第三章 栄光の影(4)

【四】


『六回目のマーダータイムを開始します。一人の方ばかり目立っているようなので、他の皆さんも頑張ってください』

「余計なお世話だ」


 ついにゲームの内容さえ把握し始めたAIアプリに対し、陣は小声で苦言を呈す。


 他のプレイヤーを見ていれば、人によって席に座ったり、壁にもたれかかったりという差はあるものの、大きな動きはしないと感じる。その様子は、恋愛子と北条を部屋に戻した、益若と翼が戻ってきても同じだった。


 なら今日こそ、久龍の魂を見てみるべきか。何せ彼女だけ、“復讐者”とか“仇”とかの話が出ていない。昨日の根野の一件で、益若と立浪の立場も分かったので、後は久龍だけなのだ。そして分かっていないということが、逆に答えになっていることも、陣はとうに気付いている。


「ね、ねぇ、城嶋くん……」

「あん?」

「少し、いいい、いいかしら……?」


 また壁にもたれて全体を見渡していた陣に、根野が声をかけてきた。彼女から話しかけられるのは初めてではないだろうか。


「あ、あの、もう復讐を止めたあたしなんかが話すのは迷惑かもしれないけど……あ、あなたなら色々と相談出来るんじゃないかと思って……」

「ああ、いいぜ。でも意外だな、お前はオレを恐がっているのかと」

「そ、そりゃ、見た目は恐いけど……昨日のあなたを見たら……」


 どうせ“霊媒師”は一瞬で使える。それに、昨日あれだけ喚いた根野が話しかけてくるなんて良い兆候だ。拒む理由はない。


 良い兆候といえば、恋愛子もそうだ。昨日も話し、今日ここに連れてくる時もそう。少しずつ、彼女が話してくれるようになってきた。後は衣鈴と北条だが、特に北条は難攻不落。けれど、恋愛子から落としていけば陥落させられるはずだ。


 それにしても、と陣は根野と会話しながら周りを見やる。衣鈴、久龍、益若、立浪、翼。それぞれロビーを出たり入ったりとうろうろしているだけで、特に何をするでもない。ならこちらから疑問を投げかけてみようか。このゲームで最終的に目指すべき、とある条件とやら。それを満たして生き残れば一億円獲得というが、単純にその条件とは何か気になっていた。


「なぉ根野。お前、ルールにあった“ある条件”って何だと思う?」

「え? ええっと……“復讐者”のあたしは、復讐相手を殺すことかと思っていたけど……。で、でも! い、今はもういいのよ!」


 根野の話したことは、誰しも思い浮かべることだろう。それでも根野が復讐を諦めてくれたのは、やはり感謝しかなかった。


「そういやお前、二人が復讐相手だったんだよな。復讐カード、どうなってんだ?」

「こ、これ」


 根野が胸ポケットから、復讐カードを取り出す。“復讐者A 復讐者E”と書かれている。益若と立浪、どちらがどちらの記号かは分からないが、彼らの復讐カードには“仇A”か“仇E”と記されているのだろう。


「な、なーなー……」


 復讐カードを根野に返した時、立浪が近くにやってきていたのに気付く。黙っていてもうるさいはずの彼が、萎みきった風船が最後に吐き出す空気のような声をかけてきた。


「俺ちゃん、まだ謝ってなかったから……。知らなかったんだよ、根野ちゃんがあの時の奥さんの娘って……。知らなかったからって、許されるもんじゃないだろうけどよー……」

「ゆ、許すつもりはないけど……」


 陣は、そっと二人から離れることにする。もはや根野が、立浪を殺すことはないだろう。後で、益若にも根野に謝罪するように提案してみようか。でも、何にしても。自分のしたことは正しかった。陣は、ぐっと喜びを噛み締めていた。



 そうして、六時間が経とうとしている。根野と立浪の会話は十分程度で終わり、そこから彼らが話している様子はない。けれど、思っていた通り根野が立浪に手を出すことはなかった。


 明日は七回目のマーダータイム。終わりも近くなってきて、陣の働きかけの効力の真価が問われる時がやって来たといえる。何の気なしにぐるりとプレイヤーらを見やると、誰もがただ、時が経つのを待っているように思えた。


 目が合ったのは衣鈴だった。はっと驚いた表情を見せたが、すぐに無表情に戻す。今なら話せるかもしれない。きっと、根野と立浪の関係を作った陣に対し驚いているのだ。昨日まで“復讐者”と“仇”だったはずの二人が、短いながらも会話していたことに。


「衣鈴」


 だから一歩、前に出る。衣鈴は、こちらを向いてくれた。でもその表情は、入学したてでクラスメイトと馴染んでいないが皆と話してみたいと思っているような、なんともいえないぎこちなさがある。今はそれでいい。陣の言葉に耳を傾けてくれるならば。


