切ない
逢雲千生
切ない
久しぶりの再会となったのは、彼女が失恋したと聞かされたその夜だった。
彼女が失恋すると、必ずその愚痴をいつも聞かされるんだと別の友人に話すと、決まって「お前ら付き合ってないの?」と驚かれる。
そう言われると、たしかに
なぜかと言えば、僕は衣山が好みではないし、衣山も僕が好みではないからだ。
それを友人に伝えたところ、呆れた顔で「よく続いてるよな」と言われたが、それが僕らの関係なのだからしょうがない。
僕だって好きな人ができて振られることもあるので、そのたびに彼女に報告はしている。
それも伝えると、事情を知らない人からは信じられないという目で見られたこともあるが、それが知り合ってからずっと続いているルールになので、今更変えるつもりはなかった。
それ以外でも、定期的に連絡は取り合っているので、連絡しなかった最大の期間は一ヶ月くらいだろう。
ほとんど僕から連絡することが多く、彼女に彼氏ができたり愚痴がなければ、彼女の方から連絡してくることはほとんどないのだ。
そのため、僕は送られてくるメッセージの中に彼女の名前を見つけると、なるべく早くに内容を確認して、何かあるとすぐに会う約束を取り付けて、気楽に飲み会を開くのが定番になっていた。
この日も彼女は僕に愚痴を送ってきて、何かあったのかと尋ねると、すぐに「フラれた」と返ってきた。
これは飲めという事だなと笑いながら、いつもの居酒屋で個室をとり、二人きりで寂しい飲み会をしているというわけだ。
「彼ってば、いつも私に可愛くしてろって言うんだけどさ、自分はいつもダサい格好なのよね。Tシャツにジーンズでもカッコよく見えればそれでいいのよ。だけど、着回してボロボロになったTシャツに、毛玉つきのスウェットってどう思う? ダサすぎだよね?」
「それはさすがにダメだなあ。俺だって部屋着はもう少しマシだもの。それで外も歩いてたんだろ?」
「そうよ。おかげで私と並ぶと彼が笑われてるのに、真面目な顔で「お前の格好が似合ってないから笑われてるんだからな」って言うんだよ? もう無理だった」
衣山の新しい彼氏は、顔も体型もそこそこイケメンな男だった。
写真でしか見た事はないが、きちんとした格好をしていればモデルになれそうな容姿だったが、顔は良くてもセンスは皆無。
服がダサすぎると毎日報告されていたのに、改めて言葉にされると確かに危ない人だった。
「顔は好みだったし、趣味が合ったから付き合い始めたんだけど、いざデートするってなると注文の多いこと多いこと。これでもかって前日にメールが送られてきて、それに合わせて服装を決めても、当日に会うと必ずダメ出しだよ? 自分はどうなんだって話よ」
「へえ。じゃあ、褒められたことは無いの?」
「ないない。あるわけないじゃん。自分の服装が一番マトモだと勘違いしてる人が、人のコーディネートなんて無理でしょ」
かなり厳しい言葉だが、彼女はそんな彼と一年は付き合っていた。
我慢強いのは知っていたが、俺がもしその人と友人だったらと想像してみたら、少しだけゾッとした。
彼とは週に一度はデートをしていたので、月に四回、一年で三十六回は最低でもダメ出しをされていることになる。
尽くすタイプではない彼女の気持ちを考えると、本当に好きだったんだな、としみじみしてしまうのだが、覚めた時の女性ほど冷えたものはないだろう。
彼をまだ好きな頃は褒めてばかりいたのに、今は完全に悪口ばかりになっているのだから、相当ストレスが溜まっていたのだろうが、少しだけ元彼となった相手に同情した。
注文した焼き鳥を噛みしめながら酒を煽る彼女は、昔から知っている彼女そのものに戻っていた。
「……そういえば、彼と付き合っていたら面白い話を聞いたのよねえ」
彼女の奢りだという今回の飲み会は、だからこそ遠慮がないのか、たくさんの料理でテーブルが埋め尽くされている。
それを半分以上平らげた彼女が、ふと思い出したようにそう言うと、僕は飲み始めてから初めて満面の笑みを浮かべた。
「どんな話?」
嬉しそうに尋ねると、まだまだ飲み足りない彼女は酒を口にしながら、思い出すように「志半ばで亡くなった女の子の話」と言った。
珍しい内容を聞いてきたものだと若干驚いたが、話そうとする彼女は少しためらっている。
何かまずいことでもあるのかと聞くと、「そうではないけれど、ちょっと切ないのよねえ」と枝豆をつまんだ。
「今回話す怖い話って、大学生の女の子の話なのよ。まあ仮にA子さんと呼ぶけれど、そのA子さんって人は、つい最近亡くなったって聞いたから、ね」
彼女が聞いた話は、つい最近亡くなったというA子さんの話らしい。
何度か悩むそぶりを見せた彼女だけれど、親しいわけではなかったらしいので、名前だけ伏せて話してくれることになった。
「A子さんは美術大学のファッション系を勉強していて、将来はファッションデザイナーになりたかったんだって。毎日一生懸命勉強して、必死になって成績を落とさないようにしていたんだけど、ある日盗作を疑われたらしいのよ。次のコンテストに出品する衣装だったんだけど、同じ大学の先輩とデザインが被ってるって言われて、先生達が確認したら、本当によく似ていたんだって。それで大騒ぎになったらしいわ」
A子さんが通う美大は、地元でも有名な芸術大学だった。
彼女はそこを卒業して海外留学をするつもりだったらしいのだけれど、ある日盗作を疑われ、大事なコンテストに出品することが出来なくなってしまったらしいのだ。
