第四章 没落の光(3)

【三】


「陣さん!」


 ポタポタと北条の血液が垂れるナイフを持ち、陣は次々に近付いて来るプレイヤー達を見ていた。恋愛子を皮切りに、「俺ちゃんびびったんだけど!」「そそそそうよぉ!」と、立浪、根野は驚きの表情を隠さない。


「衣鈴」


 けれど陣が見ていたのは、その誰でもなく、離れて立っていた井口衣鈴の方だった。


「なんです?」


 か弱い彼女が、こちらを睨んでいる。威嚇というより、本心を曝け出さないよう努めて隠していると感じた。


「オレはお前に、人は変われると言った。訂正したい」

「訂正……?」

「変わる人間も確かにいる。だが、そこには見極める力が必要だったんだ。オレはそれをしくじった……だからこいつみたいな男を、野放しにしちまった」

「だから陣さんが殺した……と?」

「ああ」


 陣は“絶対服従”のせいで動けなくなってから、思い続けていた。自分の行動は、本当に正しいのか、と。誰も彼も生きていて欲しい。だから誰も殺させないし、万が一があっても蘇生させる。それで良いと思っていた。


 でもそれは、単なる思考停止ではないのか。犯罪者を裁くといっても、被害者が受けたものと同じ被害を受けさせるわけじゃない。犯罪者にも人権があるとかなんとか、裁判をして少し豚箱に入れて、はい更正しましたと、更正したフリをした犯罪者を野放しにする。一部の人間は再犯で捕まるが、またしばらくしたら出てくるだろう。そして繰り返す。平等でいいはずがないというより、平等に扱ってはいけない人種がいることを認めねばならないのだ。


 それが北条穂久斗には当てはまる。だから陣は、奴を殺すと決めたのだ。誰も死なせないと声高らかに語っていた、陣自身がやると決断した。最大多数の最大幸福。実に理に叶った考えではないか。


「……そうですか」


 納得したような台詞を吐く衣鈴が、どこか悲しげに見えたのは気のせいか。


「あああたし達、そんなことを聞きたいんじゃないわよぉ! あなたはきょ、今日、“マーダータイム開始時にロビーにいなければ失格”というルールで、蘇生不可能な死を迎えたはずよねぇ!?」

「それはクゥが説明してしんぜよう!」


 久龍が挙手をし、どもりながら質問した根野を見た。腰に反対の手を当て胸を張る。


「そこの少年は、“絶対服従”を解除しているのさっ」

「どうやってだYO! “能力無効化”なら可能だが、俺ちゃん知ってんぞ! あれはマーダータイムにしか使えんわ! でも城嶋に“絶対服従”をかけたのはマーダータイム終了直前だったから無効化する暇なんてないぜ!」


 次いで立浪が畳み掛けるも、久龍の態度は飄々としたまま変わらない。


「ちょっと前に明らかになったっしょ。死んだら能力は消えるって」

「そそそれは知っているわよ! でもその時と違って今回……」

「“絶対服従”の恋愛子ちゃんは死んではいないから能力が消えるはずないっちゅーの!」


 久龍の言わんとしていることを察するつもりがない根野と立浪は、久龍に益々詰め寄った。


「死んだのは、外ハネ金髪の少女じゃなく、そこの少年だよ。クゥが殺した。だから今朝まで少年があそこから動かなかったのはフリ。能力をかけられたままだ、っていうねー」


 久龍はあっけらかんと言ったものだった。


 陣は、久龍に依頼をしていた。自分を殺せ、と。どんな依頼だって請け負う久龍なら聞いてくれると思ったからだ。依頼料は、陣が北条殺しで獲得する賞金を、久龍に渡すことである。


「まずクゥは、“能力拝借”能力者だ! そこの少年に“能力把握”を持っているのはタブレットのお姉さんだと聞いていたから、それを拝借して全員の能力を知っています! そして“自己再生”を拝借した上で、少年を殺した。すると、マーダータイム外の殺しだからルール違反でクゥが死に、逆に少年は生き返るさね。でも間違いなく、一瞬でも少年は死んだのだからかかっていた“絶対服従”は解除される。クゥの方は、ルール違反とはいえ“失格”ではなく“死”とルールに記載された行動だったから、“自己再生”で生き返るってわけだ!」


 指定時間以外の殺しは失格とはルールに書かれていない。あくまで、死。蘇生が可能なのだ。失格となるのは、マーダータイムに参加しなかった時と館から出た時だけなのである。


 こうしたルールの書き分けは、恐らくこういった策や抜け道を作るために意図的に行われたに違いない。陣は、北条が取った策を逆手に取り、北条を殺すことに成功したのだ。


「で、でもぉ! 今日のマーダータイムが開始した直後、陣くんはこのロビーにいなかったわよねぇ!? ほ、本来その瞬間に亡くなるはずが、少し経ってから陣くんはロビーに入ってきたわよ! 結局マーダータイム開始段階にはここにいなかったじゃないのぉ!」


