第二話 伝説の暗殺者
月の光がほとんど差し込まない深夜の森。先の見えない闇の中、僕は失意に暮れながらとぼとぼと歩いていた。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。昨日まであんなに皆と仲がよかったのに。いや、あれはきっと偽りの関係だったのだ。いつからかはわからないが、時が来ればいずれ自分を追い出そうと考えていたに違いない。
何度も自分の立場を呪った。
だが、それももう変えることはできない。自分は一生この十字架を背負って生きていくしかないのだ。これから一体どうするべきか。故郷に帰ったところで、村人たちに惨めに笑われるだけだ。第一この身分ではなんの仕事にも就くことができない。冒険者ギルドにでも行って、一人で地道に稼いでいくしかないのか。先行きの見えないことを延々と考えていた時だった。
不意に、ガサガサッという音が近くから聞こえてくる。
そちらに目をやると、一匹の狼が草むらから出てくるところだった。
「グルルル……」
いかにも敵意をむき出しにし、低い唸り声で威嚇してくる。
こいつは《フェンリル》と呼ばれる下位モンスターだ。この近辺に生息するモンスターで、群れで行動を取る習性がある。
すると、周囲の茂みからぞろぞろと狼たちが湧き出てくる。どうやらここは彼らの縄張りだったらしい。
僕は鬱陶しく狼たちを睨みつける。
「……僕は今機嫌が悪いんだ。かかってくるなら容赦はしないぞ」
そう言った瞬間、狼たちが一斉に襲いかかってくる。
僕は魔力を解放し、両腰の鞘から二本のダガーを抜きざまに二閃。殺到してきた狼たちを鮮やかに切り裂く。
続けて背後に回り込んでいた狼の一匹が飛びかかってくるが、僕は素早く《
さらに《
残った狼たちは思わず怯むが、恐怖よりも血が勝ったように次々と殺到してくる。僕は《暗影》のスキルで自分の影から黒い鋭利なトゲを突き出し、狼たちを一方的に串刺しにする。寝静まった深夜の森に、奴らの断末魔の鳴き声がこだまする。
気づけば、狼たちの亡き骸が辺り一面に積み重なっていた。
僕は両の剣を払い、鞘に収める。ずいぶんと派手にやってしまった。よほど鬱憤が溜まっていたのだろうか。
沈鬱な気分で再び歩き出そうとしたところで、ふとあることに気づく。
何か音が聞こえるのだ。ずるずると地面に擦るような。耳を澄ますと、それは徐々に大きくなり、こちらに近づいてくるのがはっきりわかる。
すると、正面の木々の暗闇に二つの赤い眼光が浮かび上がる。ゆっくりと闇の中から体が滲み出てくると、その正体を現す。
「なっ……」
現れたのは、なんと巨大な蛇だった。大きな赤い眼、ぬらりとした体表に黒く縁取りされた黄土色の網目模様がある。
だが、問題なのはその大きさだ。顔の横幅は一メートルほどあり、大の大人を簡単に丸呑みできそうなぐらい大きい。丸太のように太い胴体は森の奥に向かってどこまでも伸びており、全長はもはや想像がつかない。
まさに蛇に睨まれた蛙というべきか。大蛇はじっとこちらの様子を窺っているが、僕は足が地面に食い込んだように動くことができない。
どうにかパニックに陥らないようにしながら、冷静に《解析》のスキルを使用。これは相手のステータスを看破する魔法だ。レベル差があればあるほど成功する確率は低くなるが、幸い今回は上手くいったようだ。大蛇のステータスが、目の前に表示される。
◆――――――――――――――――◆
固有名 イービルバイパー
LV34
HP/2245 MP/2173
体力 2392
魔力 2214
攻撃力 2188
防御力 2056
敏捷性 1171
耐性 土
弱点 火
◆――――――――――――――――◆
その常軌を逸した数値の羅列に、僕は絶句する。
ここまで高レベルのモンスターは今までに見たことがない。そもそもこの地域は比較的低レベルのモンスターの生息地で、こんな飛び抜けたレベルのモンスターは出ないはずだ。どこかから紛れ込んだのか突然変異で生まれたのか理由はわからないが、いくらなんでもさすがにこれはヤバすぎる。このレベルでは、たとえルシウスたちがいてもまず勝てないだろう。
ひとまず逃げないと。だが、やはり思うように足が動かない。
「シャアアアアアアアアアアッ!!」
こちらの思考を読み取ったように、大蛇が牙を剥いて襲いかかってくる。
僕は咄嗟に横っ跳びし、奴の噛みつきを回避。背後に佇んでいた大木の幹が、恐ろしいほど簡単に丸かじりにされる。
僕は足がもつれそうになりながら体を叱咤し、全力疾走で逃げる。大蛇はこちらを振り向くと、地面を這って物凄い速度で追いかけてくる。
「なんで僕だけこんな目に遭うんだ!!」
誰に言うでもなく叫ぶ。
僕は絶対に転倒することだけは避けながら、暗い森の中を死に物狂いで走る。
ふと、あることが脳裏をよぎる。ついさっきまで死にたいと思ってたのに、なんで僕は逃げてるんだ。これだけドン底に突き落とされても、まだ心のどこかで生きたいと思っているのか?
