。


「それにフェンリルって貴族のフェンリル家でしょう? 王都の五代貴族の!」


 図星も図星。旅人にとって身の上を話すことは時に危険を伴うことをニーナはルルカに優しく諭した。もしニーナが悪人であれば、貴族の少女を狙うことはごくごく自然なことだ。いくら魔術師とは言え、大勢を相手に取り囲まれてしまえば捕まってしまう可能性がある。ルルカは改めて自分の危機管理能力を考えさせられ反省した。


「旅をするなら気を付けた方がいいわよ……。世界にはいい人も悪い人もいるのだから。ところでどうして貴族のルルカ様がこんな田舎町に?」


「私はある物を探してるの。まあ、この町に来たのは成り行きね。そ、それより、私のことはいいからこの町のことを教えてちょうだい」


 聞き上手のニーナにのせられて、また自分の身の上のことを話しそうになったルルカはいそいそと話題を切り替える。今度はこっちの番だと言わんばかりにニーナに問いかける。


「この町は宿町。聖都バダムが統括する小さな町ね。あなたみたいな旅人が主な商売相手よ」


「それは昼間聞いたわ! 私が聞きたいのは盗賊のことよ。なにか情報はないの?」


 ニーナは手を止めて巻いていたバンダナを脱いでルルカの横に座った。



「片翼のクロって知ってるかしら――?」


「片翼のクロ……聞いたことがあるわ。ひとつの翼で空を舞う泥棒でしょ? 噂では魔術師って話だけど、空を飛ぶ魔術なんて存在しないわ。きっと誰かの妄想ね。それに、大いなる探求心をもつ魔術師がそんな低俗なことはしないもの」


 ルルカは知識量に自信があった。それは魔術に関することだけでない。貴族として庶民の生活や噂もその脳に蓄えられている。そんな彼女が見知っている情報でも片翼のクロの情報はまゆつばものが多い。肥大化された噂が横行し、その存在自体、嘘ではないかと思うほどデタラメなものばかりが世間ではささやかれている。ルルカはニーナの言う『片翼のクロの噂』を真剣に聞く姿勢ではなかった。


「それで……、もしかしてこのあたりを荒らしている盗賊がその『片翼のクロ』だって言いたいわけ?」


 あざけるように鼻で笑うルルカだったがニーナの表情は変わらず、まっすぐルルカの顔を捉えて離さない。まるで本当だと云わんばかりのその様子をみたルルカは続けざまに言う。


「……って、だいたいその『片翼のクロ』をみたことはあるわけ?」


「見たわ」


「え?」

「私は確かに見たわ」

 一瞬固まった会話をほどくようにニーナは続ける。


「盗賊たちが初めて町にやってきたとき、彼らが『ボス』と呼んでいたそいつには確かに翼があったわ。しかも噂通り片方だけね。そして見せしめのように抗う町の男を容赦なく殺した。そして言われるがまま……、従うしかなかった。何度もやってくるやつらにそれでもやっぱり抵抗しようとした者をいたのだけれど、同じように……」


 悲しげな顔のニーナになんて声をかけていいのかルルカはわからなかった。ニーナの左指にはめられた指輪がランプの優しい光に照らされて、時折、ルルカの視線を奪っていく。どこか他人ごとでないように感じられたルルカはひっそりと拳を握りしめる。


「あいつらは悪魔よ!! 片翼のクロ……、絶対に許さないわ」


 ニーナはその美しい茶色の髪を一瞬逆立てた後、感情をむき出しにしたことに気がとがめたのかルルカに丁寧に飲み物を手渡した。対照的にルルカはやや落ち着いてその話を聞きながら差し出された飲み物を口にする。その様子を見た一人の男が二人に近づいてきた。


「どうしたんだよニーナ。きれいな顔が台無しだぞ?」


 酒を片手に使づいてきた男はニーナの酒場の常連客、宝石のような二人とは対照的に、言うなれば岩石といった具合の肩幅の広い男だ。酔っているためか彼はやたらとニーナに近づいて顔をじろじろ見たあと流れるようにルルカに視線を移した。その表情にはどこかいやらしさが混じっている。


「ガンダ少し飲みすぎよ! ……ほらっ、水飲みなさい」


「水なんているかよ! いいよなあお前の店はもうかっててよぉ……」


 ガンダと呼ばれる男は大声そう叫ぶ。一瞬の間があった後ニーナの店の扉がダンッ――と音をたてて開かれる。すると、三人の男たちが太々しくズカズカと店内に入ってきた。


「ハイハーイ、食料の徴収の時間だぜェ」


「料理なんて食ってねえでさっさとオマエら出ていきな! ただし、女は残れ! 俺たちにオモテナシをしろよ……、イヒヒ……」


「ゲヘへ、ニーナ今日はやけに混んでるじゃねえかよ」

 開口一番に三人組は順に場を仕切り始める。


「あなたたち昼間も来たじゃない!! 今日の徴収はもう終わってるはずでしょう!!」


「なぁーに、ちょっとしたトラブルがあってねェ。収穫物えものを運ぶのを邪魔した女がいてなぁ、荷物がめちゃめちゃにされたんだわ。今日はその分も多くを徴収しなくちゃならんのでねぇ……恨むんならおれたちのお仕事を邪魔したバカなそいつを恨むんだな!」


 醜悪しゅうあくな表情で下品に笑う男たちはニーナの言う盗賊たちの一味だ。店内にいた者たちは我関せずといった具合でいそいそと店から出ていく。中には丁寧に盗賊たちに、特に一番巨体の男に頭を下げて出ていく者さえいた。そんな様子を見かねたルルカは勢いよく席を立ちあがる。


「アンタたちこそ出ていきなさいよ!! 何が徴収よ! 人からしかものを得られない下賤な人種のくせに。恥を知りなさい! それともなあに、もう一度私とやろうっての? そんなに丸焼きになりたいわけ?」


 その三人組は昼間まさにルルカたちに襲いかかって来た盗賊たちだった。一度、相見えているからこそルルカには恐れは全く、盗賊たちに対して堂々と馬頭を言い放った。

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