第5話 Proof of Socrates
私は神様を信じない…。
神様は、余命少ない女子高生の淡い願いすら叶えてくれないらしい。
「何かが変わりそう!」そう思ったあの日の期待は粉々に砕け散っていた。
人生とはいうのはそんなに甘くはないらしい。
あの日から三週間ほど過ぎていた。
私はあれから病院へ二度行った。
その都度、色の剥げたあのベンチへ向かったが、上里さんに会うことはなかった。
(あの日まではこの朽ちたベンチに、もたれかかる彼の姿を見たのに…何故だろう…)
(ま、まさか…あの日、私は彼に何か…失礼なことをしてしまったのだろうか…)
(も、もしかして…生意気で図々しいヤツだと避けられているのだろうか…)
自分がぼんやりと期待していた展開と異なっている現実に、頭の中では無意識に不安が次々と生まれ、心は常にザワついていた。
病院から帰宅した後は、特に意味もなく携帯電話をパカパカと開けたり閉じたりして落ち着かなかった。
試験期間中だというのに私は不安と後悔の気持ちを抱えながらあの日のことを反芻して過ごした。
試験日の前夜にいたっては、いつもなら早めにベッドへ入るのに、人生で初めて徹夜を経験した。今思えば、これも貴重な経験だった気もする。
期末試験自体は徹夜の効果があったのか、なんとか赤点は回避できそうな出来であったが、期末試験が終わりクラスが春休みに浮足立つなか、私の身体にあるモヤモヤは未だに居座り続けた。
その後、昨日から期末試験の結果が返却されてきていた。
今のところ運よく、どの教科も可もなく不可もなく無難な点数が取れていた。
そして、今日は答案返却日の最終日だ。
前の時間の数ⅡBが終わって10分休みとなり、残すは世界史だけとなった。
クラスの皆は春休みがすぐ目の前に来ているということもあり、とてもテンションが高かった。
10分休みが始まると、マグマが噴き出すように各々の机から話声がし始める。
「明日から、春期講習やわ~。マジ、、ダルッ…!!」
「ねぇねぇ、昨日のハニカミ見た?きんに君、マジ、ヤバくない⁉」
男女ともに様々な話題が耳の中に入ってくる。
そんな中、私は自分の席から窓の外の景色を見ていた。
「楓~~。数ⅡB、いくつやった~?」
亜衣が少し落ち込んだ声をさせながら私の席に来た。
私は少し明るめの声で、亜衣の質問に答えた。
「私は74点やったよ。亜衣、もしかして…赤点?」
「それはないです!!」
亜衣は全力で手を左右に振った。
「てか、楓、結構高くな~い。なんでそんなにできとるん~?あんま勉強しとらんって言うとったや~ん。ウチ、48なんやけど…、私、常々思うのですが…ウチら…文系やし、数学とかあんま関係ないと思うんよね、うん」
亜衣は腕を組みをしながら力説した。
「まぁ…そうやけど、センターで必要なんやし…やるしかないやん?」
大学進学をする予定の亜衣に私は現実を叩きつけた。
「分かっとるって~~…あぁ~~…私立にしようかな?」
亜衣は天井を見ながらぼやき始めた。
「そういえば、楓はまだ決めてないの?」
ふと、亜衣は私に聞いた。
「うん。まだ考え中」
私は目線を机に向けて答えた。
「そっかぁ~…あっ、ねぇ…春休み、こないだ隣町の方に出来たっていう新しいカフェ行ってみない?あそこ…今月のセブンティーンにも載っとったんやって」
「へぇ~…そうなんや。ええけど…亜衣、部活大変なんやない?」
「まぁ、大変やけど…休みの日とかは一応あるし、その日が分かったらメールする」
「りょーかい」
春休みの私の予定が一つできた。
「なんか、最近…楓、外見てること多い気ぃするけど…なんかあった?」
「えっ⁉…いや、特にはないよ…大丈夫…ダイジョウブ」
鋭い亜衣の質問にビックリしたが、このモヤモヤについては…話さなかった。
「まぁ、本当に辛くなったら相談してよね…」
「うん…、ありがと、亜衣」
「いえいえ、そうそう、そういえば、知佳が雄介君にブラックメール送ったらしいよ~」
「えぇ~…それ、本気になったらヤバくない!?」
―キーンコーンカーンコーン、キーンコーンカーンコーン…
「あっ、ヤバッ!!じゃあ、部活終わったらメールするね」
「うん、部活がんば~」
ガラっと扉が開いてガタイの良い亮ちゃん先生が入ってきた。
「お~い、座れ~!!テスト返すぞ~!!、名前呼ばれたヤツ取りに来~い。安藤…」
次々と名前が呼ばれ、返却された結果を見て皆、様々なリアクションをとる。
「次…棚橋!」
「はい!」
名前を呼ばれて答案を受け取るとそこには84点と書いていた。
まずまずの出来にホッとして席に着く。
最後の答案を返却した後、先生が大きな声で言った。
「テストの結果は以上だ。赤点だったヤツは補講な。さて……これで、お前たちは4月からとうとう、高校最後の1年間を迎えることになる。そんなお前たちに担任として…先生から素敵な高校最後の一年になるようにアドバイスだ」
いつになく真剣な表情で話す亮ちゃん先生に教室が静かになる。
「さて…授業でやったソクラテスという人を覚えているか?実は、彼は本当に存在していたか、そして彼が本当はどのような人物であったのか我々は知りえないんだ。なぜなら、彼は彼自身の言葉で書物を残していないからだ。では、何故…歴史に彼の名前が出てくるのか?それは弟子のプラトンやクセノフォンが彼に関する記述を残していたからだ。我々が知るソクラテスは彼らが残した記述で出来た人物像なわけで、存在していたかも疑わしい。もしかしたら、彼らが自分の主張のために作り出した人物なのかも知れない。実際にプラトンとクセノフォンのソクラテスの人物像は違うんだ」
一呼吸置いて、先生は続けた。
「つまり、本当の自分という存在は自分でしか残せないんだ。ヒトは他人を理解しようとする時に様々な要素で判断しようとする。外見、偏見、噂…だから、誤解が生まれやすい。そして…来年の今日には、お前たちはそれぞれ別の道へと進むことになる。…好きな人がいるヤツ!!もうあまり猶予はないぞ!…嫌いな人がいるヤツ!!ソイツの本当の部分が見えてないだけかもしれないぞ!本音で喧嘩して、全力で恋をして本当の自分を知ってもらえ!泣いても笑ってもこれが高校最後の一年間だ!!悔いのないよう最高の青春をするように!!」
「以上、二年A組、最後の授業だ!皆、一年間ありがとう」
亮ちゃん先生は生徒に向かってお辞儀をした。
すると、教室には拍手が沸き起こり、何かを叫んだり、泣いたりしている子たちがいた。
―自分でしか残せない…
亮ちゃん先生のその言葉が胸に突き刺さった。
その日の帰り道、私は文具店へ足が向かっていた。
文具店へ行くためにいつもとは逆の方向の道を行く。
そして、文具店で目当てのものを買い、扉を開けた時に―奇跡が起こった。
向かいの歩道に何度も頭に浮かんでいた顔を見つけたのだ。
(前言撤回、神様はいるかもしれない…)
私は無意識に大声で彼の名前を呼んでいた。
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