第四章 没落の光(2)

【二】


 ここにいる誰の考えも、手に取るように分かる。北条は、自らがこの洋館における復讐ゲームを支配しているのだと実感していた。


 恋愛子の“絶対服従”で、昨日陣にしたように、誰かをどこかに釘付けにすることも出来る。北条自身の“必殺”で対抗することも出来るし、再び全ての攻撃をかわせる状態にしてもいい。


 それだけじゃない。北条も恋愛子も、陣の手によって拘束されて身動きが出来ない状態にされていた。でも、自分達はそこから抜け出して見せたのだ。

 さすれば他プレイヤーは考えるだろう。いったいどうやって抜け出した? もしかしたら何か特別な力があるのでは? と。その証拠に、誰も彼も、自分に注目している。こちらの一挙一動を見逃すまいとしていることを、もはや隠すつもりだってないらしい。


「ははは」


 横にいる、憎き恋愛子にしか聞こえない程度の乾いた笑いを漏らす。こんなちっぽけな空間だが、殺しという極限の選択肢を容易に取れるこの場で、全員を手玉に取る。これが出来るのなら、自分はどこへ行ったって、何だって出来るだろう。支配者北条穂久斗は、どんな場所にだって君臨するのだ。


 だが油断なんてしない。最も厄介だった城嶋陣を葬ったとしても、彼と繋がりのある人物は残っている。井口衣鈴、益若マコ、津村翼。


 衣鈴に対しては恋愛子が接触し、その間北条は、益若と翼の挙動を観察していた。「マーダータイムが始まったら、すぐに動こうじゃないのサ」「そうだな」という会話を、唇の動きで察している。


 その二人のうち、翼については大いに警戒すべきだ。何やら怪しい機械をいくつも持っていたから、不意にこちらを攻撃する術を隠している可能性がある。益若の持つタブレット端末に、翼が作成したAIアプリが導入さているのは分かっている。あれで何かを作動出来るのなら、まずはタブレットを叩き割ってやろうか。


「お嬢様。マーダータイムが始まったら、誰にも分からぬよう私に命令をいただけますか? 命令はこれまでと同じ、攻撃をかわせ、というもの。ただし、すでに“絶対服従”を使用したことを気取られぬようにお願いします」

「心得ていますわ。あくまであたくし様達は、全員を脅かす武器である“絶対服従”をいつだって使える……そう皆様に思わせなくてはなりませんもの」

「その通りです」


 北条は恋愛子を殺すつもりだが、それはあくまで最終日の、最後の瞬間だ。恋愛子が“絶対服従”だから利用価値が高いということもある。


 けれど真の狙いは違う。『あたくし様は北条の言う通りにすれば、生きていける』と恋愛子に思わせ、あとは手を伸ばすだけで届く場所にある生還への道の前で、北条が立ち塞がるのだ。北条がずっと狙い続け、ついに目の前にしたはずの社長の椅子を、いとも容易く奪い取った彼女に対して最大限の絶望を与えるのである。


『七回目のマーダータイムを開始します。ラッキーセブンとなる今回、皆様に幸あらんことを』


 忌々しささえ感じていた、タブレットの音声。でも今は、耳心地の良い時報だった。マーダータイムが始まったことはつまり、ここにいない者が死を迎えたことを意味する。リヴァイバルが可能な死ではない、絶対的な最後。城嶋陣は、間違いなくこの瞬間事切れたのだ。


「お嬢様」

「ええ。あたくし様が北条穂久斗に命令しますわ。あなたは全ての攻撃を避けなさい」

「ありがとうございます」


 小声で、神の祝福ともいえる命令を、悪魔のような女から受ける。益若と翼の動きは今の所ない。なれば、こちらから動いてやるまでだ。


「益若マコくん。津村翼くん。君達は城嶋陣くんとは、どういう関係だったのかね」


 恋愛子が衣鈴にしたのと同じ質問を、今更ぶつける。けれど彼らはこう感じるだろう。少しでも返答の仕方を間違えれば、この男に殺されてしまう、と。きっと彼らは、陣を悪く言うに違いない。


