第6話 呼んで。呼ばれて。
三月に入ってからの帰宅時間は毎日22時を回っていた。
この数週間は家で何もする気が起きず、入浴後はすぐに寝床へ着いた。
あまりの忙しさに、体感したことがないスピードで一日が過ぎていく。
一ノ瀬主任が午後に手伝いに来てくれるものの、検体は容赦なく夕方になっても運ばれてきた。
ここのところ昼休みもロクに取れておらず、中庭でゆっくりする時間など取れていなかった。
(健診の時期は大変だと聞いていたが、こんなに忙しいなんて…でも、これも今回だけだろう…)
そう思いながら、この数週間を過ごしてきた。
そんな怒涛の日々を過ごすなか、今日は半休だったので午前中に仕事が終わった。
自転車で帰宅後にテレビを見ながら昼食をとる。ご飯を口に運んでいると…ふと、テレビの近くにある本に目が留まった。
(はぁ〜〜…そうだった…)
その本が図書館へ返却しなければならない物だと気付き、面倒だと思いながら、もう一度外へ出るために靴を履いた。
先程、ニュースの天気予報士が「昼間は四月中旬なみの暖かさで、桜の芽もだいぶ膨らむでしょう」と言っていた。
たしかに、外は羽織るものがいらないくらいの気温でまさに桜が咲きそうな陽気だった。
僕はその陽気に誘われて、久しぶりに散歩がてら徒歩で図書館へ向かうことにした。
途中の狭い一方通行の道に入ろうとすると、作業着を着たおじさんが立っていた。
「すみません、ココ…今、下水の工事で通行止めなんで…迂回お願いします」
おじさんはそう言うとヘルメットに手をかけて軽く会釈したので、僕も軽く会釈をして普段は通らない道へと歩みを進める。
(へぇ〜…ココ、案外昼間は静かなんだな…)
夜は人通りが多いと思っていた道が、昼間は閑散とした別の顔を見せることに驚きつつ、さらに歩みを進めて横断歩道へ行こうとした時、大きな声で自分を呼ぶ声がした。
「上里さ〜〜〜ん!!!」
僕は突然の事で驚き、キョロキョロと自分の周囲を見渡した。
すると、向かいの道路に大きく手を振る藍色のブレザー姿の女子高生がいた。
僕はその顔に身に覚えがなかったので、不審に思いながら渡る予定の横断歩道へ向かうが、赤信号になった。
横断歩道を挟んだ僕の前には、ニコニコしながら再度手を振る少女が立っていた。
青信号になり、横断歩道を渡ると途中から彼女が前からやってきた。
「上里さん、お久しぶりです!!」
そう話す彼女を僕は身に覚えがなかつた。
海馬をフル回転させようと目線を虚空に向ける。
「も、もしかして……覚えてな…ませんか?棚橋、…棚橋…楓……です」
そんな僕の様子を見て彼女は覚えていないことを悟ったのか、段々と先程の笑顔は萎んでいった。
僕は、慌てて正直に答えた。
「ご、ごめんね。君のこと…分からない。僕たち、…どこかで会ったかな?」
「三週間くらい前に…病院の中庭にあるベンチで…上里さんとお話ししました…」
買い物をしていたのか、彼女は黒いビニール袋を両手で抱き抱えたまま、目線は下を向いていた。
(三週間前……………)
……!⁉︎
あの後の怒涛の忙しさに忘れていたが、ようやく彼女と中庭のベンチで話をしていたことを思い出した。
「あぁ〜、あの時の第三高の子か!ごめんね、今、思い出したよ」
僕は彼女にそう伝えると、彼女は目を見開いて、胸に抱えたビニール袋を先程より強く抱きしめて言った。
「そうです!!第三高の棚橋です!!あぁぁぁ〜…思い出してもらえて良かったぁ〜あ、あの…今日は、平日ですけど…お仕事じゃないんですか?」
少し興奮気味な様子で彼女はさらに質問をしてきた。
「あぁ、今日は午前中で仕事は終わって、午後は休みなんだ、それで今から借りてた本を図書館へ返しに行こうとしてたんだよ」
「へぇ〜…そういう休みがあるんですね…あ、あの、私も図書館まで一緒に行っていいですか?」
彼女の言葉に少し驚いたが、特に問題もなかったので、僕は快諾した。
「あぁ、それは構わないけど…キミも図書館に用事?あっ、あと…前も言ったけど、別に敬語じゃなくても…良いから」
それを聞くと彼女は一度驚いた顔をしたが、すぐにニコッと笑って答えた。
「えへへ~、ありがとうございます。じゃあ、お言葉に甘えて、徐々にそうさせていただきます。……私も図書館に探し物があったんですよ…」
そう答えながら彼女は手に持っていた買い物袋を鞄に閉まった。
そして、僕は彼女の左手に立ち図書館へ向かった。
一緒に向かう事を了承したものの、道すがら、僕は今の女子高生と何を話して良いか分からなかったが、彼女の方から色々な質問をしてくれるので助かっていた。
「ねぇ、上里さん。なんで、最近あのベンチにいなかったの?」
「あぁ…あれから、健康診断の時期が始まって、なかなか、中庭に行く時間が取れなくて…」
それを聞いて、彼女は少しため息をついた。
「なぁ~んだ。めっちゃ心配して損したぁ~。私、上里さんに失礼なことしちゃって避けられてたのかと思ってたぁ~」
「???」
僕には彼女が言っている意味がよく分からなかった。
「よく分からないけど…キミのことを嫌いになる理由なんてないし、失礼なこともされてない」
僕は自分の思っていることを素直に話した。
「んふふ、そっか…それ聞いて安心しました。あの、上里さんっていくつなんですか?」
彼女は一度少しホッとしたような様子をした後、今度は別の質問をしてきた。
「僕は23だね。棚橋さんは?」
「23かぁ…私は先月で17になりました!2月25日!!上里さんの誕生日っていつですか?」
「17…⁉、わ、若いなぁ…、誕生日は1月25日だね。だから23になったばかりだよ」
「わぁ、私達…ちょうど一ヶ月違いなんですね!」
僕は改めて自分がとてつもなく若い女性と話していると再認識した。
「そうだね。誕生日は何か買ってもらったりしたの?」
「うん。私、音楽好きだから、新しいiPod 買ってもらいました」
自分が高校生の時に無かったスタイリッシュな物を持つ、今の高校生に僕は驚きを隠せなかった。
(まさか、この年でジェネレーションギャップを感じることになろうとは…)
「君達はもうiPod世代なのか…」
「上里さんはiPod持ってないの?」
彼女は不思議そうな顔をして僕を見た。
「普段、音楽聴かないから…音楽聴くなら大学で使ってたMDかな」
「MD!懐かしい〜」
そんな話していると、開けた場所が目の前に広がり、図書館へ辿り着いた。
すると突然、彼女は僕の前に立ち、手を合わせて少し言いづらそうに話し始めた。
「上里さん、あの…私の用事すぐ終わるんで、返却終わったら入口で待っててもらっても良いですか?」
「??…あぁ…別にいいけど」
特にこの後、用事もなかったので彼女の用事が終わるのを待つことにした。
「やった〜!じゃあ、すぐ戻りますんで…!」
そう言うと彼女は少し埃臭い館内へ一人で忙しなく入って行った。
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