第三章 栄光の影(5)

【五】


 六回目のマーダータイムが終わった。でも、陣は動けない。最初から陣に足などなかったかのように、ただ座っていることしか出来なかった。


 北条は他プレイヤーに、陣の状況を語った後に自室に戻っているし、一部の他プレイヤーもそう。でも、陣のいる場所は自室に向かうにあたり必ず通るので、まだほとんどがロビーにいることは分かっていた。


「陣さん」


 そのうちの一人である、恋愛子。こんな姿、見られたくなかった。


「あたくし様は、やはり北条と共にありますわ。あの方に従い、間違ったことは一度もない。あたくし様を狙っていることは、あなたの嘘としか思えませんの」


 それだけ言って、去っていく。言葉と裏腹に力強さのない声は、迷いの表れに思えた。でも陣が彼女にかけて良い言葉など、こんな醜態を晒した今は持ち合わせていない。


「なんと言えばいいか分からないんだけどサ」

「お前が座っている周りを切り落として連れて行く……いや、“絶対服従”なら、宙に浮いたまま固定となっていそうだな……」


 追って、益若と翼もやってくる。翼は陣の周りを観察するも、「俺の技術もまだまだ未熟か」と勝手に肩を落としている。


「何も言わなくていい。ただ、頼みがある。お前らなら出来るだろ……恋愛子のことだ」


 陣は頭を下げた。益若と翼には、自分の代わりを務めて欲しかった。打算的な関係だった益若らにどこまで期待していいか分からないが、もはや陣にはそれしか出来ない。


「心得ているサ。アタシとしても、その方が良いからね」

「“絶対服従”の蘭光恋愛子と“必殺”の北条穂久斗。繋がりは、絶った方が良いからな」


 やはり、自分の考えとはズレがある。それでも、「頼んだ」の言葉しか出てこなかった。


「陣さん」


 今度は、衣鈴だった。衣鈴にも、いや衣鈴にこそ、こんな無様な姿は見られなくなかった。


「やはり、人は変わりませんでしたね」


 それについては、返す言葉もない。でも、言うべきことはある。


「お前、“復讐者”だよな。そして目的は、プレイヤーに紛れた運営側の人間を殺すことで、引いてはこんな洋館を潰すこと。これまでのゲームで、復讐カードに刻まれた立場が分かっていないのは二人だけ。一人は風祭界だが、すでに死んでいる。そしてもう一人が……久龍空奈。お前が狙っている、館側の人間だ」


 発言や行動、状況と“霊媒師”による力によって、もう久龍しか対象がいなかった。恐らく久龍も前回のゲームに参加していて、彼女がそこで衣鈴を殺した張本人だ。今回久龍がいるのは、前回のゲームで運営側と繋がりが出来たからか、或いはその前回からすでに運営側だったかのどちらかだろう。


「私が、久龍さんを……です?」


 否定も肯定もしない。ただ、衣鈴の表情は疑問を抱えているようだった。なぜ私が久龍さんを? そう言いたげだった。同時に、久龍が館の関係者であるというセンも崩れかける。


 そんな馬鹿なと言いかけたが、すでに“復讐者”と“仇”が一対であることは、根野が二人を狙っていることから否定されていたではないか。だから消去法から答えを導くのは不可能だったのだ。こんなことも見落としているなんて、北条に負けるのも当然かもしれない。


「陣さん。復讐カードをお持ちですか?」

「あるが……」


 考えながら答えた陣は、言われるがまま懐から取り出す。


「……は?」


 出したのは、自らの真っ白な復讐カードのはずだ。でも、今取り出したのは何だ? 別プレイヤーのものを間違えて持っているのか? いつ入れ替わったというのだ。


「“仇F”って出ているですよね。……私、自分を本当に酷い人間だって思います。“仇F”に対する“復讐者F”……それは、私です」

「は!?」


 陣の素っ頓狂な声は、衣鈴に向けられたものではない。

 陣は、衣鈴の心に働きかけるべく、人は変わるのだと認めさせるために根野を説得した。それが成功したことで、少しでも衣鈴に希望を与えられたのだとしたら、実はそれは失敗だったのだと知られれば今度は衣鈴を突き落とす。陣が北条にそうされたように。だから衣鈴が、陣を恨み復讐したいと思ったのだとしても、文句は言えないと思っていた。


 陣が驚いたのは、復讐カードが変化するという事実に対してだ。白紙でなんの意味もないと思っていた復讐カードに、今は文字がある。意味が、あったのだ。


「本当に、すいません。恨みたくないと思っているのに、どうしたって私は……。私は一度死んでから、どうしても心が揺らぎ易くなってしまいました。陣さんだけじゃありません。北条さんと蘭光さんに対してもです。最低、ですよね」


