第2話:ある罪人の走馬燈


 俺はアルキウス。罪人だ。

 罪状? 強盗だよ、強盗。


 おいおい待て待て。俺は、お前が思ってるよりは良い奴だぜ。死神さんよ。


 俺が初めて盗みに手を染めたのは、トラヤヌスの時代だ。

 そう。ローマの版図は拡大の一途を辿り、ついにその東の端が、ダキアやペルシャに届いた頃だ。


 ローマ国内は、とんでもないくらいに平和になった。

 そりゃあ、ネロ様が死んだ後は、それなりにきな臭くなったさ。あっちこっちから軍隊がローマに入ってきて、あわや、内乱の時代再来かって感じでな。酒の席も盛りあがったってもんだ。


 でも、大した混乱なく、事態は収拾した。

 平和は良いことだ。そいつは俺も認める。


 でもな、世の中が安定すればするほど、腐った世の中も、安定しちまうのさ。


 俺が押し入った家は、決まって資産家の家だった。あとちょっとで元老院議員の財産資格を満たすような、大富豪さ。インド貿易で巨万の富を築き上げた海運業者とか、アフリカで見世物用の象やライオンを仕入れる豪商とか、そういう連中だ。

あいつらは基本的に、税金をちょろまかす。執政官や法務官を買収する。ライバル商人を姦計に嵌める。小売業や下請けの連中を使い捨てにする。

 夜な夜な、エリトリア地区って言うローマの娼婦街に繰り出して、綺麗な姉ちゃんや少年を酒で潰して、手込めにする。

 悪事がバレれたら、自分の奴隷を拷問して、自白させる。──全て奴隷の私がやりました。御主人様は関係ありません。ってね。


 ……昔は、戦争や疫病で大勢の人間が死んだ。当たり前に死んだ。偉い人も貧しい人も、大勢死んだ。

 「死」って言うのは優しくてな、身分とか資産とか、そういうルールで人を差別しない。

 戦争はその典型例だ。ひとたび城壁が崩れれば、血に飢えたイエナどもが、今までデカい面してた金持ちの家を、みんなぶっ壊してくれた。貧民は文字通り命懸けで、そのおこぼれに与った。