 声をかけてみたものの、さて次になんと言うべきか。復讐をやめろと馬鹿の一つ覚えを口にするか? それはあまりに芸がない。何かないだろうか。


「あたくし様が命令しますわ! 城嶋陣さんは、エントランスの二階でずっと座っていなさいな!」


 何か……。……ああ、そうか。自分がすべきは、エントランスの二階に行くことか。


エントランスの方から、陣と衣鈴の間を通り抜けて引き裂くような、高い声が飛び込んできた。


 誰もが意図せずともそちらへ振り返る中、陣だけはただ、二階に行かなくては、と歩みを進める。衣鈴の横を通ったのに、声をかけるどころか顔を見もしない。その先にいた、恋愛子の横も素通りだった。

 それと同時か、『六回目のマーダータイムを終了いたします』というタブレットの音声が、背後から響いていた。



 辿り着いたエントランス二階。縦長の窓から僅かに中庭が見える、休憩所だ。白い丸テーブルと椅子が置かれていて、陣はストンと収まった。


「!」


 やっと我に返る。身体が、動かない。いや、手や顔は動くのだが、足が石になったようにピクリとも動かず、椅子から離れることが出来なくなっていた。恋愛子から浴びせられた、“絶対服従”の力に他ならない。


「やあ」


 だから、目の前にゆっくりと初老の男が座ったって、防御の体勢に入ることも出来なかった。


「北条穂久斗……お前どうして……!」

「何、君のおかげさ。君が私と恋愛子お嬢様を蘇生してくれたから、こうして生きている」

「そういうことを言っているんじゃねぇ! お前は拘束されていたはず……!」

「ははは。少し考えれば、脱出の方法なんていくらでもあるだろう、君にそれを話す義理はないがね。まあ、驚くのも無理はない。何せ、こうして君がここで釘付けになることまでが、私の策だったのだからね」

「何……!?」


 北条は、見せ付けるように紅茶を嗜む。気付けば陣の分も置かれていたが、手に取る気になるはずもない。北条は紅茶を置くと、下の階に向かって何やらジェスチャーで合図を送った。恋愛子が他プレイヤーを、ロビーに戻している。


「お嬢様は本当の私の策を知らないのでね。それに君も聞かせたくないだろう。君がいかに無様な行動を取っていたのか、ということを」


 勿体つける北条は、口元だけ笑みを浮かべるも、目は笑っていない。蜘蛛の糸にぶらさがる陣を見て、その先でハサミを持って待ち構えているかのような、見下しきった目。魔王、再来。そんな言葉が浮かんでしまった。


「君が私の手の平で踊るのは愉快だった。君の魂を見た恋愛子お嬢様から聞いたよ。君は母上の言葉に従い、皆の復讐を諦めさせようとしているらしいね。人は変わるのだと信じて。だが……」


 北条が、ぐっと顔を寄せてくる。それは暗い闇が迫ってくるようで、顔を背けたくてしかたなかった。


「人は変わらない。当然、私もだよ。何十、何百と死のうとも同じ。私が真に恋愛子お嬢様を狙っているという事実も変わらない。お嬢様が私を信用してしまっているのも、十数年の繋がりが作り出しているためである以上、揺るがない。もっとも、いつか潰すために良い顔をしていただけだがね」


 北条は、ゆったりと椅子にもたれかかって、ロビーにいるであろう恋愛子の方へ目線を送る。


「実に愉快だった。お嬢様を狙う連中を私が束ねてお嬢様を守っていると言ったら、簡単に信じるのだから。いないのだよ、そんな存在は。本当にいてくれたら、私としても楽で良かったのだが。こんな館にわざわざ来ることなく、お嬢様が散る様を眺めるだけでよかったのだからね」


 はははと乾いた笑いを残し、北条はまた紅茶を口に含む。陣は彼と目を合わせることが出来ず、ただ下を向いていた。冷たい嫌な汗が背中を流れる。それ以上何も言わないでくれ。陣は、そんな予感めいた想いを抱えていた。


「私は、あえて私を殺させてやった。どうせ君が蘇生するだろうと思い、意図的に退場したのだよ。さすれば他プレイヤーが復讐に動く舞台が出来るが、君は説得に動くだろうと思っていた。そしておめでとう、どうやら説得は成功したようだ。君は舞い上がっただろう。ドヤ顔という奴で、恋愛子お嬢様にも語っただろう。……それが、私の作ったシナリオだとも知らずに」


