『さよならを教えて』

冷門 風之助 

VOL.1

 彼が指定したのは、横須賀港が見える高台の小さな喫茶店だった。

 時刻は午前十一時かっきり。

外は雨だ。

 港の景色が霧雨で煙っており、時折米軍の軍港から、軍艦が出たり入ったりするのが大きめのウィンド越しに見える。


 その店は『純』という名前が白文字で描かれているだけの素っ気ない看板が入り口にかかっているだけで、店の中は飾り気もなく、静かすぎもせず、煩すぎもせず、といったところだった。


 店はカウンターの向こうで、蝶ネクタイをしめた老齢のマスターが、たった一人で経営している。


 俺達は窓際の席に腰をかけ、彼はモカ、俺はブルーマウンテンを啜りながら、さっきから店の中に流れている音楽に耳をすませていた。


”comment te dire adieu" 

『さよならを教えて』1968年にヒットした、フランソワーズ・アルディの曲だ。


 リズムに乗ってはいるが、どことなく物悲し気な、男女の別れを歌った、フレンチ・ポップの名曲だ。


『この曲が好きでしてね。』

 独特のアクセントの日本語で、彼は語った。


 彼は・・・・日本人ではない。イギリスとフランスの血が半々、他にも色々・・・・と静かに笑う。


 渋いグレーのスーツに、オレンジに白のストライプの入ったネクタイをしている。


 元米海軍少佐、エドワード・ライアン。今年誕生日が来て78歳。


 日本にはもう20年ぶりくらいの来訪だという。


 軍を退役して後、貿易関係の会社を経営していたが、後継者に後を譲り、今ではサンフランシスコで悠々自適の生活を送っているそうだ。


 どこで俺の事を知ったか?と訊ねてみる。


 何せ米国へは自衛隊時代に米軍との共同訓練で一度、探偵社に居た頃、研修で二度行ったことがあるきりだからな。

 


『ジョージ黒崎をご存知でしょう?彼からの紹介なんですよ』


 ジョージ黒崎というのは日系三世の米軍人で、まだ探偵社に居た頃、俺が通っていた柔道の道場で顔見知りになった。


 こっちが自衛隊の出身で、他に幾つかの武道が出来ることを知ると『教えてくれ』といい、つたないながらも手ほどきをしたことがあった。


 しかし向こうは在日勤務を終えて帰ってしまってからは、たまにエアメール(俺はネットはやっていない。自慢にもならんが)が来るくらいで、会うことも無くなってしまった。


『実はほんの僅かですが、彼は私の部下だったことがあるんです。その彼に今回の話をしたら”日本で探偵を雇うなら、この男にした方がいい”といって、貴方の名前を出したんです』


 さほど親しかったわけでもないのに、妙に信頼されたもんだな。俺は心の中で苦笑した。


『で、依頼のおもむきは何ですか?』


 俺の問いかけに、彼は上着の内ポケットから大ぶりの黒い財布を出して、そこから何か取り出して俺に見せた。


 セピア色に褪せている二枚の写真だ。


 一枚は洋装のツーピースを着た女性と、軍服姿の若い米国人男性が。もう一枚は和服姿で、生まれて間もないと思われる赤ん坊を抱いたものだ。


 二枚の写真にはいささかの時間差はあるが、どちらも同じ女性であり、軍服姿は若き日のライアン氏であるのもまた直ぐに理解出来た。


『”カツラガワ・ミユキ”といいます。そしてこの女の子・・・・』そう言ってライアン氏は白いに包まれた子供を指差し、


『私の娘です』


 といい、深いため息を漏らした。


 


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る