 衣鈴は、それ以上口を開くことなく、とぼとぼと自室に向かって行った。

 何か見落としている気がする。致命的に何かが欠けていた。


 でも。


 それを考えてどうなるのだ。自分は明日の十二時に死ぬというのに。


「うぇ……」


 胃から酸っぱいものが上がってきた。どこか身近になってしまった死であるが、明日自分が死ねば二度と生き返らない、本当の死。それがリアルになってきて、しばし押さえ込めることが出来ていた吐き気がどんどんと襲ってくる。


「おや少年、体調悪い感じかな? ま、その状況で『絶好調です!』なんて人もいないんだろうけどさー。クゥに出来ることはあるかいっ?」


 そうか、まだこの女だけロビー残っていたのだった。陣は、なんでもないという顔で、自らをクゥなんていう久龍空奈を見る。


 それにしても、と陣は思い返す。ここに釘付けにされてから、恋愛子、益若に翼、衣鈴、そして久龍。次々とプレイヤーらがやってきた。余命宣告されて死亡日が今日である難病患者を看取りにきた見舞い人達か。或いは死刑囚への面会人達か。


「久龍空奈の魂を口寄せする……」


 意図せず漏れた言葉。掴みどころがなくて、何を考えているか分からない久龍のことが、ずっと気になっていた。そんな悔いを残すくらいならと、本能が口を動かしたのだろう。



「はい、依頼達成でーす!」


 久龍が人助けをするようになったのは、いつからだろう。大学に入ってからじゃない。高校か、中学か、小学校か。もっと前から、両親のお手伝いをして喜ばれることが嬉しくて、なんだってやろうとしていた気がする。


 だから大学では、久龍はちょっとした有名人だ。最初は同じ学科の学生に、ノートのコピーやテストの過去問を配っていただけだった。気付けば同じ学部の物を入手して配り、他学部でも同じことをした。そこで他学部や上級生とも繋がりが出来れば、どんどんと顔が広くなっていった。


 講義に関することだけじゃない。誰かに何か頼まれれば、いつだって何だって笑顔で取り組む。時にお礼を渡されそうになるが、お金は絶対に受け取らず、「次にご飯おごってよ」なんて言っておいて絶対におごらせない。久龍が欲しいのはそんなものじゃなく、ただ笑顔でありがとうと言ってもらうことだけなのだ。


 けれど。


「依頼達成ってことで、依頼料いただきまーす」

「こ、こんな大金って……!」


 それは一年前から、変わっていた。


「え? だってクゥ、言ったよね。何でもするけど、その分報酬は貰うよーって」

「で、でも百万円って……私が頼んだのは盗まれたものを取り返してもらうだけで……」


 久龍は、依頼人の女に対して両手を出す。早く報酬をよこせと、それ以外はいらないと訴えて。最初はにこやかだった久龍の顔が、依頼人の態度でみるみる変わる。そこに表情なんて、ない。次に「クゥは」と切り出した時には、口調から感情も抑揚も消えていた。


「それを取り返すために、強盗と戦った。しかも三人組の男。クゥはボコボコにされたかもしれないし、襲われる危険性だってあった。それくらいの報酬、当然じゃない?」

「でもこれ、十万円もしないネックレスなのに……」


 久龍から渡されたそれをぎゅっと握った依頼人は、久龍に依頼料を払うわけでも、じゃあネックレスはいらないと返すでもなく、ただ佇む。下を向いてしまった依頼人に、久龍は何も発しない。


 もしその依頼人が、この時の久龍を見ていたら。


 太陽光は、地上にいる者に等しく注ぐ。建物の裏に回って影が出来ていても、全くの闇に陥ることはない。でも、久龍は。この時の久龍は、彼女にだけ太陽光がいっさい当たっていないかのようになっていた。久龍が纏っているのは、黒。暗闇なんて明るいと思える程の、ただ一色の黒になっていく。そして次の瞬間には、そこに赤い色がブレンドされていった。


 久龍の眼下には、久龍がナイフで刺した依頼人がいる。久龍にとって、もう依頼人ではないが。報酬を払わぬ人間など、依頼人じゃない。人間ですらない。久龍は依頼を叶える瞬間まで眩いばかりの正義の味方だが、報酬を支払わないと分かった瞬間から、そんな裏切りは許さないと復讐の権化となってしまった。


 これが犯罪であることなんて分かっている。だからなんだ? 久龍が欲しいのは、明確なお礼だ。口だけのありがとうなんて信用出来ない。報酬を払わないということは、実は久龍を利用しているだけのクズかもしれない。いや、クズに違いない。