 案の定。下を向けた目が、ただただ泳いでいるのが分かっても止められない。


「君は簡単に折れないだろうからね。なら君のような精神論を使う奴は、一度栄光を見せてから一挙に地獄へ落とすべきだと考えた。栄光とは、こう。北条穂久斗という敵を倒したヒーローくんが、その勢いのままに復讐者達を説得していく。そして、成功して美談となる。では地獄とは何か。分かるかね、ヒーローくん」


 自らが茨に捕らわれていく感覚がした。底なしの闇へ引きずりこまれていく。


「地獄とは、敵はやられたフリをしただけであり、その説得も、すでに敵が手を回していただけ。根野このみとは、すでに話がついていたのだよ」


 おずおずとこちらに話しかけてきた、根野の顔が浮かぶが、すぐに消えた。


「根野に“絶対服従”を使うぞと脅し、ここに来た理由を語らせた。そして彼女の復讐心は金で解決出来ると思い、買収してやった。何せ元々は貧困に喘いだ結果なのだ。どうせ古い記事なんてあっという間に忘れられる。引越し資金と向こう数年の援助をすると言えば、簡単に諦めてくれた。だから根野に復讐を諦めさせることは、何も君でなくても可能だった。幼児でさえ、いや、そこいらの野良猫だって実現したというわけだ」


 気付けば陣は、目をきつく閉じていた。魔王を倒すことが出来た。復讐者を説得出来た。だから衣鈴も恋愛子も、目の前の北条だって、心を入れ替えてくれると思ったのだ。それなのに。地獄に落とされるなんてものじゃない。陣は地獄なんて軽く通り越して、まだまだ落ちていく。いったいどこが底なのか。底なんて、あるのか。


「さて、これからの君の話をしよう」


 北条は立ち上がり、片手だけテーブルに置いた。コトンとした小さな音が、馬鹿に陣に突き刺さる。


「君は今、動くことは出来ない。“絶対服従”による力だ。君に自殺を命じることも出来たのだがね、それでは蘇生されてしまう。蘇生させまいと阻むことも出来るが、気になる特殊能力があった。“遠当て”という。このゲーム、拳銃がある以上他の飛び道具の意味は薄いだろう。ならばそれは、リヴァイバルを遠方からでも可能とするもの、と考えるのが自然だ」



○能力:遠当て

 効果:対象に手を触れなくとも蘇生させることが出来る。

 発動条件:対象に手をかざした上で、「リヴァイバル」と発言する。

 発動可能時間:マーダータイム中



「加えて、君が“霊媒師”というのが嘘で、“自己再生”能力だった場合の備えでもある」



○能力:自己再生

 効果:死んだ際、リヴァイバルを受けなくとも生き返ることが出来る。

 発動条件:死ぬこと。ただし発動は一度のみ。

 発動可能時間:常



「ではなぜ君をここに磔にしたかと言えば、ルールを思い出して欲しい。そこでは、“死”と“失格”という単語が使い分けられていた。単純な殺しは“死”と表現しているのに対し、マーダータイムに参加しないことは“失格”とある。君はこれからこの場所に釘付けとなり、明日のマーダータイムには参加出来ない。すると君は、死ではなく、失格となる。失格でも結局の所死ぬのだろうが、全く意味が違う。蘇生は不可能な死だ」


 その点も陣は気になっていた。なぜわざわざ表現を変えるのかと。行き着いたのは、北条と同じ考えだった。


「君を“絶対服従”で磔にし、私の“必殺”で殺すことも出来たがね。それでは私が無防備になるし、君に後悔する時間を与えてやれない。そして何より、私はこれから世界の支配者となる人間だ。君ごときに対し、殺しなんて安直な方法ではなく、明確な敗北を突き付けることが出来なければ、それは叶うまい。いうなれば、君はテストだったのだよ」


 また北条は顔を寄せてくる。先程と違い、北条は立ち、陣は座っている。遥か上空から見下ろされているような心地だ。


「そうだ。君が無駄な希望を持ったら申し訳ないからね、言っておくよ。“絶対服従”の効果はいつ切れるだろうか。マーダータイムが終わった時か。今日という日が終わった時か。否。消えないのだよ、これは。もっとも、全てのゲームが終わったら消えるだろうが、明日死ぬ君には関係ないだろう。残念なのは、『君は私の命令を聞け』という命令で永続的に命令を行うのは不可能だということ。三つの願いを叶えるランプの魔人に、願い事を増やせという願いは叶えて貰えないことに似ている」


 北条は、背を向ける。


「では、私はこれで。最後に礼を言わせてもらおう。君は、私に自信を与えてくれた。君という愚かな人間を操るシナリオを描き、見事に演じさせてやった……どんな人間も支配出来ると思えるよ。せいぜい君は、これまでの行動を悔い改め、残り十数時間しかない人生を謳歌したまえ。はっはっはっは」


 それは北条から初めて聞く、高らかな笑い声だった。

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