第4話 Anniversary
鼻の頭に冷たい風が突き刺さる。
呼吸をする度に乾いた風のにおいがした。
オレンジと青が頭の上で色づくなか、私はハンドルを強く握り前を見る。
繰舟橋から見える山々が夕陽の光で着飾り、いつもより煌びやかに見えた。
はぁ…はぁ…はぁ…
重いペダルと戦いながら冬の空気を割いて進む。
自分の心臓が強く脈を打っていることが分かる。
(これは自転車をこいでいるから?)
(さっき上里さんと話をしたから?)
そのどちらなのか、私には分からない。
ただ、今のこの軽やか気持ちの理由は…分かっている。
この解放感と期待が混ざり合う感覚は初めてだった。
私は今日、「人が見る景色はその人の気持ちの変化で変わるものだ」ということを知った。
それは自分の命が長くはないと知った時でさえ、知りえなかったことだった。
私はあの日、後悔するくらいなら自分の気持ちの思うまま行動しようと決めた。
それがどういう結果になったとしても…私は、私の時間が許される限り、多くのことを経験し、感じたい。
「生きている」ということを。
そう思うと不思議と何でもできる気がした。
そして、その大きな一歩を、、、私は今日、踏み出した。
この一歩が、これからどういうことになっていくのかは私自身にも分からない。
(これから何か起きるのかな…)
橋を渡り、壊れた電柱の灯りの下で青信号になるのを待つ。
向かいにある信号機の上には、三日前に降った雪が未だ解けることなく残っていた。
横断歩道の向かいの歩道に、エナメルバックを肩に掛けながらふざけ合う学ラン姿の男子高校生がいた。
横断歩道を渡り、その男子高校生を追い越して黄土色の田んぼ道を走り抜ける。
その先にある小高い丘を横切り、小学校を抜けてようやく自宅にたどり着いた。
自転車を置いて、鍵を取り出して玄関を開ける。
「ただいま~」
「あっ、お姉ちゃん!おかえりなさ~い」
予想外の声がしてリビングへ向かうと、テレビを点けたままソファーの背にもたれて携帯電話をいじる妹がいた。
「…あれ?由衣、あんた…今日、部活やなかった?」
「え~、お姉ちゃん!!朝ご飯の時言うたよ…、こっちも試験近いで、多分、由衣の方が先に家におるよって」
目線は携帯電話にやりつつ由衣が教えてくれた。
学校の鞄から弁当箱を取り出して、台所のスポンジに洗剤を垂らして泡立てる。
「そうやっけ~?…ねぇ~、お母さんは~?」
「お姉ちゃん、何も憶えとらんの?朝、言っとったって~…遅くなるってさっきメール来とったし。お姉ちゃんには来てとらんの?」
「私、自転車乗っとったから…携帯見れんかったんよね~」
「あぁ、そやね~、携帯…見てみたら?」
スカートのポケットから携帯電話を開くと画面に「新着メール1件受信」とメッセージが出ていた。
メールを開くと母から「遅くなります」と書いてあった。
突然、少し大きめな声がリビングから聞こえてきた。
「あぁ~、この炊飯器、お母さんが買うって言っとったヤツ~」
由衣は携帯電話を片手にテレビのCMに見入っていた。
「へぇ~どんなん?」
濡れた手をタオルで拭いてリビングへ向かうと、テレビにはNationalの炊飯器が映し出されていた。
「お母さんが、やっぱりNationalの炊飯器の方がええって。多分、今日はこれ買ってくるよ。きっと…」
「何か…高そうやね…」
「でも、ご飯が美味しくなるかもしれんよ?」
由衣がニヤついた顔でこちらを向いた。
すると、急に由衣が聞きづらそうな仕草をしながら口を開いた。
「お姉ちゃん、検査…どうやった?」
私は妹に余計な気を使わせないよう淡々と答えた。
「特に問題なかったよ、採血とかするだけやし、もう何回もやっとるからね…」
それを聞くと由衣は少し俯いて「そっか……」と呟いた。
その後、またすぐに携帯電話を開いて画面を見た。
「ねぇ、何をそんなに真剣に見とるん?」
由衣が食い入るように画面を見ているので聞いてみた。
「mixi見とる」
「mi…xi?」
(ん~…聞いたことがあるような…)
私が首を少し傾げて思い出すそうとしていると由衣が茶化すように言い放った。
「えぇ~お姉ちゃんの高校で流行っとらんの?遅れとるね」
(あぁ…!昨日、亜衣がやろうって言ってきたヤツか…)
「あぁ…聞いたことは…ある。多分、ウチの学校でも流行っとるんやない?亜衣に昨日、一緒にやろうって言われたし…由衣、あんた、それ…やっとるん?」
流行りもの好きな妹なのでやっているとは思いつつも一応、尋ねてみた。
「今日からやっとるんやけど、楽しいよ!うちの友達もやっとるし、お姉ちゃんもやろうよ!!」
そう言って由衣は期待の眼差しを私に向けた。
「う~ん。考えとく。…なんか、ずっと携帯見とるからパケ代ヤバそうやし…」
私が嫌そうに答えると由衣は私の袖を掴んで不満を漏らした。
「えぇ~…お姉ちゃんも一緒にやろうって~」
「はいはい、考えとく!私、自転車で汗かいたから、お風呂入るけど…ええよね」
由衣は私がやらなそうだと感じたのか、「ほ~い、ど~ぞ」と言ってすぐに袖を離して手を振って風呂場へ送り出した。
お風呂から上がってから暫くすると、母が例のNationalの炊飯器を片手に帰ってきた。
その後、新しい炊飯器でお米を炊いたわけだが…美味しかった?と思う。母や由衣は「やっぱ高い炊飯器は違うわ~」とご満悦の様子だった。
私は夕食後、すぐに自分の部屋へ戻った。
勉強中に邪魔になる携帯電話の電源を切り、期末試験の勉強をした。
―…気づくと23時を回っていた。
明日も学校があるため、部屋の電気を消してベッドへ入った。
(何か、普段より寝つきが良い気がする…)
そう思ったのも、つかの間、私は暖かい布団に包まれて瞬く間に暗闇へ落ちていった。
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