VOL.5

 ふすまを開けると、そこは八畳ほどの和室があり、隣の部屋とはガラス障子で仕切られていた。


 一方の部屋には真ん中に大きな座卓と火鉢が置いてあり、火鉢の上では大きな鉄瓶が間段なく白い湯気を噴き上げている。


『オルテガ君、外は大丈夫だった?』

 ガラス障子を開け、一人の女性が入って来た。


 焦げ茶色のトックリセーターに、ジーンズ、それに紺色のかっぽう着を着ている。


 歳は四十代後半・・・・いや、事によったらもう少し行っているかもしれないが、色が白く小柄なので、何となく若々しく見えるのは確かだ。

 彼女は割烹着で手を吹き、座卓の前に腰を掛ける。


『はい、大丈夫でぇじょうぶです。でも管理人さん、こいつが・・・・』

 ドテラ男が後ろから棒を構えて女性に声を掛ける。


 すると彼女は、

”まあいいから”

 とでもいうように、後ろの連中を制し、俺に向かって、

『立ってないでお座り下さい。』

 と、声をかけてきた。


 俺は言われるままに、畳に胡坐をかく。


 彼女は割烹着を脱ぎ、火鉢に乗っていた鉄瓶から、座卓の上の盆に乗っていた急須に湯を注ぎ、湯呑をどこからか取ってきて、茶を淹れ、ついでに大ぶりの煎餅が乗った菓子鉢を俺に勧めてくれた。


 俺はもう一度身分を明かしてから、要件を話した。


 大きな湯呑で茶を一杯啜ると、彼女は息を一つ吐き、


『・・・・お話は分かりました。ちょっとこちらにいらしてください』


 彼女は立ち上がり、俺を招いた。


 何が起こるのか分からないが、俺は彼女の後について立ち上がる。


 ガラス障子を開け、隣の部屋に入った。


 俺も後に続く。


 加湿器の音が聞こえる。


 部屋の中は少し高めと思われるほどの温度になっているようだ。


 窓際の日の当たる所に、介護用のベッドがある。


 そこに、一人の女性が横たわっていた。


 白いカバーの掛け布団を胸までかけ、軽い寝息を立てているが、時々苦しそうにむせている。


『母です』


 彼女・・・・つまり桂川春枝は、ベッドの柵にかけてあった黄色いバスタオルで母親・・・・桂川深雪の顔を優しく拭いた。


『もう三年もこの状態が続いています。時々立って歩くことは出来るんですが・・・・』それから彼女はサイドテーブルに置いてあった吸い飲みを母親の口の所に持ってゆく。


『ああ・・・・』小さな声を上げてうっすらと目を開け、唇に当てられた管から水を吸った。


 もう一度、俺はサイドテーブルに目をやる。


 そこには写真立てがあり、軍服姿のアメリカ軍人と、グレーのスーツ姿の女性が並んで写っている、セピア色の写真が置かれてあった。


『・・・・私も、そして母も、ライアンさんには恨みつらみはございません。意志の強い母が自分で選んだ途ですし、仕方がないと思っています。だから今更お会いしてお世話を掛けるようなことはしたくありません。私はこのままここで母と一緒に暮らしてゆきます。これまでもそうしてきたのですから』



 彼女は寝たままの母親に声をかけ、俺の方を振り返らずにそう言った。


『は、はるえさん・・・・あれ・・・・』


 吸い飲みを口から離した母親は、娘に向かって言う。


 娘は軽く頷いて立ち上がり、ベッドの頭の方に置かれてある和箪笥の上に置いてあったCDプレーヤーのスイッチを押す。


 流れてきたのは、フランソワーズ・アルディ、

”comment te adieu" さよならを教えて。


 である。






 

 


 

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