 でも久龍は、依頼を受けることを止めない。ちゃんと報酬を払ってくれる人は多くいる。そんな人達から受けるありがとうの言葉は、なんとも心地良かった。



「あなたに依頼がある。ゲームに参加して欲しい」


 それから、しばし経った後。久龍は、また新たな依頼を女から受けていた。すでに顔見知りの彼女からの依頼ならば、多少割引サービスをしてやろうと思う。


「オッケー了解! またあの殺し合いの館に行けばいいんだね! 前みたいに頑張るぞいっ」

「お願い」


 そして久龍は、この洋館に迷わず足を運んでいた。


 

 ここで陣は、あれ、と思う。久龍が変わる原因となったはずの、件の一年が何も見えないのだ。漫画を読んでいる途中、一巻飛ばしてしまったような感覚だった。


 間違いなく彼女を構成する要因となる、その期間が見えないなんてありえない。登場人物が影に見えることはあっても、重大な要素が丸ごと抜けるなんて、これまでなかった。もしかしたら、久龍自身が思い出したく内容であり、忌まわしい過去として封じ込めているのか。


 もっと踏み込めないだろうか。そう考えて陣は、久龍の魂の中で、『久龍空奈の魂を口寄せする』と発言した。もっともそれは、耳には聞こえない。けれど、身体の内部から全身に染み渡るように伝わってきた。


 けれど、ダメだった。誰かの魂に入る前、少しの間真っ暗な空間にいることになる。再度“霊媒師”の発動文句を宣言したらその空間にやってきたものの、そこから進展がなかった。


 ただ、違和感がある。普段と同じ確かに真っ暗闇なのだが、より色濃く見える。それはまるで、久龍が裏切りを受けたと感じた後に見せた、あの黒一色のような。その黒一色が、こっちに、くる?


 裏切られた裏切られた許さない許さない裏切られた許さない裏切られた許さない裏切り許さない裏許切り裏切り許さぬ裏切り許さない許さない裏裏裏裏切裏切裏切――!



「うおおおわああああああああああああぁぁぁぁぁ!」


 叫んでいた。陣は叫んでいた。はぁはぁと荒い息を吐いて、額の汗を拭っても拭いきれなくて、それでもなお息は整わなくて。


 なんだったのだ、今のは。黒いあの空間はどこまで行っても黒だけなので、自分がどこにいるのか、進んでいるのかいないのか、全く分からなかった。だが最後の瞬間、そんな黒達に全身を喰われるような感覚に襲われた。黒が蠢いて自分に向かってきたと思った。


「びっくるするなー、突然何さ。大丈夫か少年!」


 声をかけられて、ようやくここが洋館の中だと思い出す。とうに“霊媒師”は解かれていた。


「久龍……!」


 果たしてそこにいたのは、まさにその魂を見ていた久龍空奈である。「どしたん?」と言う彼女には応えず、まじまじと見てしまった。


 前回のゲームの参加者。久龍にここに来いと頼んだのは、まさか黒幕か。であれば、プレイヤーに紛れた館側の人間は、やはりこの久龍空奈なのか。


 ただ。怪しすぎて逆に否定したくなる。衣鈴からも久龍は違うという様子が感じ取れた。だいたい、館側が用意した“霊媒師”能力によって、黒幕が明らかになることなどあるのだろうか。露骨すぎやしないだろうか。それを逆手に取っている可能性もあるので確定は出来ないが、なんともいえない気分だった。


「人助け……か」


 思いがけず、陣は声を漏らした。


「お? それはクゥの趣味みたいなものだぞい少年! 何かお困りかな? って、どう見たって困ってるよね! でもそれ、さすがのクゥお姉さんもなーんにも出来ない気がするなー」


 手をひらひらとしながら、お手上げのポーズを見せる。


「……オレを殺せ」


 陣は、吐き気をぐっと飲み込みながら言った。


「なんて?」


 そのせいで、久龍の耳には届かなかったらしい。


 久龍の魂は、他のプレイヤーと比べて異質だった。一部の記憶が読み取れないなんて、ありえない。あれは彼女のトラウマとして、久龍でさえも思い出せないのだろうか。


 何より、久龍という人間。依頼をすればなんでもするといい、その分多額の見返りを要求するらしい。魂で見たのはたまたま強盗から物を取り返すことだが、依頼人を躊躇いなく殺したところを見れば、殺しの依頼だって請け負ってきたに違いない。


 こんな、女なら。見た目は美人だが、そんなことなど帳消しにするレベルの変人ならば。


「お前に依頼したい。オレを殺せ、久龍空奈!」

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