VOL.2

『1964年から1970年まで、私は日本に居ました』といってからライアン氏は『この店は珍しく禁煙じゃないんでね。喫ってもいいですか?』と断り、俺が首を縦に振ると、ラッキーストライクを取り出して火を点けた。


 その頃アジアではヴェトナム戦争の真っ最中で、彼は通信部隊に所属していたが、いつ戦地に行かされるか分からない、そんな不安の中で時を過ごしていた。


 ある時、彼は久しぶりの休暇に、銀座へ出かけた。


 米国の母親の誕生日が近づいていたので、何かプレゼントを買って送ってやろうと思ったのである。


 Mデパートの宝飾品売り場。カツラガワ・ミユキ(桂川深雪)は、そこで働いていた。


 俗にいう『一目ぼれ』というやつだったという。(彼は”ヒトメボレ”と、はっきり言った)

『こっちの写真は知り合ってすぐに写したものです』

 軍服姿の若き日の自分と、スーツを着たミユキが写っている写真を指差して、彼はため息交じりに言った。


 その後何度かアプローチし、遂にはデートもし、その後まで行くのに、さして時間はかからなかった。


 彼にとってみれば、いつ戦争に行かされるか分からない不安の中での、束の間の平穏というやつだったのかもしれない。


 結婚したいと思った。米国に連れて帰り、両親に紹介しようかとも思った。


 だが、ここに困った問題が二つあった。


 一つは宗教である。


 日本人にとっては『何だそんな事か』で済んでしまうのかもしれないが、米国人にとっては、越えがたい障害なのだ。


 米国ではプロテスタントが一番大きな勢力を持っている。


 彼の家もその例に漏れず、先祖代々のメソジストだから、仮に彼女と結婚するといっても『日本人なんか』と言われて反対されるのは目に見えていた。


 更にもう一つの問題・・・・・それは彼には『婚約者』が別にいたことである。


 しかしその恋人とは、もうとうに気持ちが離れており、彼としては『別れる』つもりでいたのだが、当時の環境がなかなかそれを許してはくれなかった。


 何しろ彼の生まれ育ったのは南部の田舎町で、婚約者の実家はその町きっての実力者、つまりは大地主の富豪だった。


 ライアン氏の家は、別に貧乏ではなかったものの、かといって金持ちという訳でもなかったし、婚約者の家からは、事業資金やら何やらで色々と世話になっており、一旦婚約した以上は断りづらい。


 米国と言うと、恋愛から何から自由だと日本人は思いがちだが、その頃はまだまだ保守的な空気が強かったのだという。


『私は別に気が弱い方ではなかったんですが、何しろ一人息子でしたからね。親の期待を裏切るような真似はどうしても出来なかったのです』


 そのうち、軍からヴェトナムへの転属命令が出た。


 彼は後ろ髪をひかれる思いで船出した。



 彼は通信係だったので、戦闘に直接出ることは殆どなく、そのままサイゴンが陥落する直前まで勤務した。

 

 停戦の後、またてっきりまた日本に戻ると思っていたのだが、次の転属先は本国だった。


 ミユキのことがなければ喜ぶべきところだったのかもしれないが、彼はそういう気持ちにもならず、又しても未練を残したまま本国に戻り、婚約者と結婚をしたのである。

 勿論日本で好きな女性が出来たことは誰にも話さなかったし、話せもしなかった。


 ミユキから手紙が来たのは結婚をしてから2年ほど経ってからだった。

 彼女の手紙には格別ライアン氏のことを恨むような調子はなかったものの、ただ、

”お国へお帰りになるなら、何故はっきり別れの言葉をおっしゃってくれなかったんですか?”とだけしたためてあった。

『その2通目の手紙に同封してあったのが、この写真です』

 彼が指さしたのは、小さな赤ん坊を抱いた方の写真である。 

 俺は写真を手に取り、裏返してみると、そこには達筆な文字で、

 

”桂川春枝、19〇〇年、1月〇日生まれ、とあった。

 俺はもう一度写真をよく眺めてみた。


 赤ん坊の目元は、確かにライアン氏にどことなく似ている。


 写真を見た瞬間、彼はそれが自分の娘であることを確信したという。

 だが、手紙には娘のことについては何も記されてはいなかった。


 彼はそのことがひっかかったまま、とうに心が離れてしまった妻と味気ない結婚生活を続けた。


 幸か不幸か、二人の間には子供が生まれなかった。


 妻とは不毛の結婚生活を20年以上続けたのち、互いの両親が亡くなったのを機会に離婚した。


 そこで再び思い出したのが、ミユキと、そして娘の事だ。


『ミスター・乾、貴方にお願いしたいのは、何とかミユキとこの娘・・・・春枝ハルエの行方を捜して欲しいということなんです』


 


 


  


 

 

 

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