そのコンテストは学生にとっての憧れで、優勝はできなくても、上位に食い込めば大きく前進できる。
そのためライバル達も必死で、中には足の引っ張り合いも起こっていたようなのだ。
「まあ、盗作って言っても、衣装製作の場合は事前に原案を提出するから、後で盗作だって騒いだ先輩が起こした冤罪だったんだけど、それが証明された頃にはもうコンテストは終わってたんだって。盗作されたって騒いだ先輩は、本当は自分がA子さんの衣装を盗作したのに、それを自分のデザインだって事にして出品して、そのコンテストで入賞しちゃったらしいのよね。そのことでA子さんは犯罪者扱いされて、仲間達からもひどい扱いを受けていたそうよ。学校からは停学処分を受けるし、警察沙汰にもなったから、誰も彼女を信じてくれる人はいなかったらしいわ」
何ヶ月もかけて考え出した衣装は、心ない先輩によって盗作され、逆に盗作の罪を着せられることになってしまった。
警察の調べと学校側の調べで、どうにか彼女の冤罪は証明されたけれど、その頃にはすでに手遅れだったそうだ。
「家族からも見放された彼女は、冤罪が証明されたその日に自殺して、遺体は冤罪の報告に来た母親が見つけたそうよ。彼女は盗作された衣装を身につけて、机に広げられたデザインノートには、大きく『私じゃない』とだけ書かれてたんだって。盗作した先輩は退学処分を受けたけど、A子さんの汚名は生きてるうちに返上できなかったから、すごく悲しい最後になっちゃって話なのよねえ」
珍しく元気のない衣山は、酒の入ったグラスを指でいじりながらつまみに視線を落とした。
ファッションなどそれほど興味はないけれど、精一杯やっていたところに謂れのない罪を着せられたA子さんは、これまでの情熱全てを失ってしまったのだろうか。
そうだとすれば、本当に切ない最後ではないか。
急に気持ちが落ち込んでしまい、僕もつまみに視線を落とす。
衣山はしばらく黙っていたけれど、酒をあおるとその勢いで続きを話してくれた。
「それからその大学では、衣装を作る作業部屋で幽霊の目撃されるようになったんだって。だから、今でも大騒ぎしてるんじゃない?」
「……なんか、最後はありきたりだな。解決してないってことだろ?」
「当たり前でしょ。私が聞いたのは先週で、A子さんが亡くなったのは先々週だよ? そんな簡単に解決できるほど軽い話じゃないでしょうが」
彼女の話を聞いて驚いた。
てっきり一ヶ月以上も前の話をされていると思ったのに、そんな最近の話だったのかと目を丸くすると、衣山は鼻を鳴らして僕を睨みつけた。
「大学に出るって幽霊が、盗作されて、盗作の罪を着せられて、悔しい中で亡くなった彼女かどうかはわからないわ。でも、そうなってもおかしくない状況で亡くなっているのは事実なんだから、ありきたりの一言で終わらせるのは失礼よ」
「そう……だな」
彼女の言う通りだ。
無念のうちに亡くなったであろう彼女が、大学の作業部屋に出るという幽霊なのだとしたら、恨みから出てきているのか、それとも衣装への執着があるのかは誰もわからないのだ。
中途半端な結末だと僕は思ってしまったけれど、それはとても失礼な言葉なのだろう。
誰よりも悔しかった彼女は、志半ばで人生を終わらせてしまったのだから。
マズく感じる酒を飲み干して、彼女と二人店を出ると、外は息が白くなるほど寒くなっていた。
真っ暗な夜空に星はなく、月すらも出ていないけれど、今夜の僕らにはちょうど良かった。
失恋した衣山は飲み足りないらしく、もう一軒行こうと誘われたけれど、僕は飲む気になれず断った。
彼女も気持ちを察してくれたのかそれ以上は言わず、ただ「気をつけて帰ってね」と笑って見送ってくれた。
居酒屋から駅に向かう途中、少しだけライトアップされた大学が目に入った。
彼女が話していた例の美術大学だ。
昔は美術学科のみだったらしいけれど、今は芸術にまつわる様々な学科が増設されている。
昼間は景色に溶け込むように存在しているのに、A子さんの話を聞いたからか、それとも夜だからか、妙に目に入ってしまったのだ。
怖いけれども切ない。そんな気持ちになってしまうほどに。
大学の二階には明かりが点いていて、誰かが残って制作しているようだ。
遠目にはわからないけれど、動き回っているから絵画ではないだろう。
その様子を少しだけ見ると、A子さんの冥福を祈ってから駅へ向かった。
後日知ったのだけれど、あの大学で居残りをする人は現在いないらしい。
例の幽霊騒ぎで怖くなった生徒達が、課題などがあっても自宅でやると言い出したため、暗くなるまで誰も残らなくなったからなのだそうだ。
当然、僕が二階で人影を見た日も残った人はいなかったので、その話を衣山にすると、彼女はいい笑顔になった。
「良かったじゃん。A子さんに会えて」
怖がればいいのか、それとも震えればいいのか、よくわからなかった。
不思議と恐怖は感じなかったのだけれど、一生懸命に動き回っていたあの人影を思い出すと、また切なくなった。
彼女は今でも衣装を作っているのだろう。
死んでいることに気付いているのかどうかはわからないが、もう一度コンテストに出品するために、あの場所でもう一度頑張っているのかもしれない。
そう考えて、僕は衣山に「話してくれてありがとう」と笑った。
切ない 逢雲千生 @houn_itsuki
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