「くそっ!!」
《暗影》のスキルを使用し、大蛇に向かって自分の影を伸ばす。そこから刃物のように鋭利な影を突き出して奴の巨体に当てるが、まるで意味を成さずに虚しく消滅する。これでは足止めにもならない。
それでも僕は決して諦めない。少しでも足止めしようと木立を縫うように複雑に蛇行し、さらに高低差のある地形を登り下りしてどうにか振り切ろうとする。
だが、大蛇は一度狙った獲物は絶対に逃さんとばかりに、どこまでも執拗に追いかけてくる。互いの速度は絶望的なまでに明白で、大蛇との距離は確実に縮まってくる。
くそ……。ここまでなのか。仲間に裏切られた挙げ句、誰もいない場所で一人喰われて。ちくしょう。いやだ。こんなところでまだ死にたくない。
しかし自分の気持ちなど関係なく、大蛇は大きく口を開くと、こちらに向かって無慈悲に首を伸ばしてくる。
「うわあ!?」
不意に、足下の地面が消失すると、僕は浮遊感とともに勢いよく落下する。
ずるずると急な斜面を滑り落ち、強かにお尻をぶつけてようやく停止する。
「いててて……」
僕は尻をさする。ケツが半分に割れたかと思うほど痛い。いや、もう割れてるか。
冷静につっこみを入れて頭上を見ると、ずいぶんと下まで落ちていた。高さは三メートルほどだろうか。どうやら地面に空いた穴に落ちたらしく、自然にできた洞穴か何かの巣穴のようだ。幸いにも、動物は棲んでいないようで助かった。
不意に、外からずるずると音が聞こえてくる。
穴の中が急に暗くなると、大蛇がのろのろとした動きで穴の上を通り過ぎていく。僕は気づかれないよう、必死に息を殺す。ここでバレれば確実に喰われてしまう。祈るように手を組みながら、ただ時が過ぎるのを待つ。
やがて足音が遠くに消えると、僕は緊張の糸が切れてひとまず安堵する。
だが、もしかしたらまだ近くにいるかもしれない。それに森の中は暗闇で視界が悪いし、ここは朝になるまで待ったほうがいいだろう。
それにしても、この空間はずいぶんと暖かい。ある程度の深さになると、地中の温度は一年の平均気温とほとんど同じになると聞いたことがある。まだ冬が終わったばかりということもあり、この暖かさはとてもありがたい。これならどうにか一晩過ごせそうだ。
じっとしていると、だんだんと眠気が襲ってくる。さっきまで失神して眠っていたが、疲れまではちゃんと取れていなかったようだ。だから目をつむると、いつの間にか深い夢の中へと落ちていた。
◆ ◆ ◆
古い城の大広間。無惨な姿に成り果てた異形たちの亡き骸が、そこらじゅうにいくつも死屍累々と積み重なっている。
今、二人の豪傑たちが、凄絶なる死闘を繰り広げていた。
一方は、闇を集めたような漆黒のフードを全身にまとい、顔に純白の仮面をかぶった中肉中背の男。もう一方は、頭に二本のねじれた漆黒の角を生やし、黒い皮膚の筋骨隆々とした肉体に、二本の剣を交差させた金の刺繍のマントをつけた大男。
先に動いたのは大男のほうだ。巨体にもかかわらず爆発的な勢いで飛び出すと、仮面の男に向かって巨剣を振り下ろす。剣が床に直撃し、轟音と衝撃波とともにクレーターのような大きな穴を穿つ。
だが、仮面の男はすでに横っ跳びに回避していると、大男の周りの床に影の刃を展開させている。大男は素早く空中に跳躍し、全方位から突き出された刃を回避。仮面の男は一瞬で大男の背後に回り込んでいると、両手のダガーを高速で振り下ろす。大男はそれに反応し、振り向きざまに大剣を薙ぎ払う。
ガァン!! という鈍い金属音。剣と剣が激しくかち合い、双方ともに大きく弾き飛ばされる。互いに空中で距離を取ると、仮面の男は視認できない速度で虚空に双剣を走らせる。幾百もの斬撃によって無数の鴉たちが生み出され、大男に向かって一斉に飛んでいく。
対し、大男は左の掌をかざすと、そこから禍々しい闇の光線を撃ち出す。凄まじい熱量の光線に鴉たちが一掃され、そのままこちらに飛んでくる。仮面の男は柔軟に身をひねって回避。しかし、今度は大男が彼の背後に回り込んでいると、両手で巨剣を勢いよく振り下ろす。
仮面の男は振り向きざまに咄嗟に影の障壁を展開して剣を受け止めるが、完全に威力を殺すことができず、体ごと弾き飛ばされる。それでもどうにか上手く床に着地し、体勢を立て直す。
大男も床に着地すると、肩で息をしながら本音を漏らす。