「アタシが今、考えているのは」


 口を開いたのは、益若だった。


「アンタは死ぬべきだ、ってことだね」


 その回答よりも、彼女の目線に少しだけ動揺する。益若のキツいツリ目は、北条を見ていない。その後ろ、恋愛子を見ているのではないか。


 まさか、と思って振り返る。確か恋愛子は、陣から「北条は敵だ」と吹き込まれている。それは事実であれ、恋愛子は北条の方を信用したはずだ。でももし、益若らも同じように恋愛子に訴えていたなら。民主主義という名の数の暴力で恋愛子がどう考えるか。


 違った。恋愛子は別に、何をするでもなくそこに立っている。すでに“絶対服従”を使用した恋愛子が北条を狙うのなら、武器を手に取るしかないはずだ。安堵の息を吐く。


「な……」


 束の間だった。北条の目に、映ってはいけないものが、映ってしまっていたのだ。


「北条穂久斗おおおおおおおぉぉぉぉ!!」


 一心不乱で猪突猛進な何かがこちらに迫ってくる。手に持ったナイフは間違いなく北条に向かっていた。着実に迫ってくるそれは、スローモーションに見えた。その段で、ようやくその“何か”を認識した。


「城嶋陣……!?」


 エントランス二階で、目に見えぬ強固な束縛を受けたはずの陣が、そこにいる。北条の数メートル先に迫っている。なぜそこにいる、どうしてそこにいる。いったいお前は、何をやっている。深く考える前に、陣の突進をすんでの所でかわしていた。


 何か、違和感があった。でも今は、それについて考えている余裕はない。


「貴様、なぜ……!」


 声が上ずることをなんとか抑えて、また向かってくる陣を見る。それも間一髪かわしたところで、違和感の正体を掴んだ。


 これまで北条は、“絶対服従”の力で全ての攻撃をかわしてきた。そこに北条の意志は介在せず、自らの身体が自動で動いていた。でも。今北条は、自力でなんとか攻撃をしのいでいる。


 “絶対服従”がかかっていない。


「お嬢様! もう一度“絶対服従”を……!」


 それを発動していることを隠すことなど、諦めるしかない。


「分かりましたわ!」


 恋愛子の力強い頷きを見て、自然とそちらへ身体が動く。


「あたくし様が北条穂久斗に命令しますわ! あなたは全ての攻撃を受けなさい!」


 礼を言う暇も、慌てふためいてしまったことを取り繕う時間さえない。背中からあまりに熱い衝撃を受けたのは、刹那だった。


 北条の目に、恋愛子がゆっくりと倒れていくのが映る。恋愛子は先程、自分に命令した。なんと言ったのだったか。


 攻撃を……受けろ……?


 でも、一度目は避けろと言ったではないか。陣は突如現れたが、ターゲット指定をしていないのではないか。ターゲット指定をしていないなら、逆に死ぬのは陣。……そんなはず、ないか。とうにしているに、決まっている。


 倒れていったのは、恋愛子ではない。北条が床に伏していく中、そう錯覚しただけだった。


 全身で感じる、赤いカーペットの冷たさ。カーペットは、床の温度を感じさせないためのもののはず。高級に見えたが、安物か? その冷気は益々と強くなり、自分の身体から血液が垂れ流されていっているがための体温低下なのだとようやく気付いた。


 どこか冷静に分析していたが、やはり分からない。なぜ蘭光恋愛子は、“絶対服従”で自分に牙を剥いた? そして何より城嶋陣は、いったいどうしてこの場に現れることが出来た?


 自分は支配者だ。この場を足がかりに、全ての人間を足蹴にするのだと誓ったはずだ。この北条穂久斗に、不可能はない。分からないことなど……。

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