 次ぐ根野の質問には、「それはアタシから」と益若が前に出る。


「これまで全員、アタシのタブレットのアラームを目安にしていただろ。けど、いつか今日みたいなことをしようって思っていたのサ」

「きょ、今日みたいなこと、って何よぉ!」


「アラームをズラした。一分だけね。アタシのAIアプリがしゃべったのは、十一時五十九分だった。だからあの瞬間ロビーにいなくても、その後一分以内にいればいい。ついでに、蘭光恋愛子は二度、“絶対服従”発動文句を言った。一度目は北条しか聞こえてないだろうけどサ。でも一度目に能力発動宣言した時は、マーダータイム開始前だから、何を言おうがそもそも発動出来ない。よって、アタシら全員が聞いた二回目……全ての攻撃を受けろ、という命令が実行されたというわけサ」


「そ、そういうこと……」


 答えを聞いてなお驚いた表情をしたままの根野だが、一応は納得したらしい。


「なあ恋愛子。なぜ“絶対服従”で北条に自殺を命じなかったんだ? 結果的にはオレが刺そうが奴が自殺しようが同じだとはいえ」


 少しの沈黙を突いて、今度は陣が、恋愛子に問うた。


「いやいやその前に、まだ俺ちゃん理解していないことがあるんだけど!?」


 割って入ったのは立浪だった。背後に控えている根野も同じような想いらしい。この二人は数多の疑問を抱え、何から質問すべきか混乱しているのだろう。


「そそそ、そんな質問が出るってことは、陣くんは恋愛子さんが北条さんを裏切ること、わ、分かっていたってことよねぇ……!?」


 出てきたのは、もっともな疑問だった。


「俺が奴の本性を知らしめたからだ」


 黒く長いコートをマントのごとく扱いつつ、今度は翼が解説役を務めるらしい。


「俺はこの洋館中にカメラをしかけている。そして北条は、陣に引導を渡すにあたり、口にしてしまった。自分は蘭光恋愛子を陥れようとしていることをな。あれは奴の油断だろう。“霊媒師”たる陣にしか分からない真実だったのに。その様子を録画したものを恋愛子に見せ、恋愛子はこれまでの陣の訴えを振り返れば……」


「それはもう、陣さんの言っていたことが真実だと信じるしかありませんわ! ……認めたくありませんでしたが……!」


 締めたのは恋愛子である。「今でも完全には認められていないあたくし様もいますが……」と呟きつつ、でも疑問は晴れましたねと立浪と根野に視線を向けてから、陣を見ていた。


「陣さんの、なぜあたく様が北条を“絶対服従”で殺さなかったのか、という疑問。あたくし様はあなたに蘇生していただいた時、あなたの魂を見ているからですわ」

「俺の?」

「あなたは死を強く恐れているようでしたので、いっそのこと、ご自身の手でそれを成してみたらどうかと思ったんですの。荒療治、ですわね。……もっともあたくし様に、北条をこの手で殺すことに躊躇いがあったことは否定しませんわ」


 陣は、一度目に北条を倒すにあたり殺した、恋愛子を蘇生している。恋愛子を説得する前に、自分の魂を見せておけば説得力が増すと思ったからだ。でも、今それを持ち出してくるとは思っていなかった。


「俺の、魂……」


 自分の魂。母親から、「人は変われる」という教えを受け、最後の最後までそれを曲げなかった彼女への想い。だから陣は、この館で行動し続けていた。


「陣さん?」


 恋愛子が下から覗き込んでくるが、そちらを見ることが出来ない。恋愛子は荒療治と言ったが、こちらのことを考えてくれたための行動らしく、嬉しくも感じていた。でも、そんな恋愛子でさえ直視出来なかった。


 陣は、自らの魂を自分で見ている心地になる。自分の目の前で、家族が死んだ。生き残った母親は、加害者の親によって踏みにじられて、死んでいった。母の笑顔が、闇に飲まれていく。これは加害者達のせいか。全く反省を見せなかった奴らが、母親を遠い場所へと追いやっているのか。


 いや、違う。これは、違う。母親を遠くしているのは、陣自身ではないか。母親は陣に何と言った? 「人は変われる、信じて」と。相手にどれだけ罵られたって信じ続けた。果たして母の葬式には、父親を殴りつけて連れてきたという加害者が、頭を下げたではないか。


 それなのに。いったい陣は、今、何をした?


「……っ」


 陣は殺した。北条を悪だと決め付け、殺してしまった。あれだけ拒んだ死を、自ら作り出していたのだ。それは母親への冒涜ではないか!