『よもやたった一人で四天王たちを倒し、世界最強の魔王であるこのベルザーク様とここまで対等に渡り合えるとは……。最初は単独で勇者がこの魔王城に乗り込んできたかと思ったが、その陰湿な技を見る限りどうやらそうではないらしい……。一体何者かは知らんが、その実力と自信だけは認めてやろう……。だが、相手が悪かったな……。この奥の手の第二形態の前では誰であろうと膝を屈する! 貴様にもはや勝つ手段はない!』
自信過剰なその台詞に、しかし仮面の男はあっさりと認めた。
『確かに強いな。さすがは世界の頂点に君臨する魔王だけのことはある。この程度のレベルではやはり通用しないか。だが、一つ勘違いをしてるな』
おもむろに立ち上がり双剣を鞘に収めると、仮面に片手を当てて告げた。
『奥の手を隠しているのが貴様だけだと思うな。――暗殺者とは、常に裏の自分を隠しているものだ』
空中に指を走らせてステータス窓を開き、慣れた手つきで操作。
次の瞬間、彼の全身からさらに大量の青い魔力が溢れ出る。
ベルザークは面食らったように声を上げる。
『ば、ばかな!! さらに魔力を増やしただと!? 一体どういうことだ!?』
仮面の男はさして勿体振ることなく答えた。
『なに、
◆――――――――――――――――◆
LV155
HP/23975 MP/22564
体力 22896
魔力 22782
攻撃力 24231
防御力 23927
敏捷性 24594
耐性 闇
弱点 光
◆――――――――――――――――◆
その桁外れの数値を見たベルザークは、理解できないように声を荒げた。
『《限界突破》してるだと!? 上限レベル99の壁を超えられる人間など見たこともないぞ!! は、ハッタリに決まっている!! 一人の人間にステータスが二つも存在するなど有り得ない!!』
それに対し、仮面の男は煽り立てるように言った。
『試してみるか?』
その挑発に、ベルザークはさっと左の掌をかざす。
『だったら望み通り死ねぇえええええええ!!』
次の瞬間、掌からおぞましい威力を内包した漆黒の波動が放たれる。
だが、仮面の男はその場から一歩も動こうとはしない。床に映った自分の影から分厚い壁を出現させ、闇の波動を真っ向から受け止める。
途端、深淵が闇を吸い込むかの如く綺麗に消滅する。
『なっ……』
ベルザークは何が起こったのかというような顔で口を開けている。
仮面の男は余裕綽々の態度で言った。
『俺の《暗影》のスキルは闇属性でな。お前の闇属性の魔法とは相性がいい』
その言葉に、ベルザークはいよいよ我慢ならないように激昂した。
『く、クソがああああああああああッ!!』
全身から紫色の魔力を放出すると、無数の小さな光線を頭上に向かって放つ。細い光線は空中で鋭角に弧を描き、仮面の男に猛然と殺到する。
男は床を踏み砕く勢いで蹴り、ベルザークに向かって突っ込む。おびただしい量の光線が男に目がけて殺到するが、彼は目にも留まらぬ速さでそれらを掻いくぐっていく。時折避けきれない範囲で光線が降り注ぐが、《暗影》のスキルで影の障壁を全方位に展開させ、立て続けに攻撃を防ぐ。
とうとう仮面の男は自分の攻撃が届く間合いに入ると、右手の中から細い影を伸長させるように一振りの黒剣を生成する。
焦りを見せたベルザークは両手で巨剣を構え、彼に向かって全力で横薙ぎに払う。だが、仮面の男は神がかり的な反応速度でしゃがみ、紙一重で剣を回避。ベルザークの懐に潜り込むと、奴の左胸――心臓に向かって剣を突き込む。
『はあーッ!!』
その瞬間、右手に確かな手応えが返ってくる。
影の剣は、ベルザークの心臓を見事に貫いていた。
『かはっ……!』
直後、ベルザークは黒い血を吐き出す。
自分の体に突き刺さった剣を見つめ、信じがたいように問うた。
『まさかこれほどの強さとは……。貴様は一体……何者だ……?』
それに対し、仮面の男はどこかきまりが悪そうに言った。
『フッ、普段は名乗ることはしないんだが……いいだろう。今日は特別な日だ。冥土の土産に教えてやる。俺の名はアウラ=ヴァンピール。世界を裏から変える孤高の暗殺者だ』
そう告げると、勢いよく剣を引き抜く。ベルザークは糸が切れた人形のように膝を崩し、前のめりに倒れる。
アウラは手の中から剣を消す。すでに動かなくなった屍を見下ろし、素っ気ない口調で言った。
『これでようやく世界は救われた、か。案外呆気なかったな。己の使命を忘れ、遊びにかまけた勇者など最初から必要なかったというわけだ』
そう言い捨てると、颯爽とローブの裾を翻して大広間から去っていく。
そこで突然視界が真っ白な光に塗り潰され、夢は途切れた。
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