 少し雑な方法だが、何だかんだこういう理屈で、富が循環したんだ。


 ……ははは。死神さんにこんな話なんて、野暮だったな。

 俺の話に戻ろう。


 俺は、そんな碌でなし金持ち連中の家に押し入って、後生大事に締ってある金庫をこじ開けた。中身のほとんどは、貧民街でばらまいた。

 ついでに、碌でなし連中にはオレ流の罰を下してやった。旦那のイチモツを切り落としたり、夫人の指を指輪ごと切り落としたりした。

 何てことはない。あいつらから性欲や顕示欲を取り上げれば、ただのちっぽけな人間に戻る。そのことを、確かめたかった。


 さて。40件目の仕事で、俺は捕まった。


 金持ち連中は、というか世の中は、俺のことが相当に憎いらしい。

 すぐに処刑すれば良いものを、あいつらは物好きなことに、俺を剣闘士にした。


 俺を引き取った興行師は、かなりの変わり者だった。

 興行師には、珍妙なビジョンがあったんだ。


「──帝国じゅうから有名な犯罪者を集めて、デスマッチをしよう」


 興行師は、積極的に凶悪犯を引き取った。

 アレクサンドリアの連続殺人鬼。ブリタニアの食人男。イリュリクムの山賊王。ガリアの100人斬り強姦魔。他多数。


 正直、こんな連中と同列に思われること自体、俺は嫌で嫌で仕方がなかった。

 でも、俺に拒否権なんてなかった。


 俺は諦めて、体を鍛え直した。武器の特性を学び、技も覚えた。

 実を言うと、剣闘士になること自体は、まんざらでもなかった。


 剣闘士試合を楽しみにしているのは、何も賭け事に興じたい金持ちだけじゃない。

 酒も色も買えないような貧者だって、剣闘士試合を楽しみにしている。


 良い試合を見て、興奮して、その思い出を摘まみにして、安酒を呷る。

 ローマの貧者を助ける方法は、何も強盗稼業だけじゃない。そのことに、俺は気が付いたんだ。



 初戦を、俺は劇的な勝利で飾った。


 俺は大男の攻撃を、ひょいひょいと飛んでかわしながら、隙を探した。

 だが、俺は逃げてばかりでもなかった。客を喜ばせるためには、白熱した試合を見せなくちゃいけない。俺はわざと強引に切り込んだり、無理な体勢で相手の攻撃を受けたりした。


 俺の盾が砕けて、俺の脛当てが裂けた頃。

 相手の息は上がっていた。

 俺は全身に活を入れると、一気に反撃へ転じた。相手の手元を集中的に攻撃し、最後は、相手の剣を叩き落とした。


 互いに滝のような汗を流しながら、俺は、相手の首に刃を押し当てた。


「──そこまで!」


 主催者席の隣で、審判が叫んだ。


 ──ゥオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!


 満場の喝采が、コロッセオを包み込んだ。

 俺にとって、人生最高の瞬間だった。

 俺は相手の首から剣を離すと、観客席の全周を見渡して、


「ぅおおおおおおおおおおおおおっ!!!」


 雄叫びを上げた。

 俺は全身で、観客たちの狂喜を体感した。


 特に、観客席の一番の外縁──貧民席で沸き立っている興奮は、俺の目に焼き付いて離れなかった。

 明日を食う飯代も、夜を越す宿代もないような奴らが、辛い現実を忘れ、あんなにも歓喜し、はしゃいでいる。


 ──命を張った甲斐があるぜ。


 俺は、それで満足だったんだ。



『極悪人、生き残るのは誰だ!?』と名付けられたこのイベントは、およそ1ヶ月に及ぶ長丁場だった。

 剣闘士は育成に金が掛かる。だから、総当たりやトーナメントみたいな戦い方はしない。俺は、このイベントで二~三回戦う予定だった。


 俺にとって、2度目の試合が巡ってきた。今度の相手は、シチリアの巨人と呼ばれている連続殺人鬼らしい。何だかヤバそうなヤツだってことは、その通り名だけで伝わってきた。



 俺は、半地下の待機スペースにいた。


「──剣闘士、入場!」


 審判の声に合わせ、俺は地上に出た。陽の光りが眩しい。どうやら、太陽は相手の背後にあるようだ。こいつは不利だ。俺は、気を引き締めた。


 観客席からは、割れんばかりの喝采が聞こえてきた。

 俺の後ろには、先導役、楽士隊、女神や英雄の彫像を担いだ白服の男たちが続いた。

 水オルガンと角笛が、扇情的な音楽を奏でた。


 見習い剣闘士たちによる剣舞が終わると、いよいよ、俺と相手の睨み合いが始まる。


「──始め!」


 審判の号令に合わせ、俺は剣と盾を持ち上げた。


「・・・ぅらあッ!」

「っ!」


 ヤツは、猛烈な勢いで突っ込んできた。俺の盾を腕ごと粉砕すると、そのまま地面に叩きつけた。


「このっ……」

「・・・死ね」


 ヤツの目は、血に飢えた虎の眼だった。

 そして、俺は死期を悟った。



 ……馬鹿だなぁ、お前


 ……まだ、全然……客が暖まってねぇじゃねえかよ……おい、


 ……客はさ、血が見たいじゃねえよ……汗が見たいんだよ……


 ……強いヤツじゃなくてさ……上手いヤツが見たいんだよ……


 ……つまんねぇだろ、こんな試合……


 ……



「なぁ、……」

「・・・死ね」


 ヤツは、大剣を俺の心臓に突き込んだ。





















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