 それに気付いた時、これまで堪え続けていた吐き気に、ついに負けていた。


「陣さん!?」


 咄嗟に恋愛子が、ハンカチを陣に差し出して口元を拭ってくれる。吐しゃ物に沈み込んでいくかのようにうずくまると、意図せずとも後退していく他のプレイヤー達。けれど恋愛子だけは「大丈夫ですの!?」と声をかけ、変わらずそこにいて、背中をさすってくれている。


 こんな、蘭光恋愛子なら。ふと、そんな言葉が浮かんだ。これに続くのは、いったいなんだ。闇に包まれていった母親を、手探りするようにもがいている気分だ。この続きが、唯一の光を失いかけた自分を、取り戻すことに繋がるのではないか。いや、そうに違いない。


「恋愛子!」

「は、はい!」


 存外、力強くその名を呼べた。虚を突かれたらしい恋愛子は、手を止めていた。


「今のオレが言うんじゃ、まったく説得力がないが……」


 大きく息を吸う。


「北条を……北条穂久斗を許してくれねーか!?」


 恋愛子の肩を掴んでいた。


「オレはこの館を、最初は復讐の館だと思っていた。だがこうあって欲しいと思っている。ここは“許しの館”だと! だっておかしいじゃねーか! 復讐を助長するように復讐カードなんてもんがあんのに、そのくせ蘇生出来るなんて! だからオレはこう考える。ここは復讐を果たしても良いが、その後許す意味で相手を蘇生し、これからを共に生きるための場所だ、ってな!」


 以前衣鈴にもした主張を、恋愛子にもする。


そうだ、「こんな蘭光恋愛子なら」という言葉に続くは、恋愛子なら陣の想いを理解してくれるはずだ! に違いない。恋愛子が陣を受け入れてくれれば、陣はまた、自分を取り戻すことが出来るはずなのだ。


 だが動いたのは恋愛子ではなく、益若だった。


「ちょ、ちょっと待ちなよ! それは何かい? 陣はまた北条を野放しにすると!?」

「当然、拘束する。もう野放しにはしない」

「どういう訳か抜け出してきたから、アンタは死にそうになったんじゃないのサ!」

「それについては考えるがある」


 部屋に拘束され、自ら動くことの出来なくなったはずの北条らは、まんまと陣を殺しかけている。だが陣にとって、それは大きな問題ではなかった。だから言うが早いか、また陣は、ロープで北条を縛り上げていく。


「そそそ、そんなことをするなら、あたしがあなたを殺すわよぉ!?」

「構わん。オレはオレを曲げることの方が、死ぬことより苦痛だと気付いた」


 根野の迫力がない言葉など、響かなかった。いや、根野だからというわけではない。


「……なんて矛盾した言動ですの」


 唯一寄り添うようにしてくれていた恋愛子は、ふぅと溜息を吐いて、呆れましたと隠しもしない。


「分かりましたわ」


 けれど。


「リヴァイバル」


 アイマスクをさせ、口にガムテープを張られ、拘束が完了した北条に向けて、その言葉を告げた。


「……許すとか許さないとか、正しいとか正しくないとか、そういうことじゃありませんわ。確かに北条は、あたくし様を狙おうとしていた。でも、あたくし様がこれまで北条に助けられてきたことも事実ですもの。だから、せめてものお返しに」


 笑顔も怒りもなく、毅然した表情の恋愛子がそこにいる。恋愛子の言う通り、この行動が正しいかは陣にだって分からない。表立って反発したのは益若と根野だけだが、北条の復活なんて誰も望んでいないだろう。だが陣は、自らの信念に従った。その結果何が起こっても、後悔なんてしない。


「お返し……」


 呟いたのは、久龍だった。


 久龍はどんな依頼もこなすが、必ず見返りを要求する。陣が久龍に依頼した際、見返りは北条を殺して得られる賞金を渡すことだった。でも北条が生き返ったことにより、陣は賞金を失った。だから陣は見返りを払えない。けれどこれも、一つの覚悟だった。


 でも今は、陣は衣鈴を見ていた。こちらの視線に気付き、目を逸らした衣鈴を。

 いくら拘束されているとはいえ、またしても蘇生して、警戒しなければならない北条。誰もがそちらに注目しているのに、陣だけ違う方向へ目線を向けているのだ。


「陣さん……?」


 気付いた恋愛子がちょんと背中を突いてきたが、反応は返さない。


 恋愛子と北条に対する行動は、一様に完了したといっていい。後は北条が考えを改めるかどうかだが、それがどうなるかは分からない。考えを変えられるのはたぶん、陣でも恋愛子でもなく、北条自身だけだ。


 陣は、両頬をパンと叩いてこの先にあるべきものを見る。


 後は、衣鈴だけ。衣鈴の復讐心を払拭したい。未だ彼女が狙っている人物さえ分からない中、陣は絶対にそれを成し遂げると決意している。陣のバイブルと逆行する、人は変われないのだと心に刻んだ彼女。その心を変えて見せる。


 これを完遂した時、陣はきっと、自分という存在を認められるはずだ。

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